国造とは

  • 国造 虎の巻
  • 雄略朝ころにも一つの整備期があったらしい国造の職掌は,総合的にいえば国域の支配であるが,子女を舎人・靱負(ゆげい)・采女などとして中央に出仕させたり,特産物・馬・兵器など供出したり,物品の製作やその費用の負担をしたり,部民や屯倉を管理する伴造を兼務したり,大王家や中央豪族の地方巡行に従い接待し貢納したり,いわゆる国造軍をひきいて部内の軍事警察の任務を行い,必要に応じ外征にも参加したりする職務をもっていた。6世紀には,北は現在の宮城県南部から,南は九州地方まで全国的に国造制はいきわたり,最終的には百数十の国造がいたが,しだいに大王家に連なる系譜を帯びるようになる。首長性の強い臣・君(公)の姓をもつ者と,伴造性の強い連・直(あたい)の姓をもつ者とがあったが,前者は独立性を長くもっていた豪族で,後者は早くから朝廷配下に組み込まれていた豪族であるといえる。直姓をもつ者のなかには風直(大押直の意)を称する大国造もいたが,臣や君(公)姓のものには,令制の1国にあたるほどの広大な国造国を支配するものもいた。出雲国造出雲臣などはその例である。大化改新を機にして国造制は新しい国伴制に切りかえられ,原則的に国造は伴造になった。伴造は大宝令以後郡領と表記されるものである。
  • 讃岐国造 15応神
    • 景行帝の兒 神櫛王の三世孫 須賣保禮命すめほれ
      稲背入彦皇子の兄
      神櫛皇子
      姓氏録
      五十香彦命(亦の名神櫛別命)
      日本書紀
      兄神櫛皇子
      讃岐国造の始祖
      古事記
      神櫛の王
      木の国の酒部の阿比古
      宇陀の酒部の祖 

四神 四霊獣

  • 地上の四霊獣(龍、麒麟、鳳凰、亀)が、天の星宿では四神(青龍、白虎、朱雀、玄武)が邪霊の侵入を防ぎ、人間世界を守護している。

風神

  • 風神祭〈謂。亦広瀬龍田二祭也。欲令沴風不吹。稼穡滋登。故有此祭。凡読此四祭者。先読神衣。其次三枝。其次大忌。其次風神。即与公式令連署義同。以下諸祭亦准此例。釈云。広瀬龍田祭也。世草木五穀等。風吹而枯壊之。此時不知彼神心。即天皇斎戒。願覚。夢中即覚云。龍田小野祭。二社同日共祭妹妋之神。亦五位以上充使。〈古記无別〉又云。凡諸祭次第。具列如左。孟夏神衣祭。三枝祭。大忌祭。風神祭。以下放此。跡云。文読次第。神衣祭。大忌祭。三枝祭。但仲冬処構上対下耳。寅日在二分之中耳。穴云。孟夏仲冬等注。先読上二件了。乃至下注為長。一云。神衣。次大忌。次三枝。仲冬注。相嘗。次大嘗。次鎮魂也。但先読寅日祭。乃可読下卯祭。而先読大嘗者。依職員令所次先後耳。又季夏。季冬。道饗祭是晦。故云。是説為長也。新令問答篇所次。又律目録篇所次。並亦如之。〉
  • 『延喜式』の祭料を詳細に分類した岡田清司氏は、「祈年祭」、「鎮花祭」、「三枝祭」、「風神祭」、「月次祭」、「大祓」などに鹿の皮や角が使用されていると指摘している。しかも、それらの使用は大和国に由来する古い神社に限られること、天武期に始まった竜田神社の風神祭以外、平城京の時代に開始された祭りの祭料には、鹿の皮や角が使用されていないこと、平安京の大社を対象としたものがないことを考察している
  • 、『日本書紀』天武四年四月十日(675)より始まった竜田社の風神祭である。義江明子氏は、『延喜式』の諸祝詞にみえる幣帛の内容を比較研究した三宅和郎氏の分類から、竜田社の幣帛には「山に住む物は毛の和き物・毛の荒き物」があることを指摘している7。また、その祭りの祭料には、鹿の角二頭、鹿の皮四張の他、弓も献納されている。「竜田風神祭祝詞」によれば、祭神は「天の御柱の命・国の御柱の命」と呼ばれ、農作物を風害から守護する神であった。『日本書紀』持等五年(691)六月の条には、京及び郡国に霙が降り、夏は「陰雨」が多いとの記述がある。天候不順を理由として、この年八月には、竜田社と並んで、信濃の須波、水内社でも臨時祭祀が行われている。
  • 天武紀4月「祠風神于竜田立野」とあり・・・
    • 天武天皇4年(675年)、小紫美濃王・小錦下佐伯連広足が勅を奉じて、風神を竜田の立野に祭った。
  • 諏訪の風神
    • 諏訪の神も、「風の神」「風伯」として竜田の風神とともに祀られている。 また、水内に「建御名方富命彦神別神社」があるが、こちらは「水」であり、 両社あわせて、「風雨」に相当。大和の竜田と広瀬にあてはめる見方もある。 御柱の見立てに用いる「薙鎌」の「なぎ」は、夕凪の「なぎ」であり、 また、蛇(ナーガ)でもある。甲賀三郎伝説にあるように、諏訪明神は 蛇神ととらえる信仰もある。蛇は蛟(みずち)であり、「水内」の 「建御名方富命彦神別神社」は、この蛟であるとする。
  • 祓戸の四神は、水流をあらわす瀬織津比売・速秋津比売・速佐須良比売、風の気吹戸主になっていますね。広瀬を瀬織津比売とするなら、竜田は気吹戸主???

神楽と風神

  • 五行の舞 六人
    風神、土神、木神(東)、火神(南)、金山彦神(西)、水神(北)が登場、
    風神が木、火、金、水の神に春、夏、秋、冬、夫々三月、九十日間の七十二日を、
    土神には四神の九十日のうちの夫々十八日を事依し給う様を問答し給う。
    春 「久方の 天の岩戸の昔より 明れば はれむ 春は来にけり」
    夏 「神祭る 榊になびく ゆふしでの 音も静けき 森の下風」
    秋 「天地の 開けし神の みことのり 千歳の秋は 我君のため」
    冬 「木綿しでの 風に乱るる 音さえて 庭白妙に 雪ぞ積れる」
四神(+黄竜or麒麟)の属性 

    方位 季節 五行 

 青竜 東  春  木  
 朱雀 南  夏  火 

 黄竜 中央 土用 土 

 白虎 西  秋  金 

 玄武 北  冬  水 
  • 参考:宇美神楽

古代の郡司

  • 讃岐の古代豪族
    • 律令国家は大化以前から国造人(くにつくりのみやっこ)などの有力豪族を郡司に任じて、讃岐の国造系を作っていた。
郡司:
桜井田部連(さくらいたなべのむらじ)氏、
秦公(はたのきみ)氏、
因支首(いなぎのおびと)氏、
丸部臣(わにべのおみ,又まるべのおみ)氏、
刈田首(かったのおびと)氏、
韓鉄師(からのかぬち)氏、
大伴首(おおとものおびと)氏、
伴良田連(とものよしたむらじ)氏
東讃岐の代表的な国造
凡直(のべのあたい)氏:
寒川郡山田郡三木郡を管轄し、後に敏達天皇より紗抜大押直(さぬきおおしのあたい)の姓を賜り讃岐公となったのである。
讃岐公の遠祖は景行天皇の第十王子神櫛王とされ、
後の国造橘の公成、公業らは平安末期讃岐東部を支配していた.
大川郡長尾町内のまなべ一族が今も神櫛王の墓のお祭りをしている
まなべ一族とは、橘一族の後裔たち。
丸部臣、刈田首の両氏は三野郡、豊田郡の大領をつとめた
刈田首は紀井朝臣を賜り土佐の国造になった家系
丸部臣は橘氏の子孫であるといわれ、後にまなべ姓を名乗り西讃岐地方で活躍していると考えられる。
  • 西讃、東讃地方に於いては古代からの伝承によれば、橘、藤原の流れをくむものが主流(源氏、平氏系統は少ない)

忌部の役割

  • 忌部は、神事と祝詞。イワレヒコ(神武天皇)の即位のときの職掌
ヒノオミ(日臣命)が来目(くめ)部を率いて宮門を開閉する。
ニギハヤヒ(饒速日命)が内の物部氏を師いて、矛と盾を作り備える。
アメノトミ(天富命)が忌部氏を率いて、天璽の鏡と剣を捧持し、これを正殿に置き、
瓊玉を懸け、幣物を陳列して、大殿祭・御門祀りの祝詞を申し述べる。
物部氏が矛と盾を立て、大伴と来目が武器を立て、門を空けて天位の貴いことを四方に知らしめる 
  • 本貫の土地は??
    • 太玉命神社の坐す大和武市郡忌部?
    • 阿波麻殖郡忌部?
    • 讃岐多度郡や備前和気郡伊部などは、部民の地ではないでしょうか。
  • 天皇家の随身氏族。

中臣と忌部の争い

  • 中臣:「忌部は本幣帛を造りて祝詞を申さず。然れば忌部氏を以て幣帛使と為すべからず」
  • 忌部:「奉幣祈祷は是れ忌部の職なり。然れば忌部門氏を以て幣帛使と為し、中臣氏を以て祓使に預るべし」と応酬した。
  • 天平勝宝9年、「伊勢の大神の宮の幣帛の使は専ら中臣を用ゐて他姓を差すこと勿れ」という左弁官の口宣が出ていた。これをくつがえすのが忌部氏の悲願となり、伊勢の起源をといた。

 阿波の忌部

  • 山川町
    • 山崎忌部神社、忌部山、そして忌部山古墳群と、それらは「倭名類聚抄」(935年頃成立)にいう「忌部郷」「延喜式」(927年成立)にいう天日鷲神を祭る「忌部神社」と深いかかわりをもつものである。  忌部氏の活躍を著した「古語拾遺」大同二年(807年)によると「天富命をして天日鷲命の孫を率いて阿波国に移り、穀、麻を植えさせた。その一族がいま阿波におり、大嘗祭に木綿・麻布など種々の物を献上する。それ故、郡の名を麻植という」と書かれている。
    • 忌部山古墳群は、径10メートル前後の5基の円墳からなる。ドーム状の石室を意識しながら玄室部の隅を丸く積む特徴をもつ。また閉塞の状況もよく残しているのも特徴で、いずれも六世紀後半の築造と考えられる。
    • 「古語拾遺」に忌部の祖、阿波、讃岐、紀伊、出雲、伊勢、筑紫があげられています。

房総の忌部

  • 莫越山神社 由緒 千葉県丸山町宮下
    • 手置帆負命 彦狹知命 配祀 小民命 御道命
  • 神武天皇辛酉元年、天富命は阿波の忌部を率いて、当国に下り給う。この時小民命、御道命の請によりその祖手置帆負命、彦狭知命を祭祀し、延喜式に載する安房六座中小四座の一なり。  古語拾遺に曰く天照大神、高皇産霊尊が天児屋根命、天太玉命に勅令して、番匠諸職の神々を天降された時にこの手置帆負命、彦狭知命を棟梁の神とされもろもろの工匠を率いて、日向国高千穂櫛触の峰に行宮を造り、天孫(迩迩芸命)の皇居を定めた。さらに神武天皇が大和国内を平定して橿原を都と定めた時、天富命が手置帆負命、彦狭知命二神の裔の一族を率い、紀伊国名草郡御木、あらか郡より斎斧斎鋤を以て始めて山の材を伐りて宮城の正殿を造り、これがわが国建築のはじめとされる。更に神武天皇の命により四国の阿波に赴き麻殻を殖培し、のち天富命は更に肥沃な土地を求め、阿波忌部氏を率いて舟で東方に向かい今の房総半島に上陸し、水利と渡度、狐座、御木の三官有林を中心とした豊かな山林に恵まれたこの地を開拓し故国の地名より安房と称し定住し、それまで土着の民の祀っていた神体山の渡度山(莫越の山)に祖神を祀り、また付近に莫越山神社を中心として、古墳時代後期には神祭が盛んに行われていたことを物語る東畑遺跡、石神畑遺跡、六角堂遺跡などが発掘されている。

大和の忌部

  • 讃岐神社
  • 太玉命神社
    • 由緒:延喜式内大社の太玉命神社に松下見林が比定するまでは忌部村の春日神社であった。 (曽我川西側)  天高市に擬せられる天高市神社の南すぐの地で、岩戸開きのシーンに中臣氏の祖の天児屋根命と忌部氏の祖の天太玉命がそろって神事を行い、天孫降臨にも五伴緒に名を連ねて、朝廷の祭祀を司る氏族として、宮殿の造営、祭器を造ることを職掌としていた。降臨以降、中臣氏の活躍はほとんど見えてこない。物部とともに仏教排斥に動いた程度、記紀の編集の頃の権力が藤原不比等に握られており、神話の中に天児屋根命を無理にはめ込んだように感じる。  忌部氏は朝廷の祭祀氏族から徐々に弾き出され、ついにはゼロに到る。危機感を持った斎部(忌部)広成はその立場を表明せんとして『古語拾遺』を著した。  興福寺の興隆で当地もその支配下に入り、ついには式内大社であった忌部氏の氏神でさえ、多分衰亡していたのであろう、春日神社にされてしまったと云う事。
  • 神社一覧

忌部の神社

  • 讃岐三豊、吉野川沿い(山川町ほか)、紀ノ川沿いが多い
    徳島県鳴門市大麻町坂東字広塚13 大麻比古神社「大麻比古神」天太玉命、猿田彦命などの説 
    徳島市二軒屋町2丁目48 忌部神社「天日鷲命」 
    香川県善通寺市大麻町上ノ村山241 大麻神社「天太玉命」 
    香川県観音寺市粟井町1716 粟井神社「天太玉命」 
    香川県三豊郡豊中町竹田214 忌部神社「手置帆負命」 
    千葉県館山市大神宮589 安房神社「天太玉命」 
    和歌山市鳴神1089 鳴神社「本来は天太玉命」 
    和歌山県那賀郡桃山町神田101 三船神社「木靈屋船神 配 太玉命、彦狹知命」 
    和歌山市下三毛508 上小倉神社「手置帆負命 配 彦狹知命」 

讃岐国造 など

  • 須賣保禮命
    • 国造本紀には軽島豊明朝時代に景行帝の皇子神櫛王の三世孫に須賣保禮命がいて、国造の称を賜ったと、書かれている。今、鵜足郡勝浦村に鵜足明神の祠があり、神櫛王の五世孫の篠目命を祭っていると言われている。又、那珂郡柞原村に素戔権現の祠がある。これは篠目命が建立したとの伝説である。だから此の人も神櫛王の血筋であると考えられる。
  • 鷲住王
    • 「年二月癸丑朔、喚鮒魚磯列王之女、太姫郎姫、高鶴郎姫、納於后宮、並為嬪、於是二嬪恒欺之曰、悲哉吾兄王何處去耶、天皇聞其欺而問之曰、汝何欺息也、對曰、妾兄鷲住王、為人強力軽捷、由是獨馳越八尋屋、而遊行既経多日不得面言、故欺耳、天皇悦其強力、以喚之不参来、亦重使而召猶不参来、恒居住吉邑、自是以後廃不求、是讃岐国造、阿波国脚咋別、凡二族之始祖也」(
  • この王は阿波の却咋より、鵜足郡富隈村に移り住み、当地で薨玉し、飯山に葬ったと三代実録に記述がある。
  • 星直
    • 続日本紀
    • 「延暦十年、讃岐国寒川郡人、正六位上凡直千繼等言、千繼等先星直、譯語田朝廷御世、繼国造之業、管所部之界、於是因官命氏、賜紗抜大押直是姓、而庚午之籍、改大押字、仍注凡直是以星直之裔、或為讃岐直、或為凡直、方今聖朝仁均雲雨、恵及昆虫、当此明時、冀照覆盆、請因先祖之業、賜讃岐之姓、勅千繼等戸二十烟依請賜之」
    • 572~85 敏達天皇 県内 この頃 讃岐国造星直氏,紗抜(讃岐)大押直の姓を 与えられる(続日本把)
  • 天日鷲命の子孫には「弓削連」の名もありました。「天日鷲翔矢命」は「弓削宿禰」のみです。「此神思ふに弓矢を作り始めやし給ひけん」ともあります。
  •  ○高木神社,香川県丸亀市土居町2-,(主神)鷲住王  ○大山神社,徳島県海部郡宍喰町塩深字尾鼻,(主神)鷲住王命  ○脇鷹神社,そばたか,茨城県稲敷郡桜川村飯出,天日鷲翔矢命 桜川村は大杉神社のある村で、脇鷹神社はすぐそばである(大杉神社の北方)。天日鷲命でなく「天日鷲翔矢命」とは  木の神と鷲・鷹との密接な関連は、鷲・鷹が矢の神を意味するためだらう。矢には鷹などの羽根を付け、矢の威力は鷹の神の威力を借りたものだからである。また、柳田翁によれば、その矢を立てることによって樹木は神籬となる(矢は武を意味するものではなかった)。  杉山神社の旧祭神名の天日鷲命は矢の神の意味があった。源氏の庇護も矢の神であるためだらう。一部の杉山神社の日本武尊の祭神名も「矢=武神」から出たようだ

弟橘姫

  • 橘神社:千葉県茂原市本納
    • 形見の櫛(くし)を納めて御陵を造った。ヤマトタケルが弟橘姫のために創祀
  • 弟橘姫:兄の名前は、穂積忍山彦根と言う名前で、その一族が代々祭主として、いるそうです。そこの場所は、香川県善通寺市大麻町の大麻神社
  • 父親の穂積忍山宿禰は相模の国の西側の磯長の国の領主になった。
    • 磯長の国:小田原市国府津町から中郡大磯町にかけての、海岸地域。
  • 弟橘姫は三重県の亀山市の生まれ?
  • 橘三千代の父親の生家が、鹿島神宮?

天武四年

  • 竜田の風神と広瀬の水神が祭られ、以降、天武・持統朝にかぎって何 度となく祭られた。この広瀬の河原に祭られた水神、あえて大忌神と呼ばれた。 大忌とは、神祭りに先立って身を清める禊のことをいうが

豊受大神

  • 大神は、豊かな食物を司る女神で、古事記に見える「豊宇気毘売神」(とようけびめのかみ)、「登由気神」(とゆけのかみ)、丹後国風土記逸文に見える「豊宇賀能売命」は、いずれも豊受大神と同一神とされ、また「延喜式」(えんぎしき)の「大殿祝」(おおとのほがい)の祝詞の中に「屋船豊宇気姫命」(やふねとようけひめのみこと)を注して、「是(これ)は稲の霊なり。俗の詞(ことば)に宇賀能美多麻(うかのみたま)といふ。今の世、産屋(うぶや)に辟木(さきき)、束稲(つかいね)を戸の辺(あたり)に置き、また米を屋中に散らすの類(たぐい)なり」とあり、特に稲の豊穣に関わる神とされる。宇賀能美多麻は、古事記では「宇迦之御魂神」、日本書紀では「倉稲魂命」と記され、ウカノミタマというのは「稲魂」(穀霊)そのものの名であるとされる。

トップ   差分 バックアップ リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2012-08-18 (土) 11:01:00 (2193d)