菊理媛

菊理媛

伊邪那美神は、火の神迦具土神を生み神去って黄泉国に行ったが、 そのため黄泉大神ともいわれている。 追って来た伊那那岐神は、変わり果てた妻・伊邪那美神の姿に驚き逃げ帰り、 黄泉平坂まで逃げた伊那那岐神と伊邪那美神とがいい争っていた時、 菊理媛神が助言をしたので、伊邪那岐神が無事に死の国を脱出することができた。

この説話から、菊理媛神は伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせたとして、縁結びの神とされている。また、死者(伊弉冉尊)と生者(伊奘諾尊)の間を取り持ったことからシャーマン(巫女)の女神ではないかとも言われている。ケガレを払う神格ともされる。

神名の「ククリ」は「括り」の意で、伊奘諾尊と伊弉冉尊の仲を取り持ったことからの神名と考えられる。他に、糸を紡ぐ(括る)ことに関係があるとする説、「潜り」の意で水神であるとする説、「聞き入れる」が転じたものとする説などがある。

『秀真伝』

菊理媛神が、天照大御神の伯母
であるとともにその養育係であり、また万事をくくる(まとめる)神だと記されている。

白山比咩神

白山比咩神と同一とされるようになった経緯は不明である。白山神社の総本社である白山比咩神社(石川県白山市)の祭神について、伊奘諾尊・伊弉冉尊と書物で書かれていた時期もある。菊理媛を白山の祭神としたのは、大江匡房(1041年-1111年)が扶桑明月集の中で書いたのが最初と言われている

14世紀に天台僧によって書かれた『渓嵐拾葉集』には、「扶桑明月集云、・・・八王子近江國滋賀郡小比叡東山金大巌傍天降。八人王子行卒。天降故言八王子。 客人宮桓武天皇即位延暦元年天降。八王子麓白山妙理権現顕座。」とある

文明元年(1469年)に吉田兼倶が撰したとされる二十二社註式には、「扶桑明月集云、・・・客人宮第五十代桓武天皇即位延暦元年、天降八王子麓白山。菊理比咩神也。」とあり、『大日本一宮記』内には菊理媛が白山比咩神社の上社祭神として書かれている。

その後の江戸時代の書物において白山比咩神と菊理媛が同一神と明記されるようになった

丹後風土記

聴部神社(友重)

「室尾山観音寺神名帳」「熊野郡八十四前」

正三位 聞部(キコベ)明神『丹後旧事記』

聞部神社。止裳志気村。祭神=聞部大明神 菊理媛命。

神伝止裳志気の文字に篭れり神代菊部の里といふ故に神号とす川上麻須郎勧請なり。
『京都府熊野郡誌』

聴部神社。式内村社。海部村大字友重小字式の谷鎮座。祭神不詳。案ずるに菊理媛命を祀る。

由緒=式内社にして、延喜式には聞部とあり、今聴部神社といふ。明細帳には祭神不詳とあれど、神名帳考証には菊理媛命水分神と記せり。按ずるに社名の起りは祭神菊理媛の約音より起れるものにて、クリのキとなり媛のヘとなりキキベと称するに至れるなり。されば祭神の菊理媛命たるは当然の帰結論にして、蓋し誤なきが如し。而して当社の創立は最も古く、人皇第十代崇神天皇の代の創建にして、丹後一覧記等に言へる如く、川上摩須の勧請に係れる処なりといへり。明治四十五年幣帛神饌料供進神社として指定せられ、益々尊崇の厚きを致せり。

氏子=七十七戸。

境内神社。稲荷神社。祭神=豊宇気毘売神。

城末神社。祭神=不詳。元小字高西谷に鎮座ありしが、明治四十年十二月三日付を以て境内移転の義を認可せられ、現地に奉安す。祭神は城主小国若狭守友重の霊を祀れりと伝ふ。天正十年九月二十六日戦死す。今東岳寺に位牌を存す観音寺殿前若州大守月桂宗視大居士之なり。
『丹後史料叢書』「丹後国式内神社取調書」

聞部神社

【覈】友重村【明細】同上祭神忍穂耳命祭日九月九日【道】所庇同上聞部大明神ト云旧事ニ筑紫聞物部アリ此氏ノ祖ヲ祭レルナラム【豊】同祭日九月九日)(志は丹波志・豊は豊岡県式内神社取調書・考案記は豊岡県式社未定考案記・道は丹後但馬神社道志留倍・式考は丹後国式内神社考・田志は丹後田辺志)

友重は中世以降の地名で古名を菊部の里という
当地の古代史を秘めた興味引かれる社が残されていた、加悦谷の奥にも菊部神社がある、これらの由緒は「丹後但馬神社道志留倍」の、旧事ニ筑紫聞物部アリ此氏ノ祖ヲ祭レルナラムが正解ではなかろうか。豊前国の企救(きく)郡にいた天日槍一族が当地へやってきたものと思われる。企救郡は今は消滅してないがだいたい福岡県北九州市門司区のあたりになる。関門海峡に突き出した半島を企救半島というし、洞海湾を企救浦とか呼んでいる。
参照

廣田神社と六甲山

務古の水門(むこのみなと) 尼崎市・西宮市の武庫川河口付近 皇后の船は難波に向ったが海中で回転して進まなかったので務古(むこ)の水門へいって占った。「書紀」神功摂政元年二月条(ちなみに「むこ」が「六甲」地名の由来「ろっこう」はその音読み。
廣田ノ国(ひろたの・くに)摂津国廣田神社、西宮市大社町 務古の水門での占いの結果天照大神が言われるのに、「わが荒魂(にきみたま)を皇后の近くに置くのは良くない。廣田国に置くのがよい」と。山背根子(やましろのねこ)の女、葉山媛に祀らせた。  
「書紀」神功摂政元年二月条