高天原はどこか?

素戔嗚と高天原

古物神社(福岡県鞍手郡古月村大字古門字西山)に次のような伝承がある。
「八幡宮の縁起に曰く、古門村は神代の昔、素盞嗚尊が高天原より出雲国に行く時の旧跡である。十握剣と素盞嗚尊を昔から祀る神社で、剣神社と号す。」

長門の須佐の神山

須佐之男命が、出雲の国から朝鮮半島に往き来したとき、須佐の地にとどまり、海路を望んだことから神山(こうやま)と命名されたという。
 この神山は現在の標高 532.8 mの高山で、山頂からは、美しい海食崖が数多く見られる須佐湾を一望できる。
頂上には強い磁力を帯びた岩が点在している。 この高山磁石石は国の天然記念物に指定されている。
素盞嗚尊命は朝鮮半島から製鉄技術を学んできていると思われ、帰る道すがら列島内で鉄が取れるところを探していたのかもしれない。

 高皇産霊神

高天原の事実上の最高神であること。皇居内八神殿の第二殿で祀られていること。数多くの神社に祭られていながら、具体的行動を示す伝承が存在しない。
また、娘の栲幡千千姫命を天忍穂耳命の妻としているので、日向津姫や饒速日尊とほぼ同世代である。饒速日尊死後大合併論議の中で、大和に使者の味耜高彦根命を送っている。

高皇産霊神には伝承上6人の子がいる。思兼命、栲幡千千姫命、天忍日命、三穂津姫、天太玉命、天活玉命である。この御子たちの思兼命・天忍日命・天太玉命・天活玉命の4人は饒速日尊と共に大和に降臨して以後マレビトとして活躍している。

古事記には高皇産霊神は独神で隠身であったと言われていることから、この神は特定の人物を指しているのではなく、系統名かもしれない。

IMG_2982.PNG

高木神社(嘉麻市小野谷1580番)
 祭神 高御産巣日神、神武天皇が東遷時ここにやってきて高皇産霊神を祀った。福岡県神社誌には、「本村は往昔、英彦山神社の神領地なりし依て英彦山に於いては当社を英彦山四十八大行事社の中にして本社はその首班に位せり。各地にある大行事社今は皆高木神社という。」 とある。

英彦山産霊神社(英彦山山頂付近) 
 往古高皇産霊尊鎮座の旧知であるという伝承がある。

 昔の英彦山の神領域の境界に大行事社を作り、その大行事社が高木神社であるというのである。地図上にプロットしてみると福岡県側にしかなく、すべて英彦山の北西部一帯の英彦山を中心とする半径45kmの北西部半円内に収まっている。前述の春日神社、高良大社もこの領域にある。また、高木神社の首班と言われている嘉麻市小野谷の高木神社を中心とする半径30kmの円内にすべての高木神社及び春日神社、高良大社が収まっている。