アルゼンチンの動向 歴史の記録

90年代の自由化と民営化

  • http://www.rieb.kobe-u.ac.jp/~nisijima/Sekaikeizaihyoron2001.2.PDF
  • 貿易・資本の自由化
    • ドル化
    • 経常収支悪化
    • 対外債務の拡大
  • 民営化
    • 公企業の民営化(エネルギー、鉄道・道路・港湾、電力、通信、年金、郵便)
    • 海外資本の流入(直接投資の4割が民営化関連)
    • 民営化一巡後は、投資案件不足(投資の収縮)
  • 競争による格差
    • 競争力のない企業・労働者の淘汰と失業・貧困・所得格差の拡大
    • 好調な国とそうでない国の格差の拡大
    • 資本・技術集約化と雇用の悪化、企業の生産性はup(雇用の総量が減少)
  • 金融不安・通貨危機の発生
    • 対外債務偏在に対し、外貨準備が不足。IMFに緊急支援を要請
    • 金融危機に対処できず、ドル化、債務不履行が発生

歴史

  • 概観
    • 一九世紀末、日本の明治維新と同じように近代化を急ピッチで進め二〇世紀初頭、一九三〇年頃までは世界第五位の先進国(経済大国)であったアルゼンチンは、一九六〇年頃から日本とは逆方向に急落する。
    • アルゼンチンは、70年代前半のペロン政権から軍政権を経て89年にメネム政権が誕生するまで、貿易・投資を含め経済一般が保護色の強い国であった。89年7月に登場したメネム政権は、当時中南米諸国に芽生えつつあった自由化、経済開放の旗頭として旧制度を抜本的に変革した。特に、90年代前半にアルゼンチンおよびブラジルを核とした南米南部共同市場(メルコスール)創設の機運が急速に高まると、アルゼンチンは域内貿易・投資の自由化の模範を志すかのごとく投資法を含む経済諸制度の完全実施に努めるようになり、これに呼応して先進工業諸国企業の投資も急増した。
  • 1980年代
    • 1980 年代に問題となったのは1 人当り所得の低下である。1980~90 年における1 人当り実質GDP の年平均成長率は-2.1%であった。周知のように,当時のアルゼンチンは累積債務危機にみまわれハイパー・インフレと経済停滞をわずらっていた。
  • 1982年、フォークランド諸島を巡るイギリスとの戦争でアルゼンチンは敗北
    • 翌年、「民主的政権」が復活した。その民主化の基礎固めをしたのが、ラウル・アルフォンシン大統領(急進党)。彼は、なんとか国を建て直そうと思ったが、膨張した公共部門の負担は大きく、歳出超過でやがてアルゼンチンは超インフレ経済に陥った。そしてその責任を取る形で、大統領は退陣を余儀なくされた
  • 1982年のメキシコ危機への対応
    • 債務支払停止に陥るのを避けるために国際通貨基金(IMF)や世界銀行、および米国政府の援助を取り付ける前に、利払いの停止を宣言
    • 初期の構造調整案では、いずれも通貨切り下げが強く推奨されていた。経済の主眼は債務支払のための外貨獲得に置き、国家財政の健全化によって、(中央政府の)公的債務という「競合相手」を排除し、対外債務を優先しなければならない。
    • 通貨を切り下げて競争力を高めるという政策はたしかに輸出を増大させるが、その反面、ほぼ同時にインフレが進行する。輸入品の価格は上がるため、財とサービスの価格は全体として上昇する。さらに、輸入業者は一儲けしようとして、投機的と呼ぶべき手口によって、通貨下落による物価上昇に便乗する。
    • インフレは金利の急激な上昇を招く。すると、今度は公的債務の利払いがかさみ始める。予算が(利払いさえなければ)収支均衡し、歳入超過すら見込まれていたとしても、財政赤字はふくらんでいく。
    • こうなると、国は利払いのために借金を重ね、インフレがさらに拡大し、対外債務を返済するための財源は目減りする。
    • このメカニズムは急速に抑制不能な暴走の様相を呈してくる。インフレは通貨の価値を失わせ、いっそうの悪循環を呼び起こす。
  • 1989年に年率4900%という異常な値に達し、社会の崩壊を引き起こした。(ハイパーインフレの誕生)
  • 1991年
    • 1980年代のハイパ-インフレへの対応から、1991年にドルとペソを1対1でリンクし、ペソの発行量をドルの外貨準備高の範囲に抑えるといういわゆるカレンシ-ボ-ド制がメネム大統領の時代に発足した。
    • アルゼンチンは、アメリカのドルに便乗する形で1ドル=1ペソと「憲法上で固定化」し、同時に、それまでの経済政策を一八0度転換して、自由化政策、具体的には「民営化の道」を歩み始めた。電話会社、航空会社、油田および石油精製所、電力会社などつぎつぎと国有企業を競売に掛けることによって、民営化していった。銀行でいえば、十行あった大手銀行の九つまでが外国資本の管理におかれることになったが、その分だけ外国から資本がどんどん入ってくることになった。外国資本によれば、1ドル=1ペソと憲法によって保証されているだけに、通貨危機の不安はなく、一方、アルゼンチン政府にすれば、すべての資本を競売にかけることによって巨額の利益を得た。いずれにせよ、これが「新しいグロバリゼーション下での新しい基準(スタンダード)」として評価され、アルゼンチンは伸びに伸びた。
  • 1993-2001年
    • カレンシ-ボ-ド制度の導入後ハイパ-インフレは収束し、経済の安定と共に欧米から大量のドルが流入してきた。一方で、ペソとドルをリンクさせた事から、1990年代には同国の経済のドル化が急速に進展し、自然発生的に普及し始めたドルの流通量は全体の4割、国内預金の6割がドル建て、自動車・住宅ロ-ンの8割がドル建て(一般的には日常取引はペソで行う一方で、不動産取引・自動車購入取引といった金額が大きい取引にはドルが使用される傾向があったと言える)という数字に表れているように企業だけでなく一般市民の間でもドル化が進んだ。
    • 1993年には、政府はGDPの約1.2パーセントの黒字を計上していた。米国連邦準備制度理事会が一連の金利引き上げを行い、米国の短期レートが3パーセントから6パーセントに上昇した
    • 1994年の2月に、政府の借入金の利子支払い額が循環的に増加し始め、とどまることがなかった。1994年12月に行われた、メキシコ・ペソの切り下げが致命傷となり、銀行は数週間のあいだに預金の18パーセントを失い、1994年最終四半期から1996年第1四半期までのあいだに、GDPが7.6パーセントも下落した。
    • 1996年下半期から1997年の第3四半期にかけて景気は回復したが、1997年8月にアジア金融危機の勃発とともに始まった衝撃に立ち向かうだけの大幅黒字を出すには、期間が短かすぎた。1998年の下半期までに、経済は再び不況に陥り、それから立ち直ることはなかった。
    • 要するに、メキシコ、アジア、ロシア、そしてブラジルの通貨危機と、債務の利子負担額の急騰が生み出した大きな衝撃に対抗するだけの大幅黒字を政府が蓄積し得たという筋書きがあり得たとは思えない。
  • 1998年
    • 1998年1月のブラジル金融危機によって、ブラジルは通貨の変動相場制へと移行せざるを得なくなり、1998年末で1ドルが1.9レアルとなり、通貨価値は約半分になった。アルゼンチンは固定相場制を維持したので、1ドルは1ペソで変わらず、ブラジルと比べて相対的に物の価値は約2倍となり、ブラジルから多くの商品が輸入されるようになり、国内産業が大きな打撃をこうむった。自動車工場、家庭電気製品の製造工場などが次々とアルゼンチンの工場を閉めて、ブラジルに移動するようになった。失業率は増え、2000年末で15.4%になっている。ウルグアイでは、13.9%、ブラジルでは、7.3%になっている
  • 1998-2000年
    • 1998年のロシア危機が波及して1999年の年明けにはレアルとドルのリンクを放棄して変動相場制度へ移行する事を余儀なくされたが、この影響で、ブラジルと比較したアルゼンチンの国際競争力はその後低下する事となった。
    • また、一方でカレンシ-ボ-ド制を取っている事によって不況時においても金融政策が引き締め気味に運営されざるを得ず、同国の景気が落ち込んでいた1999年~2000年頃にも拡張的な金融運営による景気刺激を取れない政府に対する不満が高まっていた。
  • 2001年 アルゼンチン金融危機
    アルゼンチンの財政赤字の総額はGDPの半分以下(45%)。
    1,400億ドル言われる公的対外債務
  • 1月、IMFはアルゼンチンに向かう三年間四〇〇億ドルの救済融資を約束した。「技術メモランダム」によって、アルゼンチンは財政赤字の削減を義務づけられた。二〇〇〇年には五三億ドルであった赤字額が、二〇〇一年には四一億ドルに縮小された。2000年9月、アルゼンチン経済が本格的な不況に入ったと言われていたにもかかわらず、IMFのエコノミストは、財政支出の削減という間違った処方箋を書いた。IMFが、アルゼンチンでしたことは、失業者手当ての二〇%削減、つまり月額二〇〇ドルを一六〇ドルに減らすことだった。しかし、失業者から毎月四〇ドルを取り上げても、財政赤字の解消には何の足しにもならない。そこで、公務員の給料を一二~一五%賃下げした。同時に年金の支払いを"合理化"、つまり、高齢者の年金を一三%減らした。
    • 2001年3月に経済財政大臣が相次いで辞任して対外的な信用不安が高まり、これを打ち消すために1991年にアルゼンチンにカレンシ-ボ-ド制度を導入した立役者として著名なカバロ氏が経済大臣に経済大臣に起用される事となった。 カバロ大臣が経済危機打開策として「産業競争力強化法」の導入を行ったが、この骨子は対外的な産業競争力を強化するために為替相場制度を「1ペソ=1ドル」から「1ペソ=0.5ドル+0.5ペソ」へと修正したもの(通貨発行高を外貨準備の範囲内に収めるという点は不変)である。
  • アルゼンチン政府は、すでに一二八〇億ドルという対外債務を抱えている。アルゼンチンの場合、ODAなどによる公的な債務ではなくて、主として米国の銀行から借り入れた民間債務が大きい。2001年に入って、米国の銀行は、アルゼンチンの債務に対して、これまでの利子に加えて、一六%のプレミアムを課した。その結果、アルゼンチン政府は、二〇〇一年の債務返済に際しては、このプレミアム分二七〇億ドルを余計に支払わねばならない。つまり、IMFが約束した二〇〇一年の二六〇億ドルの救済融資は、このプレミアム利子の支払いに回され、米国の銀行の懐に入る。ワシントンを出たカネはニューヨークに終わる。『ワシントン・ポスト』紙は、このようなIMFの救済融資に疑問を投げ掛けている。IMFの公的資金でもって、民間銀行の不良債権の肩代わりをすることになり、今後、銀行は、アルゼンチンのような途上国政府に、無責任な貸し付けを繰り返すだろう、というのである。アルゼンチン経済の成長を取り戻すためには、IMFの緊縮政策ではなく、むしろ巨額の債務を削減し、財政負担を軽くすることが先決である。これには、アルゼンチンが、「デフォールト(債務返済不能)」を宣言しなければがならない。『ポスト』紙は、ここで「国際破産法廷」による債務救済を提案している。参考:http://www.eco-link.org/jubilee/aruzen.htm
  • ドル建てで行っている定期預金を払い戻しできない状況
  • 通帳の残高表示としては存在しても、それに見合う実物のドルはない
  • 今回の危機が噴出する前にドルのかたちで逃避しているから問題はない。
  • 資産家や銀行の金融資産は外国に逃避させたことで、経済社会全体の視点でいれば、ドル預金に見合うドルがないのである
  • ペソがドルに対して1/3の価値になったことで、ペソ建て預金は実質価値が1/3。
  • 輸入品の価格は3倍前後
  • アルゼンチン政府は、「一定額以上の預金を国債証書に置き換える」という政策
  • IMFは、「変動相場制」と「緊縮財政」を条件とする融資を提案
  • “持ち逃げ金融資産”の回収はできない(しない)というコンセンサスは支配層でまとまっている
  • 負け組みは、小金を貯め込んでそれを銀行に預金していたアルゼンチンの中産階層と日本でも数多く被害にあっているドル建てアルゼンチン国債を購入した外国の経済主体。
  • 住宅ローンや自動車ローンなど、国民が借りているお金の80%はドル建て。
  • 1ドル=1ペソなら人々が稼いだペソでそのまま返済できるが、ペソが切り下がって1ドル=1・5ペソにでもなったら、人々の借金はその日から5割増しになってしまう。ローン会社はドルの方が潜在的な為替リスクが少なく、ドル建てローンの方が金利が安かった。ウォール街の投資家たちは1ドル=1ペソが続くことを前提にアルゼンチンに投資していたから、固定相場の撤廃には、アメリカやIMFからの反対も強かった
  • サムライ債:円建ての債務も全体の4.7%を占めており、ペソを上回る量が円建てで調達されていることになる。こうした円建ての債務はサムライ債と呼ばれており、国内で約1,900億円が流通、2万人の投資家が購入したと見られている。また、サムライ債は日本以外の国でも販売されており、総額は3,000億円にも上る。債券は個人投資家だけでなく企業も保有しており、東北通信建設(額面で5億円)やコーエー(3億円)、キムラタン(3億円)、KTC(3億円)などの名前が明らかにされている。アルゼンチン債は現在のところ額面100円に対し、評価額が30円前後にまで落ち込み、額面割れの状態である。たとえ売却してもタダ同然となり、証券会社も換金を拒否している。企業にしてみても売るに売れない状況となっている。評価が下がった分は特別損失として計上されることになるだろう。これらの企業は5~6%という高利回りに引かれてリスクの高い債権に手を出した。さらに日本の投資家にもドル建ての債券を保有している者が多くいるとみられ、これらの人々がとりあえずデフォルト(債務不履行)の直接の影響を受ける人々、ということになる。
  • 債務危機の到来(2001年12月) その後、ペソ切り下げ懸念の高まりから銀行預金の流出、これによって外貨準備の減少が加速化したため、12月には銀行からの預金引出の制限が発表された。銀行からの預金引出の制限は、一般市民の不満に火をつける事となって、国内では暴動が散発的に発生するようになったが、2001年の年末に大統領が辞任に追いまれる事で、同国の信用不安は頂点に達した。新しく政権に就任したロドリゲス暫定大統領は、対外債務の支払い一時停止を宣言し、ここに債務危機が到来する事となった。
  • 取り付け騒ぎ:昨年10月24日 アルゼンチンのドミンゴ・カバロ経済相がIMF(国際通貨基金)と話し合うために、アメリカに飛んだ。メナム大統領が辞任する前から始まった経済危機で、今度はフェルナンド・デ・ラ・ルア(急進党を中心とする野党政権)という人が大統領になったが、経済を立て直すという意味において、このカバロが実質的な実権を握っていた。彼は、アルゼンチンの経済を立て直すために、IMFから緊急の一時的支援として、200億ドルの資金を得たいと願い出た。それに対して、IMFは、アルゼンチン国家そのものが、国家予算の45パーセントに相当する債務(借金)があったため、アルゼンチンの経済を立て直すために緊縮予算として、国家予算の20パーセントをカットするよう要求した。 それに対して、アルゼンチンは景気後退で、税収が減り、公務員の給料や年金など支払い遅延が起きている中では、そこまではカットできないと断った。 そのため、話し合いは決裂し、IMFは10月30日 アルゼンチンに対しての資金援助、前払いを拒否した。 IMFとの話し合いの決裂のニュースがアルゼンチンに流れる中で、人々は不安に襲われ、銀行に預金してあるお金をできるだけ引き出しておこうと、この頃から、連日、銀行前に長蛇の列を作るようになった。 同時にこの頃から政府に対する抗議運動がだんだん激しくなっていったが、最初の段階では、各労働組合は、ペロン党やその他の政党の管理下にあり吸収されているためか、反対勢力としてデモの先頭に立つことはなかった。むしろ、どこの労働組合にも属していない失業者、学生、また婦人達が抗議運動として、アルゼンチンの国家を掲げ、ときに鍋や鐘などを打ちならしつつ抗議する運動を始めた。12月1日 政府は有効な手段が打てない中で、国家経済の心臓部に相当する銀行預金を確保する意味で、銀行預金の自由引き出しを禁止。預金者は、週250ドル以上引き出せないことになった。同時に政府はお金の流れを管理する意味で、給料はすべて銀行を通じて支払うよう命じた。
  • 具体例:その中で、大手銀行のうち、特にスペイン系の銀行を中心として、国民に預金引き出しを制限している間に、なんと150億ドルのお金を海外に送金してしまったというのである。 また法令を出す前に、一部その情報を入手した連邦政府議員が、預金が封鎖される前に多額の金を引き出したという話もある。
  • メナムとは何者
    • 政治の腐敗
    • 経済危機が高まり国民の街頭デモが過激化した12月の中旬、メナム元大統領は国民の批判を避けるため、マイアミに逃亡しようとした。しかし、メナムは、飛行場で差し押さえられ、取り調べのために別荘に監禁されたというのである。理由は、大統領就任中の1991年から95年にかけて、密かに部下を使って武器をクロアチア(旧ユーゴスラビアの一部)とエクアドルに密売していたというのである。クロアチアの場合は、旧ユーゴとの紛争、またエクアドルの場合は、ペルーとの国境紛争のため、ヴェネズエラ政府の承認の下、武器の密売をしていたというのである。そしてカバロ経済相もこれに深く関与していたという疑いである。
    • 国民が民営化に伴う賄賂のうわさをしていながら、なぜ捕まらなかったかというと、裁判所や軍事警察の人事権を握っていたため、どうもうまく偽装工作されていたらしい。
    • アルゼンチンを訪問したとき、メナム元大統領は、電話会社などを民営化する中で、その一部の金をポッケットに入れ、その額何十億ドルになるとかという話。(本当!)
    • またその前年、テレビのニュースでメナム大統領が、34歳の元ミス・ユニバースのチリ女性と結婚するのを見た。メナムは、そのとき確か70歳。(本当!)
  • 2002年1月二重為替相場制を採用 その後単一自由為替相場制へ一本化
    • <ドゥアルデ新大統領が就任(2002年1月1日)>  ロドリゲス・サー元大統領の辞任を受けて、2002年1月1日に再度上下両院議員総会が召集され、ペロン党のドゥアルデ上院議員が新大統領に選出され、同日就任した。同氏はペロン党最高実力者の1人である。99年の大統領選挙ではペロン党候補として立候補していたが、デラルア大統領に敗れていた。 ドゥアルデ新大統領は就任演説で次のとおり表明した。 [1]2003年の大統領選挙には立候補しない。 [2]国家統一内閣を目指す。 [3]兌換法から離脱し、生産、雇用、国内市場を回復させ、富の公平的配分を図る。 [4]公的対外債務の返済を一時的に停止する。国際社会の理解、協力を求める。 [5]金融危機の引き金となった国民の貯蓄を盗んだ者、外国資金管理を怠ったものを罰する。ドルの預金者にはドルで、ペソ預金者にはペソで払い戻しを行う。 [6]社会保障、雇用、失業保険など社会的平和を築く
    • 1989年にメネムが大統領になって以来、ペロニスト党内は市場原理の大幅導入を推進する親米の「メネム派」と、貧者を苦しめる市場原理導入に反対して大衆重視路線を貫く「伝統派」とに分裂し、内部対立が続いていた。今回、メネム流の経済政策が破綻して国が行き詰まった経緯から、伝統派が優勢となり、以前から市場原理導入に反対してきたブエノスアイレス州知事のエドゥアルド・ドゥアルテが大統領になることが決まった。  ドゥアルテはペソの対ドル固定相場を廃止し、売買市場で為替が決まる変動相場制に戻した。彼が属するペロニスト党は議会の多数派だったが、固定相場にこだわるメネム派も多かったので、1月1日のドゥアルテの就任から1月6日の固定相場制の廃止まで、1週間近い日数がかかった。
  • 世界銀行の統計によると、アルゼンチンの一人当たりGDPは、2001年まではブラジルやメキシコ等の主要中南米諸国の水準よりも高かったものの、2001年から2002年にかけて7,000ドルから3,000ドル以下までに急減しました。また、変動相場制移行に伴い、2002年にはインフレ率は40%近くまで上昇しています。これらの統計は、経済環境の悪化がいかに深刻であったかを如実に物語っています。
  • 2002年2月
  • アルゼンチンの場合には、変動相場制度への移行に伴い、以下の2つに象徴されるような債務者・弱者を保護する政策が取られた事が、債務危機を一層複雑なものとした。
  • 通貨のペソ化と金融業界への負担の転嫁
  • 変動相場制度移行に伴って、ドル建て債務を抱える債務者の返済負担が増加する事が不可避となったが、これを回避するための策として政府が打ち出したのがドル建て資産・債務のペソ化である。 これが特異であるのは、ドルからペソへ転換する際の換算レ-トが非対称であるため、結果として債務者から金融機関への損失の移転となった。 具体的には、ドルとペソの交換レ-トを銀行側に不利(銀行への預金者・債務者にとっては有利)な形で非対称に設定する(下の例では銀行の資産に対しては1ドル=1.4ペソであるのに対して、銀行の負債に対しては実勢レ-ト [1ドル=2ペソ]と設定する)というものであり、これによって金融機関は巨額の為替損失の発生を余儀なくされた。
  • 公共企業への負担の転嫁
  • 非対称的なペソ化によって金融機関という特定の業界へ損失が転嫁される事となったが、電力料金等公共料金の値上げに対する規制がなされる事で公共企業に対する負担転嫁が行われる事となった。これらの公共企業の中には、1990年代の同国の民営化の流れの中で民営化され、その株式を欧米を中心とした資本が取得する事で発生した企業が多かった。 欧米資本は、進出時に株式を取得する際の契約の一環としてインフレ時には公共料金がスライドして引き上げられるというインフレスライド条項を盛り込んでいるのが通常であるが、この条項を破棄したものとして、欧米の多国籍企業を中心に避難が高まった。
  • 2002年5月のポスト
    • 「IMFの基準を受入れることは、すでに4分の1が失業している状態のなかで、少なくとも35万人の政府の雇用を削減しなければならないということを意味している。」 ワシントン・ポスト紙(2002年5月3日付)
  • 2002年の計数
    • 国民総生産:1.100億ドル(IMF統計2002年)。
    • 1999年が史上最高の水準に達した:2.800億ドル(99年)で、98年の1.120億ドルの倍以上伸びた。 
    • 対外累積債務:2000年末、1.470億ドルとされ、GDPの55%に相当すると推定されていたが、金融制度の崩壊で累積債務は1.800億ドルでGDPの170%に相当する(2001年では、国家予算4年分だったのが2002年には11年分にまでなってしまった)。  年間の利子払いが12億ドル相当(元金を含むと200億ドルになる)。
    • 債務支払負担は国家予算の21%で年間輸出の8割に相当していたが、現在、その3倍の負担になっている。債務支払を一時停止しているが事実上の債務不履行状態である。国際機関への支払は継続されているが、これからの課題は支払開始時期と支払負担のバランスである。財源確保が大きな問題であり、Kirchner政権の経済活性化政策には国内外の信用回復が大きな挑戦である。
    • 国民総生産:2002年の統計では、2.800ドルぐらいになる
    • 99年には8.000ドルを超え、韓国の所得に類似していたが、2001/12月の兌換法による通貨制度及び金融制度が崩壊した後には国内通貨ペソは3分の1にまで下落した。現在のレートは1ドル3ペソぐらいに落ち着いている。個人所得は1970年代の水準にまで落ちてしまったと指摘する専門家もいる。中南米諸国では所得格差があまり極端でなく豊かな中産階級の存在が誇りであったが、ここ10年ぐらいの経済政策によって格差は広がり、一般市民の購買力が非常に低下したとみられる。低所得者の一人当たり所得は1.500から2.000ドルにも及ばないとされている。高所得者の所得は低所得者の30倍はあるとされている(1992年にはその差は14倍だった)。人口の57%が貧困状態にあり、最低限の生活もできない極貧層が全体の20%近くになっている(失業支援や福祉助成金等で政府がサポートしている)。
  • 2003年4月に繰り上げ実施された大統領選挙の結果、キルチネル政権(ペロン党)が発足した。同大統領は就任後の経済政策目標として、恒常的な雇用拡大、所得分配の改善を通じての中間層強化、国民全体の貧困からの脱出などを挙げ左派系とされている。
  • 単一自由為替相場制:91年から2001年12月末まで1ペソ=1ドルの兌換法(法律23928号)が続いたが、2002年1月に公的緊急・為替制度改革法(法律25561号)が制定され、為替制度・管理を(従来の議会法律から)行政権限とし、兌換法の主要条項を削除.為替改革法施行規則の1月9日付大統領令71/2002は、貿易取引用の1ドル=1.4ペソの公定相場と、自由相場制との二重為替相場制を採用したが、2月8日付大統領令260/2002は単一自由為替相場制へ一本化。2月11日以降の取引は自由相場。
  • 2003年9月末時点の対外債務残高
    • 推定で1,406億3,500万ドルに達している。うち984億9,200万ドルが公的部門および中央銀行の債務残高とされている
    • 2003年9月10日キルチネル大統領はIMFとの融資協定内容を了解したと発表した。今回のIMF協定の期間は2003年9月1日から2006年8月31日までの3年間で、この間のIMFなどへの元本返済はすべてリファイナンスされる。リファイナンスされる債務は210億9,100万ドルで、内訳はIMFが123億9,000万ドル、世界銀行と米州開発銀行が56億2,200万ドル、パリクラブと二国間政府融資が30億7,900万ドル。国際金融機関などへの金利返済は行われ、その額は21億ドル程度とみられる。
    • 2004年6月1日に、ラバーニャ経済相は債務再編に関する第二次案を発表した。対象は152銘柄(元本総額812億ドル)の国債。2002年1月から2003年12月までの延滞金利(182億ドル)を支払うことを条件に、385億ドルの新発債と交換するというもの。元本の削減率は75%で第一次案と変化していない。
    • 債務再編:2003年末現在

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    • 参考:http://nexi.go.jp/service/sv_m-report/200310/pdf/03arge.pdf
  • 2004年
    • 2004年の大ブエノスアイレス首都圏の消費者物価上昇率は6.1%となった。為替が安定し、2002年1月からの公共サービス料金凍結が維持されたためで、物価上昇率は政府の予想内で収束した。
    • 2004年末の外貨準備高は、前年から55億2,600万ドル増えて196億ドルになった。中銀が為替レートを安定させるためドル買い介入を続け、年間のドル買い介入額(ネット)が78億ドルに達したためである。
    • 2004年の税収は前年比36.0%増の982億8,470万ペソ(1ドル=約3ペソ)となり、前年に続き過去最高を更新した。2004年1〜9月の実質GDP成長率が8.8%となった経済の好調が税収増加の主因とみられる。
  • 2005年
    • 政府は民間債権者が保有するデフォルト債の新発債への最終交換率が76.15%に達し、国家としての義務を果たしたと発表した。他方、パリクラブ(主要債権国会議)での債務繰り延べ(リスケ)交渉はまだ始まっておらず、早期進展が望まれている
    • 政府は2005年6月23日、一部品目の輸入にあたり、通関時までに代金決済を行うことを義務付けた。外貨需要を高めることが目的。好調な輸出に支えられた状態を放置すればペソ高に振れる為替レートを、過小評価のまま安定させるという政府の意図がある。
  • 府は2005年6月9日、外国借り入れの30%を1年間無利子で中央銀行に強制預託することを義務付けた。これは、投機目的の短期資金流入を規制ため。他方、企業が設備投資資金や運転資金を外国から調達する場合にも、強制預託が義務付けられるため、民間部門から投資を阻害すると批判も寄せられた。政府は、企業の主張を受けとめ、生産目的の外国借り入れには強制預託を適用しないよう制度改正を進めている。
  • 格付会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は2005年6月1日、アルゼンチンの長期ソブリン格付けを「選択的デフォルト(SD)」から「シングルBマイナス」に引き上げた。デフォルト債権の交換により、公的債務返済負担が軽減される点を評価したためである。「シングルBマイナス」は、ボリビア、エクアドル、パラグアイと同水準。
項目          2002年          2003年           2004年 
実質GDP成長率 -10.9%          8.8%            9.0% (暫定値 )
名目GDP総額 3,125億8,014万ペソ 3,759億936万ペソ 4,473億725万ペソ 
 1,020億4,166万ドル 1,295億9,576万ドル 1,530億1,449万ドル 
   
 一人あたりのGDP(名目) 2,675ドル 3,317ドル 3,912ドル 
 消費者物価上昇率 40.9% 3.7% 6.1% 
経常収支(国際収支ベース) 91億4,600万ドル 73億7,000万ドル 30億2,900万ドル(2004年第3四半期 )
貿易収支(国際収支ベース) 172億3,600万ドル 164億4,800万ドル 132億6,700万ド(2004年第3四半期 )
外貨準備高 104億8,930万ドル 141億5,340万ドル 188億8,430万ドル (2004年末 )
対外債務残高 1,356億8,100万ドル 1,469億5,500万ドル 1,650億4,500万ドル 
       (12月)       (12月)       (2004年末 )
為替レート(期中平均値、対ドルレート) 3.0633ペソ 2.9006ペソ 2.9233ペソ
人口39,144,753人 2004年

 参考リンク

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Last-modified: 2012-08-19 (日) 09:13:00 (2284d)