香春神社

香春神社は香春岳の一之岳の麓にある。709年に香春岳の三つの岳に祀られる神をここに合祀したものが始まりとされる。祭神は1,辛国息長大姫大自命(大目命とするものもある)、2,忍骨命、3,豊比賣命の3神である。

辛国(カラクニ)息長大姫大自命は、辛国から来た神とされる。もともと『豊前国風土記』に香春は「新羅神」を祀ると書かれていた。新羅仏教系の信仰を持った、銅採掘集団である秦氏がいたと考えられている。近くには呉川も流れ、字名にカラ、クレがつくものが多いと言われる。忍骨はアマテラスの第一子であに二の岳に祀られるが、石灰岩の現れる山の状態。豊比賣は神武天皇の外祖母とされ、三の岳に祀るとされるが、元々銅が採れたのは三の岳である。これらの神は元々一柱であったものを、三山信仰の影響で3つに分けたという説もある。

香春神社は、803年に最澄が遣唐使として唐に行く前に、ここで旅の安全を祈願している。最澄は帰国後ここに立ち寄り、旅の無事を報告し、神宮院など天台宗(当時)の寺院を建て、比叡山との関係を深めている。その関係で、一之岳に山王権現を勧請した。本殿裏に山王社(山王権現)が祀られている

香春神社の由緒書きを次に抜き出します。
一、祭神及創立
第一座~辛国息長大姫大目命 
第二座~忍骨命 
第三座~豊比売命 

 当神社は前記三柱の神を奉斎せる宮祠にして、遠く崇神天皇の御宇に創立せられ、各神霊を香春岳上頂三ケ所に奉祀せしが、元明天皇の和銅二年に、一之岳の南麓に一社を築き、三神を合祀し香春宮と尊称せらる。
 延喜式神名帳に在る、豊前一の宮六座の内の三座なり。

二、祭神の御身分
 第一座辛国息長大姫大目命は神代に唐土の経営に渡らせ給比、崇神天皇の御代に帰座せられ、豊前国鷹羽郡鹿原郷の第一の岳に鎮まり給ひ、第二座忍骨命は、天津日大御神の御子にて、其の荒魂は第二の岳に現示せらる。第三座豊比売命は、神武天皇の外祖母、住吉大明神の御母にして、第三の岳に鎮まり給ふ、各々三神三峰に鎭座し、香春三所大明神と称し崇め奉りしなり。

この由緒の中で色々参考になることがあります。
第1に

「豊比売命は、神武天皇の外祖母、住吉大明神の御母」の記事です。
系図上では神武天皇の母は玉依姫ですから外祖母とは豊玉姫のことでしょう。
豊玉姫の子供はウカヤフキアヘズ命(住吉大神)です。系図とぴったりです。この由緒書きは信頼できると言えます。
したがって豊比売命=豊玉姫です。

第2に

「忍骨命は、天津日大御神の御子」の記事です。
系図上は忍骨命の母は「天照大神」です。
したがって天津日大御神=天照大神です。

第3に

辛国息長大姫大目命は「崇神天皇の御代に帰座せられ」の記事です。
崇神天皇より前の時代の神ということになります。
神功皇后と同じ名前ですが、神功皇后は崇神天皇の4代後ですから別の神です。
ということは、神功皇后の名前「息長帯比売命」は第一座祭神の「辛国息長大姫大目命」からいただいたものと言うことになります。