鳥見の長髄彦、桜井と磐余、饒速日

飛鳥、橿原、桜井、磐余の地域は、お互いに重なる地域であり、神武の東征により、長髄彦と戦い得た土地のようです。
神社伝承から、原初の活動が浮き彫りになります。

大和国には鳥見(登美)という地が二か所、城上郡(現桜井市)と添下郡(現奈良市)にある。長髄彦の本拠は城上郡のほうであったが、添下郡のほうも無縁ではなく、長髄彦の勢力範囲であった。この二つの鳥見にはそれぞれ式内社があり、城上郡の等弥神社、添下郡の登弥神社があげられる

長髄彦は神武天皇に
「昔、天つ神の子が天の磐船に乗って降臨した。名を櫛玉饒速日命という。私の妹の三炊屋媛を娶わせて、可美真手という子も生まれた。ゆえに私は饒速日命を君として仕えている。天つ神の子がどうして二人いようか。どうして天つ神の子であると称して人の土地を奪おうとしているのか」
とその疑いを述べた。

長髄彦は、登美の地を奪われまいとして、神武天皇と戦ったようです。敗北の後、奪われた登美邑の辺りが磐余と言われたか?

桜井市の鳥見山の山の尾に等弥神社があり、近くに磐余池の比定地がある。

磐余の名が最初に登場するのは神武紀で、神武天皇が磯城(しき)の八十梟師(やそたける)と戦ってこれを滅ぼした地を磐余邑、また神武の称号は神日本磐余彦(かむやまといはれびこ)と記されている。

添下郡の登弥神社は富雄川東沿岸の奈良市石木町に鎮座するが、その祭神のなかの一人に登美建速日命という神がある。これを長髄彦とする説がある

神功皇后 磐余稚桜宮
清寧天皇 磐余甕栗宮(イワレミカクリノミヤ)
継体天皇 磐余玉穂宮
用明天皇 磐余池辺雙槻宮(イワレノイケノヘノナミツキノミヤ)

磐余池比定地の池之内や池尻
捕らえられた大津皇子が歩いた道のちょうど中間にあるのだ。
 朱鳥元年十月、捕らえられた大津皇子は飛鳥浄御原宮に引き据えられ、持統天皇から訳語田(おさだ)(現在の戒重)の家で死すべきことを命ぜられる。彼は警吏らに引かれながら、飛鳥から我が家へと歩いて行く。その道は、明日香の奥山から香具山の東の道、戒外川(かいげがわ)沿いの、いわゆる橘街道である。香具山の麓を抜けたところで、その道は磐余池比定地の池之内と池尻との真ん中を抜ける。磐余池がこの辺りにあった。

中田憲信編の『諸系譜』第六冊所収の「長公系譜」

同系図では、建日別命は長国造(阿波南部)・長我孫や都佐国造(土佐)の遠祖であり、事代主神の孫に位置づけられる。その父を天八現津彦命(一云、観松比古命)とするが、又名の観松比古命は、「国造本紀」の長国造及び意岐国造の条には観松彦色止命と見えており、阿波国名方郡の式内社、御間都比古神社(ミマツヒコ。名東郡佐那河内村下モノミ石に鎮座)の祭神でもある。観松彦命は事代主神の子とされること、その子に「登美」に関係ある者がいること、その後裔に長国造・長我孫を出したことなどを考え合わせると、神武に立ち向かった長髄彦その人であろう。そして、「登美建速日命」が登美彦・長髄彦であるならば、建日別命はその父の位置にある天八現津彦命とも同人だということになる。
長国造の領域は阿波国那賀郡の那賀川流域が中心であったが、その周辺には、勝浦郡の式内社の事代主神社や、名方郡の式内社の多祁御奈刀弥神社(タケミナカタトミ。名西郡石井町浦庄字諏訪に鎮座し、諏訪神たる建御名方命・八坂刀売命夫妻を奉斎)など三輪・諏訪一族に関係が深い古社が存在しており、これらの社も長国造一族が祀ったとみられる。
「観松彦」とか「天八現津彦」とかいう呼称は、大和の支配者の美称にふさわしい。大和朝廷第五代の天皇である孝昭天皇の和風諡号が観松彦香殖稲尊とされることも想起される。観松彦の下の「イロト(色止・伊呂止)」が弟を意味する語であることで、長髄彦が事代主神の後継者であっても実際には子ではなかったとすると、兄・事代主神に対する「弟」の意味で妥当か(この意味で、建御名方命にもあたるか。後述)。

神武軍に対処した兄磯城・弟磯城のうちで、倭国造の祖・珍彦の計略が奏功して斬られたほうの兄磯城も、長髄彦かその近親にあたり、磯城郡の居住地にも対応する。
長髄彦は饒速日命(実際には、その子のウマシマチ)によって殺害されたというから、記紀の兄磯城は長髄彦とは別人で、その一族にあたる。
神武に降伏したほうの弟磯城の名は黒速で、建国後の論功行賞で磯城県主に任ぜられたが(神武紀)、この人は三輪氏の系図に天日方奇日方命(またの名を櫛御方命、鴨主命といい、三輪君・鴨君の遠祖)と記される者に対応する。その妹が神武天皇の皇后となった媛蹈鞴五十鈴媛命(伊須気余理比売)であり、事代主神の娘であった(『書紀』の一書)。

鳥見大神とは、

印西市平岡の鳥見神社に伝わる古文書
総州印旛郡平岡の郷に鎮ります鳥見大神
饒速日尊、御炊屋姫命、可美間見命の三坐也
中略
(印西市教育委員会所蔵)

神武帝は塩土老翁(しおつつのをじ)に勧められ『舟師を帥いて東を征』つ目的で河内国の日下邑(くさかむら)白肩から生駒山を越えて「中洲(うちつくに)」に入ろうとした折、強敵に遭遇します。皇師が連戦しても中々勝てなかった人物の名を書紀は「長髓彦」と記し、彼が神武に先駆けて「天より降った」櫛玉饒速日命(ニギハヤヒ)の妻・三炊屋媛(又の名は長髓媛、鳥見屋媛)の兄だと記録しています。
古事記は同じ場面を

その国より上り行でましし時、浪速の渡を経て、青雲の白肩津に泊てたまひき。この時、登美能那賀須泥毘古、軍を興して待ち向へて戦ひき。(中略)今に日下の蓼津という。是に登見毘古と戦ひたまひし時、五瀬命、御手に痛矢串を負ひたまひき。

と書いている。

宇摩志麻遅を祭神とする主な神社編集

物部神社(島根県大田市):宇摩志麻遅の没した地とされる
味鋺神社 (愛知県名古屋市):周囲に味鋺古墳群を持つ
石上神宮 (奈良県天理市):宇摩志麻遅の祀った布都御魂剣が、後に宮中

鳥見邑、登美邑がありて、それに因んだ名前。

「新撰姓氏録」に記録されている登美連
(速日命の六世孫、伊香我色乎命の後)

登美毘古、鳥見屋媛でわかるように、登美または鳥見の地に因んだ名前です。
更に書紀は「金鵄」の条において『長髓は、是、邑の本の号なり。因りて亦以って人の名とす。皇軍の瑞を得るに及りて、時人よりて鵄邑と号く。今、鳥見と言うは、是、訛れるなり』とわざわざ説明を添えている。

等彌神社 とみじんじゃ
鳥見山中に創建された二千年の歴史を有する古社で、12世紀初めに現在地に移築したと伝えられています。境内には石燈籠・文学碑が並立し、「上津尾社」・「下津尾社」を中心に摂末社七社と桜井市護國神社が鎮座され、一大霊場を形成しています。なお鳥見山は、神武天皇が橿原宮に即位し、皇祖天津神を祀って大孝を祈ったとされる建国の聖地。鳥見山の西麓を能登山ということから、当社はかつて能登宮とも称されていました。紅葉の名所としても有名。

式内社 大和國城上郡 等彌神社(能登三社の宮)
桜井市鳥見山 桜井線 桜井駅下車
祭神 大日孁貴尊(別殿二社) 高皇産霊命 神倭磐余彦命
神紋 左三つ巴
本殿 流造 三坪 境内 五八三三坪
由緒沿革  神武天皇鳥見山に霊時を樹立、皇 祖天津神を祀り大孝を申べ給えりと伝う。延 喜式神名帳に大和国城上郡に等弥神社とある 社なり。皇紀二千六百年に際し県社に列格す。
-『神社名鑑』-
桜井市にある。桜井駅から談山神社へ向う道の途中。広い境内には多くの末社がある。鳥見山は、神武天皇が橿原宮に即位し、皇祖天津神を祀って大孝を申し上げた地。

現在の祭神は大日孁貴尊だが、饒速日命とする説もある。本家の桜井市の祭神を誰かが、変更している。
「鳥見山」の麓にある等彌神社は天照大神や春日神ではなく、本来、登美連たちの祖とされるニギハヤヒ、登美の地の祖神の長髄彦などををお祀りしていた社だったはずですが、権力の移ろいに従って祭神も替わり、天永三年(1112)の豪雨による山崩れのため、鳥見山中から社殿も山麓に移さざるを得なかったと言います。

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饒速日と登美

 但馬故事記(但馬国志文書)
「天照国照彦櫛玉饒速日天火明命は、天照大神の勅を奉じ、外祖高皇産霊神より十種瑞宝(奥津鏡・辺津鏡・八握剣・生玉・死去玉・足玉・道反玉・蛇比礼・蜂比礼・品物比礼)を授かり、妃天道姫命と与(とも)に、坂戸天物部命・二田天物部命・嶋戸天物部命・両槻天物部命・垂樋天物部命・天磐船長命・天船山命・天楫取部命・稲年饒穂命・長饒穂命・佐久津彦命・佐々宇良毘売命・佐々宇良毘古命・佐伎津彦命等を率い、天磐船に乗り真名井原に降り、豊受姫命より五穀蚕桑の種子を穫て射狭那子獄に就き、真名井を堀り、稲の水種や麦菽黍粟の陸種を為べくこれを国の長田・狭田に植え昼夜生井・栄井の水を灌ぐ。すなわち、其の秋瑞穂の稲の可美稲野面に充ち狭し。豊受姫命はこれを見て大いに歓喜びて曰し給わく「あなに愛やし。命これを田庭に植えたり」と。然る後豊受姫命は天熊人命をして、天火明命に従って、田作りの御業を補佐けしめ、而して後高天原に上り給う。その後天火明命は五穀蚕桑の道を顕国(うつしくに)に起こし、大いに蒼生を幸い給う。この時国作大己貴命・少彦名命・蒼魂命は諸国を巡り視て高志国に駐り天火明命を召して曰く、「汝命、この国を領(うしは)き知るべし」と。天火明命は大いに歓びて曰く、「永世なり。青雲志楽国」と。故(か)れ此の地を名づけて志楽国と云う。(中略)天火明命は神功既に終り、徳また大いなり。美伊・小田井・佐々前・屋岡・比地の県を巡り視、田庭津国を経て、河内に入り哮峯に止まり、大和跡見(とみ)の白庭山に至ります。跡見酋長長髄彦の妹、御炊屋姫命を娶り、宇麻志摩遅命を生む。天火明命は高天原に在ります時、天道姫命を娶り、天香久山命を生む。天香久山命は天村雲命を生み~以下略。」
(但馬故事記:吾郷清彦著より引用)

神武の時代に剣根命を葛城の県主にしている。何故か、神社は宇陀にある。
磐余から山を東に行けば良い。

奈良県桜井市大字三輪字金屋、志貴御県坐 (シギノミアガタニイマス) 神社。

阿田都久志尼命。
神武の命によりオオミワの社を造り、即位前年の十月二一日にオオミワの神名備を祭っている。 
カヌナカワミミ(綏靖天皇) のオオモノヌシ (剣臣)。カヌナカワミミよりオオミワの姓を賜る。 
アウヱモロの娘ヌナタケ姫を娶り、イイカツとヌナソ姫を生む。 
綏靖天皇のスケ・アダオリ姫の祖父。
クシネがどこの県主にされたのか、ホツマツタヱには記載がない。記載がないのは、”記載する必要が無いほど当たり前な場所” ということで、”橿原宮が所在する県” ということなのだと思われる。橿原市久米町に 久米御縣神社 があって、祭神の一人に「天櫛根命」という人がいる。これは「アタツクシネ」を指すと思われるので、クシネは久米県の県主か。久米県についてはこの神社名しか残っていないので、当時の地理などは何もわからないが三輪山の近くであろう。延喜式には久米御縣神社は高市郡、大神神社は城上郡とある。一方東征の行賞で、ミチヲミが「クメの所」を賜っているが、これは久米県を賜ったのではなく、橿原宮に隣接する土地を宅地として賜ったものと考える。

剣主神社。 
奈良県宇陀郡大宇陀町宮奥。 
祭神:劔主根之命。
大宇陀町にはこの他にもう二社劔主神社がある。
カツラ姫(葛姫)。葛城国造ツルギネの娘。綏靖天皇の内侍。

天太玉命神社
ご祭神 天太玉命 大宮売命
豊石窓命 櫛石窓命
鎮座地 奈良県橿原市忌部町字一之道
祭神天太玉命は、斉部氏の祖神で『記』『紀』によると天孫降臨際の、天児屋根命とともに随行して、祭祀のことを掌って朝廷に奉仕したとある。その孫天富命も天種子命とともに、神武天皇に仕えて祭祀を担当して橿原宮の造営にも当ったが、当忌部の地に居住して一族の宗家となり、斉部氏を称した。その後、代々の子孫永くこの地方に土着、自らの祖先と斉部氏に縁故のある神霊をまつったのが、当社の起源である。
大宮売命は天太玉命の御女で、本名を天鈿女命と称する。豊石窓命、櫛石窓命は同体異名の神として強力無双の手力雄命の別号で、天太玉命の御子である。
後世この神を皇居の四方の御門の左右の鎮護として、豊石窓・櫛石窓命という二柱の神名を負わせて祭ることとなった。

 『高市郡神社誌』に一本木が往時天石門別命神社の所在地であったことは「太玉命社記」や「五郡神社記」に明らかで、今岡本天王社と称する当社こそ式内社天石門別命神社の名残であるべきに、明治初年の神仏分離令で杵築神社と改称、素盞鳴命を祭神として今日に及ぶと記している。

飛鳥坐神社 明日香村飛鳥
祭神
事代主命、高皇産霊神、飛鳥三日比売命、大物主命
由緒
   創祀年代は明らかではない。大己貴命の女賀夜奈留美命を飛鳥の神奈備に奉祀した事に始まるという。 出雲国造神賀詞は、大穴持命が国土を天孫に譲って出雲の杵築へ去るに当たって、自らの和魂と子女の御魂を大和に留めて皇室の守護とすべき事を誓うが、その中に「賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の神奈備に坐せて」とある。 従って祭神の飛鳥三日比売命とは賀夜奈留美命の事であろう。
 延喜式神名帳には飛鳥坐神社四座とあり、大御和の大物主命、葛木鴨の阿遅須伎高孫根命、宇奈提の事代主命、飛鳥の賀夜奈留美命の四神を合祀したものと考えられている。 他にも説が多く、八重事代主命、高照光姫命、木俣神、建御名方富命との説もある。
 高照姫は加夜奈留美の別名とする説明もある。木俣神がここに出てくるのも不思議であるが、諏訪の建御名方富命が登場するのも興味のある所である。
 境内に飛鳥山口神社が鎮座している。
お姿
  飛鳥の神奈備とはどこであるのかについても諸説がある。現社地は鳥形山に鎮座しているが、橘寺の南のミハ山や甘樫丘、その北側の雷岡などの説がある。

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神武朝の県主
大倭 大和国 神武朝 椎根津彦命
葛城 大和国 神武朝 剣根命
凡河内 河内国 神武朝 彦己曽保理命
山城 山城国 神武朝 阿多振命
伊勢 伊勢国 神武朝 天日鷲命 天降る神・天牟久努命
素賀 神武朝 美志印命
紀伊 紀伊国 神武朝 天道根命 神皇産霊命の五世孫
宇佐 宇佐国 神武朝 宇佐都彦命 高魂尊の孫
津嶋県直 対馬 神武朝 建弥己己命 高魂尊の五世孫

饒速日の子供

1、伊怒比売 神活須毘神(神皇産霊神) 猿田彦命
2、三穂津姫
(天道姫・市杵島姫) 高皇産霊神 阿遅鉏高日子根神
3、御炊屋姫 長髄彦(兄) 宇麻志麻手命
4、天知迦流美豆比売(香用比売とも) 飛騨王家
事代主命(大山咋命)下照姫(加夜奈留美命)御歳神

主な神社

摂津東成 (元)磐船神社「大阪城地(石山本願寺跡、元四天王寺跡か)」 
河内/大和   饒速日山(草香山) 生駒山北部
河内茨田 式内 石切劔箭神社東大阪市中石切町
河内茨田 式内 枚岡神社 東大阪市出雲井町
摂津住吉 楯原神社 大阪市平野区喜連4
河内若江 式内 御野県主神社 八尾市
河内高安 式内 玉祖神社「櫛明玉命 または 玉祖神、
イザナギ命、イザナミ命、宇麻志麻治命、ほか」八尾市神立443番地
河内高安 式内 都夫久美神社「宇摩志摩治命」大阪府八尾市大字水越575 
河内石川 磐船大神社 南河内郡河南町
摂津住吉 式内 楯原神社 大阪市平野区
和泉大鳥 式内 大鳥大社「日本武尊、大鳥連祖神」堺市鳳北町
和泉和泉 式内 曽禰神社 泉大津市
式上 志貴御県坐神社
式上 等弥神社(桜井市)
式上 秉田(ひきた)神社(曳田神社:城上)(桜井市初瀬白河)
式下 富都神社「武雷神、登美屋彦命、登美屋比売命」(田原本町大字富本)
式下 倭恩智神社(海知町)
式下 岐多志太神社「天香山命」磯城郡 田原本町 伊与戸 143
十市 竹田神社「天香久山命 または火明命」橿原市 東竹田町 495
高市 櫛玉命神社(明日香村)
山辺 三島神社「布留御魂神」天理市 三島町 92-1
添上 伊弉諾神社「元登弥神社(生駒市上町長弓寺内大宮牛頭天王)」『白鳥上』233
添上 八幡神社「応神天皇、宇麻志間遅命」(水間町字ミヤ)
添下 登弥神社 奈良市 石木町 648-1
添下 矢田坐久志玉比古神社
広瀬 饒速日命社「櫛玉饒速日命」は広瀬大社「若宇賀能売命、櫛玉命」の末社)川合字久保田99
広瀬 櫛玉姫命神社(広陵町)
葛下 葛木二上神社「大国魂神、豊布都魂神」葛城市當麻町染野 691
忍海 葛木坐火雷神社「天香山命」葛城市新庄町 笛吹 448
忍海 笛吹若宮神社「天香山命」葛城市 新庄町 薑95
忍海 笛吹若宮神社「天香山命」葛城市 新庄町 新町58
忍海 笛吹若宮神社「天香山命」葛城市 新庄町 南花内24
葛上 春日神社「天香山命」御所市 柳原 973
吉野 玉置神社「十種神寶」吉野郡 十津川村 玉置川1
吉野 竹筒神社 「高倉下命」吉野郡 十津川村 竹筒 210
宇陀 高角神社「高倉下命」宇陀郡 大宇陀町 守道 776
宇陀 椋下神社「高倉下命」宇陀郡 榛原町 福地 1

丹後竹野 石久久里神社「天香山命」 京丹後市丹後町力石右ヤシキ695
丹後熊野 深谷神社「高倉下命」 京丹後市 久美浜町 栃谷岩手

山城葛野 木島坐天照御魂神社 京都市 右京区 太秦 森ケ東町
山城紀伊 伏見神宝神社「天照大神」十種神宝を奉安(伏見区深草)
山城綴喜 朱智神社「配祀 天照國照彦火明命」(京田辺市天王高ケ峰25)
山城綴喜 石船神社 京田辺市 高船里 111
摂津菟原 鷺宮八幡神社「高倉下命」神戸市 東灘区 本山北町 6-2-28

播磨明石 可美真手命神社「可美真手命」神戸市 西区 押部谷町 細田1323
播磨揖西 粒坐天照神社「天照國照彦火明命」龍野市 龍野町 日山 463
播磨揖西 古宮神社「天照國照彦火明命」龍野市 龍野町 小神 542
播磨揖西 井関三神社「天照國照彦火明櫛玉饒速日命」龍野市 揖西町 中垣内 甲799-1
播磨宍粟 明神社「天火明命」宍粟 郡波賀町 上野 1295
播磨多可 石上神社「布都御魂神」西脇市 板波町 4

但馬城崎 絹巻神社「天火明命」豊岡市 気比 字絹巻 2585-1
但馬出石 伊福部神社「天香山命」豊岡市 出石町 中村 809
但馬出石 三柱神社「天香山命」豊岡市 出石町 暮坂 457

丹波氷上 高座神社「高倉下命 配 天火明命」氷上郡 山南町 谷川 3557
丹波氷上 兵主神社「天香山神」氷上郡 春日町 黒井 2967
丹波氷上 大歳神社 「天香具山命」氷上郡 山南町 太田 字五反田 59
淡路津名 岩上神社「布都御靈大神」淡路市 一宮町 柳沢 乙614
淡路津名 平見神社「布都御魂大神」淡路市 一宮町 江井 2586
淡路三原 石上神社「布都御魂命」南あわじ市 南淡町 賀集八幡 南462
紀伊名草 竈山神社「高倉下命、可美眞手命」和歌山市和田438
紀伊名草 藤白神社「饒速日命」海南市藤白448
紀伊名草 高橋神社「饒速日命」和歌山市岩橋1112
紀伊名草 丹生神社(田井ノ瀬)「宇摩志摩治命」和歌山市栗栖1
紀伊名草 射矢止神社「天香山命」和歌山市六十谷381
紀伊日高 天寶神社「高倉目命」日高郡南部川村高野244
紀伊日高 寶神社(財部王子)「大物主神:続風土記には社伝に饒速日尊とある」御坊市湯川町大字財部864
紀伊牟婁 王子神社 「高倉下命」西牟婁郡すさみ町和深川258
紀伊牟婁 八幡神社「高倉下命」西牟婁郡すさみ町防己556
紀伊牟婁 矢倉神社「高倉下命」東牟婁郡串本町高富429
紀伊牟婁 熊野速玉大社 摂社神倉神社「高倉下命」新宮市新宮1
紀伊牟婁 高倉神社「高倉下命」新宮市高田568
紀伊牟婁 小口高倉神社「高倉下命」新宮市熊野川町小口
紀伊牟婁 地主神社「高倉下大神」東牟婁郡串本町古田
紀伊牟婁 若宮八幡神社「高倉下命」東牟婁郡古座川町平井1175
紀伊牟婁 熊野本宮大社境内別社「高倉下命」田辺市本宮町本宮1110
紀伊牟婁 高倉神社「高倉下命」新宮市熊野川町 3座(日足625、赤城466、小口381)
紀伊伊都 信太神社「饒早日尊」伊都郡高野口町
紀伊牟婁 住吉神社 摂社権現神社「櫛玉饒速日命」田辺市大塔字鮎川1512
近江高島 熊野神社「味饒田命」高島郡 安曇川町 上古賀 1391 『日本の神々』371
近江高島 布留神社「布留大神」高島郡 安曇川町 横江 413
近江高島 津野神社摂社田部神社「饒速日尊 別に大国主命 また石神、大将軍」高島郡 今津町 北仰 316-1
近江浅井 弓削神社「可美眞手命」東浅井郡 びわ町 弓削 168
近江野洲 日吉神社「香具山姫大神」野洲郡 夜須町 小篠原 140
近江伊香 乃伎多神社「味饒田命」伊香郡 高月町 物部 850 
伊賀阿拝 高倉神社「高倉下命」上野市西高倉1046
伊賀阿拝 都美恵神社「配 布都御魂命」阿山郡伊賀町大字柘植町2280
伊賀阿拝 神明神社「合 布都御魂神」阿山郡伊賀町大字新堂1192-2
伊賀山田 葦神社「布都御魂神」阿山郡大山田村大字上阿波26
伊賀名張 積田神社「天火明命」名張市夏見2162
伊勢度会 八柱神社「邇藝速日命」度会郡南勢町田曽浦4720-1
伊勢多気 畠田神社「饒速日命、宇麻志麻治命」多気郡明和町大字中村1029
伊勢多気 西外城田神社「布留御魂」多気郡多気町大字野中289
伊勢多気 丹生神社「埴山姫命、彌都波能賣神 饒速日尊ほか」多気郡勢和村大字丹生3999
伊勢飯高 式内 物部神社 伊勢寺神社に合祀「天火明命」 松阪市伊勢寺町972
伊勢一志 式内 物部神社「宇麻志摩遲命」久居市新家町563 
山辺の行宮式内物部神社と往昔より言い伝えがあったが、寛保元年の大洪水により巻物などが消失した。
伊勢安濃 置染神社「神饒速日命」津市大字産品84
伊勢安濃 大市神社「配 布都御魂神」津市岩田6-24
伊勢安芸 明神社「饒速日命」安芸郡芸濃町楠原303
伊勢安芸 多爲神社「合 天火明命」津市大里睦合町1525
伊勢安芸 黒田神社「合 布留御魂命」安芸郡河芸町大字南黒田1649
伊勢安芸 事忌神社「合 布留御魂命」安芸郡河芸町大字高佐579-1
伊勢三重 式内 穂積神社の論社 福王神社「合 天火明饒速日命」三重郡菰野町大字田口2404
伊勢三重 式内 加富神社「天饒速日命」四日市市山田町2187
伊勢三重 福王神社「天火明饒速日命」三重郡菰野町大字田口2404 大字田口の穂積神社を合祀
伊勢朝明 穂積神社「饒速日命 配 伊香我色雄命」四日市市広永町1553、朝明郡)
伊勢鈴鹿 忍山神社境内穂積社「饒速日命」
志摩英虞 八雲神社「合 饒速日神」志摩郡志摩町片田2392
紀伊牟婁 八重垣神社「伊邪那岐命 合 邇藝速日命」
紀伊牟婁 牛鼻神社「高倉下命」南牟婁郡紀宝町鮒田1509
紀伊牟婁 牛鼻神社境外摂社宇田神社「饒速日命」南牟婁郡紀宝町
紀伊牟婁 相野谷神社「高倉下命」南牟婁郡紀宝町大里1672
紀伊牟婁 烏止野神社「饒速日命」南牟婁郡鵜殿村打野

  

天香山の社の中の土を取りて、天平瓮八十枚を造り、併せて厳瓮を造りて、天神地祇を敬い祭れ       「日本書紀」神武、即位前紀

これは忍坂邑に大室を作って「宴饗」を催す直前の「戌午年九月」条にある文言なのですが、天神の訓(おしえ)通りに祭りごとを行った神武が無敵の活躍をしたのは言うまでもありません。皇祖アマテラスそして初代大王の何れとも強い縁で結ばれた霊山香久山、その北麓の一角に天香久山神社が鎮まっています。社の

正式な名称は「天香山坐櫛真智命神社」といい祭神は櫛真神であるとされています(「延喜式」神名帳によれば京中坐神三座の一柱として久慈真智神、クシマチノミコト[大和国十市郡に天香久山坐櫛真命神あり、の註]が上げられている)。「クシマ」あるいは「クシマチ」とは一体誰の事を指しているのか?神話伝承の流れからは、当然、この社には知恵の神様である思兼神が丁重に祀られていなければならないはず…。或いは、アマテラスの為に日矛を鍛えた天津麻羅や石凝姥が祀られていても不思議ではありません。「クシ」という言葉の音からは直ぐに「久斯神」が思い起こされます。角鹿から戻った品陀和気命(応神帝)を迎えて喜んだ母親の息長帯日売命(神功皇后)は歌を詠んで歓待します。

  この御酒は 我が御酒ならず 酒(くし)の司 常世に坐す 石たたす 少名御神の 神壽き 壽き狂ほし 豊壽き 壽き廻し 献り来し御酒ぞ 乾さず食せ ささ

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ja.m.wikipedia.org/wiki/大物主

大神神社の祭神、倭大物主櫛甕魂命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)。『出雲国造神賀詞』では大物主櫛甕玉という。

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