馬韓伝

『三国志魏書』馬韓伝
 魏略曰:初,右渠未破時,朝鮮相歴谿卿以諫右渠不用,東之辰國,時民隨出居者二千餘戸,亦與朝鮮貢蕃不相往來。

 魏略には、初め、右渠がまだ破れていない時、朝鮮の宰相である歴谿卿が右渠に諌言をしたが用いられず、東の辰国に亡命した。そのとき朝鮮の民も二千余戸が彼に従って出国し、辰国に移住した。朝鮮の属国とも往来をしなかった。

 衛氏朝鮮の重臣が、国王の右渠に叛いて辰国に亡命した記述の一節だが、衛氏朝鮮も半島南部(漢江流域)にまでは支配力が届いていなかったようだ。衛氏朝鮮が辰国の朝貢を妨げたことが朝鮮討伐の名目とされ、紀元前108年に衛氏朝鮮は滅ぼされるが、その支配領域に設置された楽浪郡など朝鮮四郡のどこにも辰国は帰属していない。

『後漢書』馬韓伝
 韓有三種:一曰馬韓,二曰辰韓,三曰弁辰。馬韓在西,有五十四國,其北與樂浪,南與倭接。辰韓在東,十有二國,其北與濊貊接。弁辰在辰韓之南,亦十有二國,其南亦與倭接。凡七十八國,伯濟是其一國焉。大者萬餘戸,小者數千家,各在山海閒,地合方四千餘里,東西以海為限,皆古之辰國也。馬韓最大,共立其種為辰王,都目支國,盡王三韓之地。其諸國王先皆是馬韓種人焉。
 韓に三種あり、一に馬韓,二に辰韓,三に弁辰(弁韓)。馬韓は西に在り,五十四カ国。その北に楽浪,南に倭と接する。辰韓は東に在り,十二カ国、その北に濊貊と接する。弁辰は辰韓の南に在り、また十二カ国、その南に倭と接する。およそ七十八カ国。伯済は、その一国なり。大領主は万余戸,小領主は数千家を支配する。各々に山海の間に在り、土地は合わせて方形四千余里、東西は海が限界をなしている。いずれも昔の辰国である。馬韓が最大で馬韓人から辰王を共立し、都は目支国(月支国),三韓の地の大王とする。その諸王の先祖は皆、馬韓の族人なり。

 ここでは昔の辰国とされている。前掲の『京畿道の由来』では紀元前75年に三国に分割されたとなっているが、紀元前82年に真番郡と臨屯郡が廃止され、楽浪郡と玄菟郡に併合され、紀元前75年には単々大山領の領東に置かれていた玄菟郡を西北に遷している。
 漢王朝は楽浪郡と北に撤退した玄菟郡だけを管轄し、その他は旧来の有力部族の首長を県侯に任じて直接支配を廃止したことで、三国志魏書に「夷狄更相攻伐」と記されているように県侯の間に激しい領地の争奪戦が生じ、辰国はその影響で分裂したのだろう。
 その後も存続するが、四世紀に百済が馬韓を統一し、辰国は解体される。