ブリヤート人、青銅器、

遺伝子と風貌の類似

D4j8という遺伝子はバイカル湖周辺で生まれ、ブリヤート人と日本人に分かれたそうだ。韓国人中国人にはほとんどないらしい。確かにブリヤート人は日本人にそっくりだ。

チベットに起源を持つ仏教徒らしい。

バイカル湖の東方の村  、日本人にそっくりのブリヤート人が住んでいるのは、ブリヤート共和国のマクソホン村という所だ。
平成一三年放映のNHKスペシャル『日本人はるかな旅』の第一集「マンモスハンターシベリアからの旅立ち」の製作を担当したNHKのディレクター(浦林竜太と戸沢冬樹)はマクソホン村の印象を次のように語っている

「ブリヤード人の住む村・マクソホン」
縄文人のDNAと完全一致するブリヤード人の住む村を特定することができたのである。村の名はマクソホン。
ウランウデから東に二五キロ、車で雪道を四時間。
ブリヤード人は昔から馬や羊の牧畜を行なってきた。
人口一六〇〇。この辺りでは比較的大きな村である。
 村に入ると、ブリヤードの民族衣装で着飾った大勢の人びとが、村の中心に向かって歩いて行く。二月二四日、この日はブリヤードの新年にあたる。
馬や橇に乗った村人の顔に釘付けになっていた。日本人の顔にあまりにもよく似ている
ブリヤードに入って以来、確かに日本人のルーツの地と言われるだけあって、日本人に似ている人も少なくはない。だが何か違和感がある。細長い目、極端に平べったい顔。大多数の人は日本人と言うよりモンゴル人に近いという印象だ。ところがここマクソホン村は、目の前を通り過ぎる村人の顔はまさしく日本人そのものだ。何故、この村の人たちはここまで日本人によく似ているのか。
そもそも遺伝学者がこの村でDNAサンプルを採ったのは、純粋なブリヤード人の遺伝子を手に入れたいという理由からだった。ブリヤード共和国にもブリヤード人以外の民族が少なからず暮らしている。特に革命後、数多くのロシア人が移り住み、ブリヤード人との間で混血が進んだ。特に都市部で著しい。比較的純粋なブリヤード人の遺伝子が残されているのは都市から遠く離れた村である。と言うことで、比較的純粋な遺伝子を残しているブリヤード人と言うことになる。

日本人にそっくりなシベリア先住民族は、ブリヤード人だけではない。シベリアを代表する先住民族ヤクート人、北緯七〇度のツンドラでトナカイを追うドルガン人、極東の大河アムール河で魚を捕って暮らすウリチ人。広大なシベリア全土に、日本人によく似た人びとが散らばっている。(サイト『ブナ林の古代史』の中の「シベリアの氷河期の遺跡」より引用)

ブリヤート人はまさしく古代トルコ民族の末裔である。古代トルコや突厥の版図の北限がバイカル湖周辺であって、そこに至る中央アジア諸国(ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン)も古代トルコ民族の足跡が残っている。 

佐賀医科大学がDNA鑑定によって「日本人はバイカル湖畔のブリヤート人との共通点が非常に多く、朝鮮人、南中国人、台湾人などと共通する特徴を持ったのが各1体だったのに対して、ブリヤート人とは17体近くが共通していた」と発表したのは2001年である。

佐賀医科大学が縄文遺跡で発掘された人骨29体の歯から採取したDNAと、国立遺伝学研究所のデーター・バンクに保存されている132件のデーターと照合した。韓国、台湾、タイと一致したのは各1件だけで、17件がバイカル湖周辺に住むブリヤート人と一致するという驚くべきことが分かった。

縄文の始まり

バイカル湖周辺は約二万年前に人もマンモスも住めない極寒の時代を迎えて、ブリヤート人は東進を始めている。この人たちは一万三千年前には、シベリアのアムール川周辺に到達し、さらに地続きのサハリン、北海道を経て、まず本州の津軽地方に姿を現した。しかし、一万五千年前頃から地球は急激な温暖化に見舞われた。草原が少なくなり、日本列島は闊葉樹の森林に覆われることになる。狩猟を生業としてきたブリヤート人は、大型動物が少なくなって深刻な食糧不足に見舞われた。

一万二千年前に日本人は土器を使うことを覚えている。最初の用途は水を飲むことに使われたのではないか。人類が土器を使ったのは一万三千年前、シベリアのアムール川周辺で発掘されている。東進したブリヤート人はこの手法を日本列島に持ち込んだのであろう。

これが約一万年にわたった日本の縄文時代の始まりである。シベリアの土器に較べて日本の縄文土器は薄手で煮炊きに適している。私たちの祖先はシベリア土器を上回る世界でも有数の土器技術を持ったことになる。縄文土器が無ければ、日本列島に渡来したブリヤート人は絶滅していたかもしれない。闊葉樹林で採取したドングリやトチの実を煮ることによって、食用にする術を覚えた。

突厥

突厥文字の来源には,ルーン文字,フェニキア文字,アラム文字などがあるが,早い段階からソグド文字を借用したとする説が有力である。5世紀から8世紀にかけて中央アジアで活躍したソグド人が使った「仏教・草書体ソグド文字」を,古代トルコ語の音組織に適合するよう字形を調整したのが突厥文字である,という説である。しかし,実際には,ソグド文字と突厥文字の間には形態上の大きな差異が見られ,現在のところ,突厥文字の起源に関して納得いく説明はなされていない。ただ,音節文字の要素を持つこの文字が,セム系の文字を継承していることは確かである。

鉄勒(漢音:てつろく、拼音:Tiĕlè)
6世紀から7世紀にかけて、中央ユーラシア北部に分布した突厥以外のテュルク系遊牧民の総称。この中から回鶻(ウイグル)が台頭した。「鉄勒」という表記は勅勒,丁零などと同じく、Türkを音写したものと考えられている。

 
遺伝子

ユーラシア大陸東部・東アジアにおいてはこのようにO系統(とくにO3系統)という地域特異的なヒト集団の膨張が歴史的に続いてきて、この地域のDNA多様性を喪失させてきた。それはヒト集団の多様性の減少だけに留まらず、文化的多様性や言語的多様性の減少を引き起こしてきた可能性が考えられる。しかしこの日本列島は、ユーラシア大陸の東部に位置しているという地理的条件にありながら、東アジアでは存在が困難であったヒト集団(DNA亜型)が生き残ることができただけでなく、多くのヒト集団が共存し、ユーラシア大陸東部では消滅した言語が生き残るというきわめて貴重な文化的遺産の存続をこの日本列島は保証してきた。(崎谷満『DNAでたどる日本人一〇万年の旅』(二〇〇八年、昭和堂刊)三七頁)

低地遊牧民と青銅器文明

司馬遼太郎さんは、<シベリアには森林(タイガ)や河川で原始的な狩猟採取の生活をしているひとびとだけでなく、大小の遊牧集団も住んでいた。その最大のものが、バイカル湖畔に遊牧するブリヤート・モンゴル人だった。低地モンゴル人といってもいい。だからモンゴル高原のモンゴル人(古沢注記=高地モンゴル人)とは、別に考える必要がある。>と述べた。
さらに、<バイカル湖を中心に展開する高地には、古代中国の視野に、丁霊、堅昆、高車といった諸遊牧国家が存在していた。やがてかれらは匈奴に屈服し、併合された。(中略)バイカル湖西方のイエニセイ川右岸草原にミヌシンスク遺跡が発見され、これによってシベリアに紀元前三〇〇〇年というふるい時代に西方のオリエント文明の影響をうけた青銅器文化が存在していたことがわかった。>と指摘している。

蕎麦の原産地

ソバの原産地は,バイカル湖付近から中国東北地方に至る冷涼地域だった。またほろ苦い風味があるダッタンソバはヒマラヤ山麓が原産地だという。

日本にソバが伝わった年代は定かでない。

ヒマラヤ山麓では標高2500メートル地点から4000メートルまでの高地でダッタンソバが栽培されている。しかし2000メートル以下には普通ソバという品種がある。この普通ソバが中国を経て、日本に伝わったという。

世界最大のソバの原産地であるシベリアの普通ソバは、日本に伝わらなかったのであろうか。北海道の「はまなす遺跡」は縄文前期のものとみられるが、この遺跡から普通ソバの花粉が出土している。

縄文晩期とみられる青森県田子町の遺跡からもソバの花粉が出土している。信州の野尻湖底からは弥生時代の普通ソバの花粉層が発見されたので、ソバ伝来の歴史は、縄文前期まで遡って考える必要があり、ブリヤート人が日本に渡来してきた時に、シベリアの普通ソバを持ってきた可能性はどうか。