忌部、天太玉命

日神の、天石窟(あまのいはや)に閉(こも)り居(ま)すに至りて、諸の神、中臣連の遠祖興台産霊(こごとむすひ)が兒天兒屋命(あまのこやねのみこと)を遣(まだ)して祈(の)ましむ。是に、天兒屋命、天香山の真坂木(まさかき)を掘(ねこじに)して、上枝には、鏡作の遠祖天抜戸(あまのぬかと)が兒石凝戸辺(いしこりとべ)が作れる八咫鏡(やたのかがみ)を懸け、中枝には、玉作の遠祖伊奘諾尊(いざなぎのみこと)の兒天明玉(あまのあかるたま)が作れる八坂瓊(やさかに)の曲玉を懸け、下枝には粟国(あはのくに)の忌部(いみべ)の遠祖天日鷲(あまのひわし)が作(は)ける木綿を懸(とりし)でて、乃ち忌部の首(おびと)の遠祖太玉命(ふとたまのみこと)をして執り取(も)たしめて、広く厚く称辞(たたへごと)をへて祈(の)み啓(まう)さしむ。
(岩波書店 日本書紀 上 )

 「日本書紀」の本文では、思兼命が指揮を執り、天太玉命と天兒屋命に命じて御幣を作らせて、相共に祈祷したことになっている。
 「古事記」では、思金神(思兼命)が発案して神々が準備した御幣(みかぐら)を、布刀玉命(太玉命)が持って、天児屋命が詔戸(祝詞)したことになっている。
 忌部氏が平城天皇に撰上した「古語拾遺」によると、思兼命が指揮を執り、天太玉命が諸神を率いて和幣(にぎて)を作らせ、天太玉命と天兒屋命(神皇産霊神の兒となっている)が一緒に祈祷したことになっている。

天太玉命神社
奈良県橿原市忌部町にある神社。
式内社(名神大社)で、旧社格は村社。
主祭神は次の4柱。
天太玉命 – 忌部氏祖。
大宮売命
豊石窓命
櫛石窓命
歴史編集

当地は現在も地名を「忌部」と称するように古代氏族・忌部氏の本拠地であり、忌部氏の祖神である天太玉命を祀る当社は、その氏神として祀られていた。

国史では、貞観元年(859年)には従五位上の神階に叙せられているほか、貞観10年(868年)には飛鳥神の四裔神の記載がある。また『延喜式』神名帳では大和国高市郡に「太玉命神社四座 並名神大 月次新嘗」として、名神大社に列するとともに月次祭・新嘗祭で幣帛に預かった旨が記載されている。

「古語拾遺」によると、天日鷲は太玉命に従う四柱の神のうちの1柱である。太玉命の孫天富命が、天日鷲の孫(阿波忌部氏系図では由布津主命)を率いて、阿波の国(徳島県)、更に総の国(千葉県)を開拓したとある。阿波忌部氏の系図によると、天日鷲命は太玉命の義理の兄弟で、天富命と由布津主命の娘は夫婦である。尚、四柱の神とは以下の通りである。
 天日鷲命(アメノヒワシ/阿波国忌部の祖)、
 手置帆負命(テオキホオイ/讃岐国忌部の祖)、
 彦狭知命(ヒコサシリ/紀伊国忌部の祖)、
 櫛明玉命(クシアカルタマ/出雲国忌部の玉作りの祖)