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** 謎 [#nafde96f]
-瀬織津姫は、穢れ祓いの神と共に水の神であり桜の神。
--穢れを祓うとは、瀬織津姫が大海へと罪や穢れを流し、やがて黄泉の国にと飲み込ませるというもの。水の流れが人の罪と穢れを溜め込みそれを川という流れに戻す。
--瀬織津姫の誕生は、伊邪那岐命が黄泉の国から戻って「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は瀬弱し」と言い放ち、中の瀬に下りたって禊祓いをして初めて誕生したのが八十禍津日神。そしてこの神が、瀬織津姫らしい。
-天照大神の荒魂= 瀬織津姫
--伊勢で消されたはずの瀬織津姫の名が、伊勢神宮の神主であり、大和朝廷の神祀を司る中臣氏によって、年二回の年中行事である朱雀門前の大祓えの祝詞の中に、祓え四神の一つ、水の神として、公式文書として記された。広瀬神社の祭神は和加宇加之売命他とされるが、地元の古文献には、天照大神の荒魂で瀬織津姫と同体であるという。この広瀬の大忌神、天照大神の荒魂瀬織津姫が勧請されて伊勢の荒祭宮に祭られたという説がある。

 謎1:天照大神は男性神か?
 謎2:中臣の祓いは、何故、瀬織津姫か
 謎3:忌部との関係は??

**祓戸四柱神 [#r772a4cf]
-祓戸四柱神とは、瀬津比咩神(せおりつひめのかみ)、速開都比咩神(はやあきつひめのかみ)、気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)、速佐須良比神(はやさすらひめのかみ)です。
 
 謎4: この四柱神の名前は、祓詞に有りながら、記紀にないのは何故か。


**紀伊忌部:手置帆負命、彦狹知命 [#i1b5a511]
-紀伊忌部の祖先たちを率いて山の材を採り、神武天皇の宮殿を造営した天富命の子孫が紀の名草郡に住むとあり、工人の部曲が忌部氏の配下としてこの地に居住していた。紀伊忌部氏の祖として彦狭知命の名が伝わる。
--和歌山市下三毛の上小倉神社 には手置帆負命、彦狹知命が祀られている。

**瀬織津姫 [#r3d4ad71]
-瀬織津姫は、古史古伝の「秀真伝」(ほつまつたえ)のなかで、男性太陽神・天照大神の妃神である。

-瀬織津姫たちの対神祭祀は隠祭されることはあっても、書紀成立以降に新たに生成されて、その祭祀が曲がりなりにも無事であるところは、すくないらしい。

**橋姫神社:宇治川の守り神 [#l410121c]

- 祭神:瀬織津姫(せおりつひめ)
--橋姫神社は明治 3 年の洪水で流失するまでは宇治橋の西詰にあった。
--境内には宇治十帖のひとつ『橋姫』の古跡と、橋姫と同じく水の神である住吉神社が祀られています。

 源氏物語 第四十五帖  橋姫の心をくみて高瀬さす 棹のしづくに袖ぞぬれぬる(薫)

--橋姫の伝説

 「嵯峨天皇の昔、瀬織津姫(橋姫)は裏切った恋人を怨むあまり 100 日間宇治川に身を沈めて鬼となり、憎む男女を喰い殺した。
 人々は姫を鎮めるために宇治橋の三の間に祭神として祀った。」

--橋姫は嫉妬・縁切りの神

**佐久奈戸神社 :大津市[#zf95a031]
-祭神:祓戸大神四柱
 瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)
 速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)
 気吹戸主命(いぶきどぬしのみこと)
 速佐須良姫命(はやさすらひめのみこと) 

-佐久奈度神社は天智天皇御宇8年 勅願により中臣朝臣金連が当地において、祓 を創し祓戸大神四柱を奉祀した。
-当地は八張口、桜谷と呼ばれ、天下の祓所として 著名で、大七瀬の祓所のひとつである。 文徳実録に「仁寿元年六月甲寅、詔以近江国散久難度神列於明神」とあって、仁寿元年名神に列した。  三代実録には「貞観元年正月二十七日奉授近江国佐久奈度神 従五位上」と見えて、貞観元年に従五位上の神階を授けられ、延喜式神名帳では名 神大社に列するなど当地方の名社であった。
-古来より伊勢の神宮にお参りするには、まず佐久奈度で禊ぎをするのが慣わしでした。当地(大石)の語源も忌伊勢(おいせ・・伊勢詣での祓所の意)が訛ったものとされています。 このような関係から伊勢の神宮より納められた神剣と鼻高面が伝えられております。

**鳴神社  :和歌山市鳴神 [#c4c371d2]
-天太玉命,速秋津彦命,速秋津姫命
速秋津彦命,速秋津姫命 『南紀神社禄』
- 紀伊國名草郡

 当社は延喜式内名神大社
 往古紀伊湊を開拓した紀伊忌部氏により創建せられた。
 主祭神:天太玉命(向かって左側本殿)及び祓戸の神速秋津彦命速秋津姫命(向かって右側本殿)を祀る 
-この社は紀北では伊太祁曽神社に並んでの古社。
--諸説
 雷神を祀ったと言われているこの説は「鳴」を「雷」に連想したものである。火の神としては合祀されている香都知神社や静火神社が近くにあった。
 紀の川から引かれた相当に古い灌漑水路である宮井川の出口にあたり、治水の水門神を祀る為に創始されたとも言う。水分の神の可能性もある。 
 またナルは「太陽」「日」の意味があると.
 この神社の向かいに石祠があり「鳴武神」と刻まれている。これは百済渡来の酒造りの神.

**水分神社 [#f8264eec]
-『延喜式神明帳』に記載されている水分神社は 
 大和国(奈良県)葛城郡の葛木水分神社、
 吉野郡の吉野水分神社、
 宇陀郡の宇太水分神社、
 山辺郡の都祁水分神社
--ほかに、河内国(大阪府)石川郡の建水分神社、摂津国(大阪府)住吉郡の天水分豊浦命神社があります

**菟田野秋祭り [#aa871dc0]
-1000年余りの歴史を持つこの祭りは、芳野水分から古市場水分まで、宇太水分神社の祭神・速秋津彦(はやあきつひこ)に、上芳野の惣社水分神社の祭神・速秋津姫が年に一度訪ねるもの。御輿を中心に毛槍・花籠・御輿太鼓などをしたがえて、往復12㎞の道を時代行列が続きます。町内各地から繰り出す太鼓台6台と子供御輿7台と共に町を練り歩きます。時代装束に身をかためて随行するお供の数は200人にも及び、御渡りの行列は、まさに一幅の天平絵巻さながらです
**宇太水分神社(うだみくまり)上宮   [#h0511627]
-宇陀郡菟田野町古市場
摂社 春日神社「天児屋根命」、宗像神社「市杵島比売命」 
末社 恵比須神社「蛭子之大神」、金刀比羅神社「大物主命」 

 速秋津比古神(はやあきつひこのかみ)
 天水分神(あめのみくまりのかみ)
 国水分神(くにのみくまりのかみ)
 の水分三座が祀られています。

-神社略記には、創祀の年代詳らかにし難いが、所伝に寄れば崇神天皇15年9月21日勅祭云々とされていると記されています。又、天水分神と国水分神は 古事記に速秋津日子神と妹速秋津比賣の子供の八神(水に関係のある神)のうちの二神の名前として書かれています。


-社伝では、崇神(すうじん)天皇の時代にはじまるといい、また「玉岡水分社縁起(たまおかみくまりしゃえんぎ)」では、大和国宇陀郡の水分大明神(みくまりだいみょうじん)は天照大神(あまてらすおおみかみ)の分神で、垂仁(すいじん)天皇の時代に神託によって社殿をかまえたと伝えています。
本殿は三社造りで中央と左右の三殿からなる一間社春日造り(いっけんしゃかすがづくり)(国宝)。
水分連結造りの古型で、外部は朱塗り。蟇股 など細部に鎌倉時代の特徴をみることができます。

**宇太水分神社 中社 [#k86d2355]
-三つの本殿の内、左右の二棟に国水分神(くにのみくまりのかみ)と天水分神(あめのみくまりのかみ)をまつり、まんなかの一棟に彼らの父に当たる速秋津彦神(はやあきつひこのかみ)を祀っています
-境内には鎌倉時代に建てられた3棟の春日造の本殿が並び立ち、速秋津比古(はやあきつひこ)神、天水分(あめのみくまり)神、国水分(くにのみくまり)神の水分三座を祀る。本殿の右側には、室町時代に建てられた末社春日神社本殿、末社宗像(むなかた)神社本殿の2社(いずれも重要文化財)も祀られている

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**宇太水分神社(うだみくまり)下宮 [#l492c76a]
--宇陀郡榛原町下井足
-祭神 
 天水分神、国水分神、天児屋根命、品陀別命 

-摂社 石神神社、稲荷神社、金刀比羅神社 

-由緒 
-- 旧県社。芳野(ほうの)川と宇陀川との合流点東部の船形山に鎮座。 


-- 芳野川に沿って、中山(芳野)「惣社水分神社」は童躰、玉岡(古市場)「上宮」は男躰、田山(井足)「下宮:当社」は女躰とされている。かっては、中山から田山への神輿の御渡があったそうである。 
-- 吉野水分神社、葛城水分神社、都祁水分神社とともに大和国四所水分と言われている。

**楠木正成ゆかりの「河内国の水分社」 [#p258f82b]
-大阪府南河内郡千早赤坂村水分357にある建水分[たけみくまり]神社
--現在の祭神
 本殿中殿は天御中主神、
 左殿は天水分神・水波乃売神、
 右殿は国水分神・瀬織津比売神
-同社の境内社・南木[なぎ]神社の祭神が楠木正成
-大和盆地周辺の水分神としての瀬織津姫の名は、この建水分神社のほかに、奈良県吉野郡東吉野村滝野の水分神社や、同郡平野の同じく水分神社。

**美具久留御魂神社(みぐくるみたま) [#df1c4fc0]
-富田林市宮町3-2053 infoseek
-祭神 
 主神  美具久留御魂神(大国主命) 
 左殿  天水分神、弥都波迺売命(みずはのめ) 
 右殿  国水分神、須勢理比売命 

-摂社 利雁神社(物部氏の坂戸造に関連 *2) 
-末社 皇大神社(天照大神、事代主命、大物主命)、熊野神社(伊弉諾命、素戔嗚尊)、貴平神社(須佐之雄神、宇迦之御魂神)他3社。 
-由緒 
 この付近は喜志台地、尺度、蔵の内を包含した弥生時代の水分文化圏の中心地である。出雲軍の上陸の地とも言われている。河内の先住支配者の斎祀った神社である。 ここから2km北で銅鐸が発見されている。 
- 『社頭の略記』には、崇神天皇の御代、この地に大蛇が出没し、これを大国主の荒御魂のしわざとし、ここに奉斎したのが創始であるという。 また日本書紀には丹波の国氷上郡の氷香戸辺が神懸かりして「玉もの鎮石。出雲人の祭る。真種の甘美鏡。押し羽振る、甘美御神、底宝御宝主。山河の水泳る御魂。静挂かる甘美御神、底宝御宝主。」 (訳)「玉のような水草の中に沈んでいる石。出雲の人の祈り祭る、本物の見事な鏡。力強く活力を振るう立派な御神の鏡、水底の宝、宝の主。山河の水の洗う御魂。沈んで掛かっている立派な御神の鏡、水底の宝、宝の主。」 と宣託したとあり、皇太子の活目尊が創始したと伝えている。 
- 千早赤坂村の建水分神社を上水分神社というのにたいして下水分神社と称する。
-また恩地神社を下水分と呼ぶ向きもあり、この場合には中水分となる。
-和爾池の側だから和爾社とも云われた。

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