蘇我氏

蘇我氏の系図
入鹿ー蝦夷ー馬子ー稲目ー高麗ー韓子ー満智ー石川宿禰ー武内宿禰

高麗、韓子などがあり渡来人ではないのかと言う説もあります。
「紀氏」の系図は、蘇我氏と同じ武内宿禰を祖とすることから、蘇我氏の系図も書かれています。
その中には「馬背宿禰亦曰高麗」と書かれています。つまり、稲目のお父さんの本当の名前は馬背であり、高麗とも呼ばれたという。
「馬子」の名前は馬背の子供だから馬子と理解できる。
どうして「高麗」と呼ばれたか
お母さんが高麗毘賣(こまひめ)なんです。高句麗の姫を妻に迎えていたんです。

紀氏家牒

家牒曰、蘇我石河宿祢家、大倭国高市県蘇我里。故名云二蘇我石河宿祢一。蘇我臣・川辺臣之祖也。

家牒曰、紀武内宿祢者、人皇第八代孝安天皇曽孫、屋主忍武雄心命之嫡男・母曰山下影媛一、紀伊国造道彦之女。故名曰二紀武内宿祢一。或産二紀伊国一故名。 幼而聡明叡知、有二雄略之気一。及長貌容壮麗、有二任真之心一。歴二事六代君一、凡春秋二百八十余歳。家大倭国葛城県五処理。一、今葛城里、玉手里、博多里、賀茂里、室里等是也、墓在二彼処一。

系図伝曰、蘇我稲目宿祢者、蘇我石河宿祢之玄孫、満智宿祢之曽孫、韓子宿祢之孫、馬背宿祢亦曰二高麗一之子、歴二事宣化・欽明両朝一、為二大臣一。

家牒曰、韓子宿祢男、蘇我馬背宿祢、亦曰二高麗宿祢一。

紀氏家牒曰、蘇我石河宿祢家、大倭国高市県蘇我里。故名云二蘇我石河宿祢一。蘇我臣・川辺臣之祖 也。

氏家牒曰、馬子宿祢男、蝦夷宿祢家、葛城県豊浦里。故名曰二豊浦大臣一。亦家多貯二兵器一、俗云二武蔵大臣一。母物部守屋大連亦曰二弓削大連一。之妹、名云二太媛一也。守屋大連家亡之後、太媛為二石上神宮斎神之頭一。於レ是、蝦夷大臣以二物部族神主家等一為レ僕、謂二物部首一。亦云二神主首一

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