出雲の古社、熊野大社

熊野大社

島根県松江市八雲町熊野2451
出雲の国一之宮。

出雲国風土記には熊野大社と杵築大社(現出雲大社)の二社のみが大社であり、熊野大社が筆頭だった。 出雲国造神賀詞でも「出雲の国の青垣山の内に、下津石根に宮柱太敷き立て、高天の原に千木高知りて坐す伊射那伎の日真名子、加夫呂伎熊野大神櫛御気野命、国作り坐しし大穴持命、二柱の神」と先に熊野大神の名が出る。

 日本書紀(720)に出雲國造をして厳神の宮を作らしむとの記載あり。出雲國風土記(733)、令義解(834)、日本三代実録(901)、延喜式(927)に熊野大神、熊野大社の記載あり。延喜式神名帳(927)に熊野坐神社と見え、日本火出初神社(ひのもとひでぞめのやしろ)とも称され、古来杵築大社(出雲大社)と並びて出雲の國の大社と遇された。意宇六社の一つ。
意宇六社とは、熊野大社(島根県松江市八雲町熊野2451)、眞名井神社(島根県松江市山代町字伊弉諾84)、揖夜神社(島根県松江市東出雲町揖屋字宮山2229)、六所神社(島根県松江市大草町)、八重垣神社(島根県松江市佐草町字八雲床227)、神魂神社(島根県松江市大庭町)。

出雲国風土記の意宇郡の寺・社の項に「熊野の大社」とあり、山野の項で、「熊野山。郡家の正南一十八里。檜・檀有り。所謂熊野大神の社、坐す」とある。熊野山は現在の天狗山で、熊野大社の旧鎮座地としている。(荻原千鶴「出雲国風土記」)。もとは、意宇川の上流にあり、熊野大神は稲魂の神であった。本殿左の伊邪那美神社は伊弉冉命(イザナミのミコト)を祀り、千木は女千木(めちぎ)である。本殿右の稲田神社は真髪觸奇稻田姫命(クシイナダヒメのミコト)を祀る。

出雲国風土記には「伊佐奈枳乃麻奈子坐熊野加武呂乃命(いざなひのまなご くまのにます かむろのみこと)」とある。本来、櫛御気野命は素戔嗚尊とは無関係であったものとみられるが、先代旧事本紀、神代本紀には「出雲国熊野に坐す建速素盞嗚尊」とあり、かなり古い時代から櫛御気野命が素戔嗚尊と同一視されるようになったと考えられる。
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