筑前の夜須、天の安国

筑前の夜須は、日本書紀では「安」と書かれる。
アマテラスが石屋戸に隠れたあと、神々が合議した安の河原とはどこか?

記紀によれば、アマテラスが石屋戸に隠れたあと、神々は安の河原(古事記:天安之河原、日本書紀本文:天安河邊)に集合して、オモヒカネノカミ(古事記:思金神、日本書紀本文・第一の一書:思兼神、旧事紀・天神本紀・同国造本紀:八意思金神)に思わしめて、アマテラスを石屋戸から出す方策を練ります。

羽白熊鷲を退治した朝倉市を安という。

日本書紀の神功皇后
羽白熊鷲と安(やす)
20日にソソキ野に着いて、すぐに兵を挙げて羽白熊鷲を討って滅ぼしました。皇后は側近に語って、「熊鷲を討ち取った。これで私の心は安らかだ。」と言いました。それから、そこを名付けて安(やす)と言うようになりました。

25日に移動して山門県(やまとのあがた)に着いて、即座に土蜘蛛の田油津姫(たぶらつひめ)を討ち取りました。その時、田油津姫の兄の夏羽(なつは)が軍勢を興して、迎え討ちに来ました。しかし妹が殺された事を聞くと、そのまま逃げました。

「日本書紀」に「安国」の文字が見えます。

「昔伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、此の国を目(なづ)けて曰(いわ)く、日本は浦安国(うらやすくに)、細(くはし)戈千足国(ほこちたるくに)、磯輪上秀真国(しわかみのほつまくに)」とあります。「浦安国」の「うら」は心を意味し、「安国」は安らかに治まる国、泰平の国の意味であり、『延喜式祝詞』の「祈念祭」には、「四方(よも)の国を安国と平らけく」とある。国の内外の平和を祈る言葉として、「安国」が使われています。

天安川神社
大和の重阪の天安川神社の祭神が天之尾羽張(あめのおはばり)、新田の天安川神社の祭神が伊都之尾羽張(いづのおはばり)、樋野の天安川神社の祭神が市杵島姫命です。

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