鴨形埴輪、水鳥形埴輪、溝咋、日本武尊

水鳥形埴輪の多くは
体型はおしなべてふっくらとした胴体をもち、それに長い頸と上を向いた短い尾羽が表現されています。
平たい嘴と水掻きをもつ脚や短い尻尾など、身近な動物ではマガモを家禽に品種改良したアヒル(家鴨)にそっくりです。p

応神天皇陵古墳出土の水鳥埴輪
5世紀前半に築造された墳長420mの大型前方後円墳。墳長は全国2位だが墳丘の体積としては全国1位の規模を誇ります。

水鳥の中に変わったものも見つかりましoた。頸部にはどうやら蝶結びの紐が表現されているようで、野生の鳥ではないものです。
実は、1990年代になってこのような水鳥形埴輪は、鵜飼いの鵜の姿を象った埴輪であることが明らかとなりました。
群馬県高崎市保渡田八幡塚古墳では、高く挙げた嘴に(ナント)魚を咥(くわ)えている例が見つかり、まさに「ウ飲み」する一瞬の姿を写した鵜形埴輪であったことが判りました。
しかも、頸部には鈴をあしらった紐が巻かれ、鵜飼の場面を表現した儀礼的な造形であるらしいことも注目されました。

三島溝咋の伝承のある摂津三島
太田茶臼山古墳
円筒埴輪の他、馬形埴輪、甲冑形埴輪、水鳥 形埴輪、須恵器片などが出土している。 築造年代 5世紀

鳥形埴輪
水鳥 大阪府羽曳野市 伝応神陵古墳出土 古墳時代・5世紀
水鳥 埼玉県行田市埼玉出土 古墳時代・6世紀 (個人蔵)
鶏 栃木県真岡市京泉塚原 鶏塚古墳出土 古墳時代・6世紀 (橋本庄三郎氏他3名寄贈)
京都府長岡京市恵解山古墳から出土した水鳥形埴輪

葛井寺市・津堂城山古墳の「水鳥形埴輪」(重文)の複製品

津堂城山古墳(つどうしろやまこふん)とは、大阪府藤井寺市にある前方後円墳。古市古墳群に属し、4世紀後半ごろに築造されたと推定されている。
古市古墳群の中でも初期の古墳であり、誉田山古墳よりも先行する。
3体の水鳥形埴輪が出土。このほかにも衝立型や家形・盾形・衣蓋形、靫型の埴輪、円筒型など多彩な形象埴輪が発見された。

水鳥形埴輪は全国で約60遺跡(古墳)から100体ほど出土しているというが、この水鳥形埴輪が我国で最古のものだという。

賀来孝代さんの見解
『広報ふじいでら』第364号 1999年9月号
津堂城山古墳の大小の水鳥形埴輪についての賀来さんの結論は、水鳥の種類の違いを表しているということでした。その理由としては、
一、小の水鳥形埴輪がヒナ鳥を表しているのであれば、風切羽根が長く伸びているのはおかしい。
二、大型のガンカモ科の水鳥は、アジア大陸の亜寒帯で繁殖するので、日本でそのヒナにお目にかかる機会はない。
三、ほかの古墳でも作りはよく似ているのに、大きさの違う水鳥形埴輪が一つの古墳に持ち込まれている実例がある。この具体例として、千葉県正福寺1号墳を紹介されています。ここでは大きさの違う数種類の水鳥形埴輪が出土していて、そのうちにはマガモのオスの特徴であるカールした羽をもつものが含まれているとのことです。
津堂城山古墳の大小の水鳥形埴輪
ハクチョウの親子ではないとすると、モデルとなった鳥の種類はなんだろうということになります。「小の水鳥形埴輪の大きさや形からすると、カモではなく、やや大型のガンの一種ではないか。より絞り込めば、今日の日本では見られなくなったハクガンではないか。」とのこと

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今城塚古墳の水鳥の列

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白鳥の埴輪もあります。

羽曳野市の日本武尊白鳥陵(前の山古墳)
5世紀後半の築造、全長190mで古市古墳群の中では7番目の規模。円筒埴輪、朝顔埴輪や家形・衣蓋埴輪が出土している。記紀の白鳥伝説に由来する、ヤマトタケルが古市に飛来した。その後、埴生の丘に羽を曳くがことく飛び去ったという伝説である。この白鳥伝説が「羽曳野」の地名の由来になっている
また、「日本書紀」によると仲哀天皇は天に昇った父であるヤマトタケルを偲ぶために陵の池で飼う白鳥を諸国から献上させたという伝承話がある。これはヤマトタケルにかかわる白鳥伝説というべきもので、古墳の周溝に水鳥形埴輪が据えられていることと無関係ではないという。

誉田白鳥遺跡
日本武尊白鳥陵と墓山古墳の間で道路工事中に発見された。埴輪を焼いた9基の釜跡が確認。円筒埴輪・朝顔埴輪や家形・人物・馬形・水鳥埴輪などの形象埴輪が多く発見された。ここも古市古墳群の造営や埴輪製作に関係した土師氏一族と思われる人々の住居跡が見つかる土師ノ里遺跡とは間近な所である。

日本書紀 垂仁天皇二十三年九~十月条
「[前略] 誉津別王(ホムチワケノミコ)は、是(コレ)生年(ウマレノトシ)既に三十、[中略] 猶(ナホ)泣つること兒(ワカゴ=幼児)の如し。常に言(マコトト)はざること、何由(ユヘ)ぞ。 [後略]
誉津別皇子侍り。時に鳴鵠(クグヒ)有りて、大虚(オホゾラ)に度(トビワタ)る。皇子仰ぎて鵠(クグヒ)を観(ミ)て曰(ノタマ)はく、「是何物ぞ」とのたまふ。天皇(スメラミコト)、皇子の鵠を見て言(アギトフ)ふこと得たりと知(シロ)しめして喜びたまふ。[後略]