日子坐王、神功皇后、

日子坐王と山代之荏名津比売
|
大俣王、小俣王(当麻匂君の祖)、志夫美宿禰王(佐々君の祖)

大俣王
|
曙立王(伊勢の品遅部君、佐那造の祖)
菟上王(比売陀君の祖)

次の妃
日子坐王と沙本之大闇見戸売(春日建国勝戸売の子)
|
沙本毘古王(日下部連、甲斐国造の祖)
袁邪本王(葛野之別、近淡海蚊野之別の祖)
室毘古王(若狭之耳別の祖)

注意
・沙本毘売命は第11代垂仁天皇の后となる
・兄の沙本毘古王の謀反に従う

三人目の妻
日子坐王と息長水依比売
|

天之御影神(近江の御上祝が祀る祭神、安国造の氏神)
丹波比古多多須美知能宇斯王(美知能宇志王)
水穂真若王(近淡海の安直の祖)
神大根王(三野国之本巣国造、長幡部連の祖)
水穂五百依比売
御井津比売

丹波比古多多須美知能宇斯王と丹波之河上之摩須郎女
|
比婆須比売命
真砥野姫命(竹野媛、垂仁天皇に醜女と嫌われ自殺したという)
弟比売命
朝廷別(三河之穂之別の祖)

四人目の妻

日子坐王と袁祁都比売命

|
山代之大筒木真若王
比古意須王

山代之大筒木真若王と丹波能阿治佐波毘売(伊理泥王(母の弟)の娘)
|
迦邇米雷王(高材比売、父は丹波之遠津臣)
|
息長宿禰王(妃は葛城之高額比売)
|
息長帯比売命(気長足姫尊、神功皇后)
・第14代仲哀天皇の皇后

竹野媛。 タニハチヌシの娘。
垂仁天皇(イクメイリヒコ) の妻に召されるも返され、恥じて自ら輿より落ちて罷る。
この死地を乙訓(オチクニ)郡と呼び、京都市伏見区に羽東師(ハズカシ) の地名が残る。

羽束師坐高御産日神社。
京都府京都市伏見区羽束師志水町。
祭神:高皇産靈神、神皇産靈神。

日本書紀垂仁天皇三十九年「冬十月(中略)泊橿部等并せて十箇の品部(とも のみやつこ)もて五十瓊敷皇子に賜う」と記され又、「令集解」の職員令の中には「 泥部=泊橿部とは古の波都加此の伴造を云う」とあります。何れにしても、「はつかし」と名乗る職業をもった人々の集団が、大宝令制に組み入れられる以前から、この 地域に生活していたということが分かります。また古くから「羽束師の森」と言われており、入水した竹野姫の霊を祀った森ではないかともされている。山陰道の起点にあたり、当地を乙訓と称するのは堕国と言われたからとの理由である。

五十瓊敷入彦命。
垂仁天皇(イクメイリヒコ) とヒハス姫の第一子。斎名:ヰソキネ。争の守。
景行天皇のスケ・ヰカワ姫の父。
高石池、茅渟池、狭城池、迹見池を掘る。
『アカハダカ』の千剣を造り、石上(イソノカミ) に納める。その功により十品部を賜る。

市川臣命。春日の県主。
ニシキイリヒコはアカハタカと名付けた千剣を忍坂に置くが、イチカワに降りた神託によってイソノカミヘ遷す。そしてイチカワをイソノカミの司となした。

奈良県天理市布留町、石上 (イソノカミ) 神宮。

★市川臣命は第5代孝昭天皇の皇子天足彦国押人命の七世孫。ヒコクニフクの四世孫。米餅搗大使主命(タガネツキノオオミコトノミコト) の御子でその家は豪族春日臣の一族にて、垂仁天皇の御代すでに石上神宮に奉仕せらる。その子孫を布留宿禰と称し、祭主物部連に副って永く祭祀に奉仕せられ、社職の祖として配祀せらる。
★『新撰姓氏禄』市川臣、大鷦鷯天皇の御世、倭に達でまして、布都努斯神社を石上の御布瑠村の高庭の地に賀ひまつりて、市川臣を以て神主と為たまふ。

高橋神社
和珥氏の太祖ともいえる日子坐王の子、沙本毘売命&沙本毘古王の本拠地である佐保川の辺にあり、和珥氏の勢力圏内といえるので、和珥氏系としてよいと思う。