日本武尊は、軍事を担当し、東奔西走し能褒野で悲運な死を遂げた。
何故、このような運命となったか?
一族の系譜をさぐる。
日本武尊(ヤマトタケル)、諱は小碓尊。第12代景行天皇の皇子であり、第14代仲哀天皇の父である。
母は、吉備津彦の子である播磨稲日大郎姫。滋賀県大津市神領、建部 (タケベ) 神社に祀られる。イナヒ(稲日)=イナミ(印南)。これはおそらくハリマ(播磨)を指す。兵庫県加古郡稲美町
母方は播磨と吉備が出耳
孝霊天皇が、磯城県主の娘はえ姫を娶って、稚武彦命を生む。稚武彦命の子吉備津彦の孫 が日本武尊である。
孝霊天皇4世の孫
ホツマツタエでは
景行41年、相模に戻り、大磯でオトタチバナ姫を祭った後 (吾妻神社)、自らの先神霊がソサノヲ (ハナキネ)であったことを悟り、大宮を建ててヒカハ神を祭る (氷川神社)。またヱミシ征討に使った武器を秩父山に奉納。ホツマ・信濃路・木曽路と狩り廻り、尾張へ戻る
素戔嗚ー八島士奴美─事代主(ヤマト大国魂)─コモリ(3代大物主)──イソヨリ姫(賀茂建角身命の妻)ー玉依姫(ウガヤフキアエズの妻)ー神武天皇ー略ー孝霊天皇ー略ー景行天皇ー日本武尊
八嶋士奴美(やしまじぬみ)は、オオヤマツミの娘の木花知流姫(このはなちるひめ)と結婚し、布波能母遅久奴須奴(ふはのもぢくぬすぬ)を生んでいる。フハノモヂクヌスヌの子孫が大国主である。
孝霊天皇の時代
吉備が大和朝廷の支配下に入った。
戦乱が瀬戸内にあった。有名な、桃太郎の話もそのひとつである。
『書記』亦妃ハヘ某弟生彦狭嶋命。稚武彦命。弟稚武彦命。是吉備臣之始祖也。
『古事記』大吉備津日子命は吉備上道臣の祖。次に若日子建吉備津日子命は吉備下道臣と笠臣の祖。次に日子サメ間命は針間の牛鹿臣の祖。次に日子刺肩別命は高志之利波臣・豊国之国前臣・五百原君・角鹿海直の祖。
『小田郡北田村鳥越家』本家は吉備津彦の弟稚武彦の子孫で、代々吉備氏を後に下道氏を名乗ります。
五十狭芹彦命。
フルネームはヤマトヰサセリヒコ。「ヤマト」は母の名から。
オオヤマトフトニ(7代孝霊天皇) と 内侍ヤマトクニカ姫の生んだ三つ子のひとり。
孝霊53年、情勢不穏になった西国安定のため、斎部主の添えとしてチノクチと播磨のヒカワに派遣される。
ミマキイリヒコ(10代崇神天皇) の頃、タケハニヤスが謀反を起こし、ハニヤスの妻アダ姫が大坂から攻め上るを、討ち破る。
『書紀・旧事』倭国香媛またの名を紐某姉(はえいろね)、妹を紐某弟(はえいろと)としている。勘注系図はこの人を建諸隅(由碁理・ゆごり) の妹とする。
磯城津彦命。
タマテミ(安寧天皇) とカワツ姫の御子。
建諸隅は
『旧事』では、葛木直の祖の大諸見足尼 (おおもろみのすくね) の娘の諸見己姫 (もろみこひめ) を妻として、一男を生む。
『勘注系図』では、建諸隅命、またの名を由碁理。その娘は大倭姫命。大倭姫命は開化の妃の竹野媛である。
武諸隅。
昔タケヒテルが奉納して、出雲に納められた『タマカハの神宝文』が見たいと、崇神が出雲に遣わした使者。
タケヒテルの曾孫に当たる。オオアマ姫の兄。大海姫は10代崇神天皇の内侍。
『古事記・書紀』安寧第三子磯城津彦に二柱ありて、一柱は伊賀三野の稲置の祖、一柱は和知都美といい淡路の御井宮に坐す。その子二柱ありて紐某姉・紐某弟という。
中原系図によれば磯城津彦の後を十市県主とする。そして磯城津彦と磯城津彦の子の和知都見は磯城県主であったと思われる。したがって、磯城県主であり、十市県主の祖である大目は、磯城津彦の子の和知都見を指すものと思われる。
?? ーー───┬───ヤマトクニカ姫[内侍]──┬(1)ヤマトモモソ姫
│ (ヤマト大宮女) │
│ ┃ 三つ子├(2)ヤマトヰサセリヒコ
│ ┃ │
│ ┃ └(3)ヤマトワカヤ姫
│ ┃
└───ハヘ姫[内侍]──────┬(4)兄ワカタケヒコ
(若大宮女) │
三つ子├(5)ヒコサシマ
│
└(6)弟ワカタケヒコ
『新撰姓氏録』では、天火明命の子孫を「天孫族」としている。天孫族は大和国葛城の高尾張から尾張国に移り、子の天香山命(あめのかぐやまのみこと)の時に定住し、真清田神社(愛知県一宮市)に天火明命を祀ったとしている。
天忍穂耳尊ー邇邇芸命ー火明命ー武日照命(饒速日の弟)─建斗米命(建箇草命の養子)─健宇那比命─健諸隅命
倭国香媛ー百襲姫命
(勘注系図は健諸隅命の妹が倭国香媛とする)
『旧事』紀伊国造智名曾の女、中名草姫を娶り六男一女生む。其一名草彦神也。 建斗米命-健宇那比命-健諸隅命
建箇草命。高倉下(弥彦)の四世の孫に当たる。嗣子がなかったらしく、孝霊天皇によって、武日照命の子の建斗米命が養子に入って後を嗣ぐ。
武日照
火明命(ムメヒト) とタマネ(子守の娘)姫の子。饒速日(クニテル)の弟。コモリの孫。
タケトメの父。
オオヤマトフトニ(7代孝霊天皇) がハラミ山に御幸した時、スハサカオリ宮で御饗して待っていた。
タマガハの神宝文を孝霊天皇に奉り、これは出雲 (杵築宮) に納められる。このとき天皇はタケヒテルの子のタケトメを臣として召し、タケヅツグサ建箇草命の後を継がしめる。
『古事記・書紀・延喜式祝詞・出雲風土記』武日照命天ヨリ神寶ヲ将来シテ出雲大神宮ニ蔵ム。
上宮天満宮。
大阪府高槻市天神町。
祭神:菅原道真、野見宿禰、武日照命。
本殿はすべて境内の竹で出来ている。
ここは旧島上郡の北部に当たり、その昔野見宿禰(後土師氏)一族の居住したところといわれ、式内野見神社を祭り、この場所に古墳があったと言われている。
天五多底ー天忍男ー
天五多底。天五多手=天村雲命。
天五田根(あめのいたね)、 天五多手(あまのいたて)とも。
タカクラシタとユリ姫 (イスキヨリ姫) の子。 アメオシヲの父。
『旧事』天忍男命は、葛木の剣根命の娘の賀奈良知姫(かならちひめ) を妻とし二男一女を生む。即ち尾張連の祖の瀛津世襲命、建額赤命(たけぬかあかのみこと)、世襲足姫命。天忍人と同一人物と思われる。
新潟県西蒲原郡弥彦村大字弥彦、彌彦神社摂社、武呉 (タケクレ) 神社。
香川県高松市一宮町、田村 (タムラ) 神社。
徳島県吉野川市山川町村雲、天村雲 (アメノムラクモ) 神社。
建額赤命
『旧事』天忍男命の第二子の建額赤命は、尾治置姫(オワリオキヒメ)を娶り、建箇草命を生む。多治比連、津守連、若倭部連、葛木の祖
建箇草命
高倉下(弥彦)の四世の孫に当たる。嗣子がなかったらしく、孝霊天皇によって、武日照命の子の建斗米命が養子に入って後を嗣ぐ。