讃岐富士のことを飯野山と云う

「暁に 駒をとどめて 見渡せば 讃岐の富士に 雲ぞかかれる」 昭和天皇
「讃岐には これをば富士と いいの山 朝げ煙 たたぬ日はなし」 西行法師
「稲むしろ あり飯の山 あり昔今」 高浜虚子

讃岐の国魂:飯野山=讃岐富士

  • 『古事記』国生みの条に、「次に伊予之二名島を生みき、この島は身一つにして面四つあり。面毎に名あり。かれ、伊予国を愛比売と謂ひ、讃岐国を飯依比古と謂ひ・・・」 とあるとおり、祭神は、讃岐国の国魂神である。
  • また、『播磨国風土記』飯盛山の条に、「飯盛山、讃伎の國宇達の郡の飯の神の妾、 名は飯盛の大刀自といふ。此の神度り来て、此の山を占めて居りき。故、飯盛山と名づく。」ともある。
  • 往古、飯野山の山頂に鎮座し、その後、中腹、山麓へと遷座したという。
  • 現在は山根の飯神社ににいます飯依比古

泉穴師神社 

  • 御由緒の「飯の山神事」

「飯の山」とは、白米一斗八升・餅米五升合せて二斗三升を蒸飯とし、盤に盛り、御餞鉾と称する地車台にのせ神輿に供奉いたします。撤餞後之を一夜に醴酒に醸し、氏子各戸に頒けて往昔窮民賑恤の恩賜を記念すると共に、御食津神の恩を被らしめ給う古式の儀を含めたものであります。 聖武天皇天平十四年壬午六月京中大いに飯を降らし、又霊夢により、橘諸兄公に詔して飯の山饗を総社(在府中、和泉五社総社)に渡し五社に供し余を窮民に賑恤せしめられました後、例にならひ天正年間まで毎年八月十五日総社五社会幸飯の山を渡すの神事を執行して参りましたが、其の後当社のみは古例にならひ社前馬場先の南端に渡御所を設け今に至る迄、当日神輿御飯の山餞鉾を渡すの神事を執行いたして居ります。

竹取物語の脇役 内侍中臣(なかとみ)房子

ここまで論を進めると、端役の中で、内侍中臣(なかとみ)房子として登場する人物についても、そのモデルを推定することができる。そのモデルは藤原不比等の妻、県犬養橘三千代であると思われる。  彼女は、初め美努(みぬ)王に嫁して葛城王(後の橘諸兄(たちばなのもろえ))、佐為王(後に橘佐為)、牟漏(むろ)王女(後に藤原房前の妻)を生み、美努王と離別して藤原不比等(ふひと)の室となり、安宿(あすかべ)媛(光明子、後の光明皇后)と多比能(たひの)(後に橘諸兄(たちばなのもろえ)の妻)を生んだ女性で、天武天皇から聖武天皇に至る六代の間朝廷に出仕し、文武天皇の乳人を務めたことによって、後宮において絶大な権力を握り、和銅元年(708)には橘宿弥(たちばなのすくね)の姓を賜わり、不比等(ふひと)と二人三脚を組んで、藤原氏および橘氏の繁栄の基礎を築き上げた人物である。  そして、この三千代こそが、軽(かる)皇子が下賎な出自の宮子を寵愛していることを知ると、宮子を我が夫不比等(ふひと)の養女として貰い受け、藤原氏を天皇の外戚とするという知略をおこなった人物であると梅原猛氏は推定している。事の成行きは、あるいは、皇子が、愛する宮子を何とか正式に我が室に迎えたいと思うものの、その出自ゆえに許されぬことに苦悩しているのを見て、皇子のために打った方策だったのかも知れない。  いずれにもせよ、宮子を文武に取り持つに当たっての三千代の働きは大きい。竹取物語において、内侍中臣(なかとみ)房子が帝の使者として「かぐや姫」の所へ行き、かぐや姫に入内を促すのと、その役割は一致する。中臣(なかとみ)というのが藤原不比等(ふひと)の元の姓であることは云うまでもない。

橘諸兄

敏達天皇の裔。美努王(みののおおきみ)の子。初め葛城王と称した。母は県犬養橘宿禰三千代。光明皇后は異父妹にあたる。子に奈良麻呂がいる。

和銅三年(710)、従五位下に叙され、馬寮監・左大弁などを経て、天平三年(731)、参議に就任。翌年、従三位。同八年、母の橘宿禰姓を継ぐことを請い、許される。これに伴い、葛城王から橘宿禰諸兄と改名する。同九年、藤原四卿没後、大納言に昇進。翌年、阿倍内親王の立太子と同時に右大臣に就任し、以後政界を主導する。天平十二年、藤原広嗣の乱が勃発し、聖武天皇の関東行幸がなされたのを機に、恭仁京遷都を推進。同年十二月、遷都を実現した。同十五年には従一位左大臣となる。その後聖武天皇は紫香楽に遷都するが、災異が続発し、結局天平十七年(745)、平城に還都し、諸兄の遷都計画は失敗に帰した。以後、次第に実権を藤原仲麻呂に奪われる。天平感宝元年(749)、東大寺行幸に際し正一位に昇る。天平勝宝七年(755)十一月、飲酒の席での聖武太上天皇誹謗の言辞を密告され、翌年二月、この責を負って官界を引退した。同九年正月、薨去(74歳)。

美努王 

  • http://www.interq.or.jp/power/manabe/tousannmanabe.htm
  • 吾が祖真部氏は、人皇第三十代 敏達天皇 第八皇子 難波王 大俣王 栗隈王 美努王 葛城王に至り、時の帝 聖武天皇の時(天平八年)葛城王は臣籍に降り橘姓を賜りて橘諸兄と改められた。帝は橘姓を殊の他賞でられて、次の如き御製を賜った。
橘は 実さえ花さえ  その葉さえ 枝に霜ふれど 弥栄葉(トキハ)み樹                                古事記  万葉集
葛城王 皇子奈良麻呂は、帝の叡慮に答えて、次の歌をお返し賜った。

 

  奥山に 真樹の葉しめぎ 降る雪の ふりは益すても 地に落ちめやも
橘諸兄は、以来臣下に在りて天平時代の燦然たる次代の最高執政者となり、
諸国に国分寺庁(古衛府、今の県庁)を造り、筑紫の国に鎮西府及び太宰府を創設。
吾が国の国防に力を入れ、又 続いて仏教を宣布。 
奈良の東大寺 更に文化の粋を極めた彼の大仏開眼、平安城を整備、天平飛鳥文化を築きあげる大業をなされた。
  • 讃岐 橘一族
    • 続日本記(837年)
    • 讃岐公永直という人物は、奈良朝時代の明法博士として名高い。娘は光孝天皇の女官だったが皇子を生んだ。永直は令義解十巻を十二人で天長三年(826)から十年かけて編纂した。そして子らが和気朝臣の姓を賜った。  これらの後裔が鎌倉時代に植田氏となって讃岐地方史に現われてくるのである。植田氏は山田郡を根拠として、十河・神内・三谷などの諸氏に分かれ、東讃岐を勢力圏としていった。そして、十河氏は讃岐朝臣景邦の子景次がはじめて十河を称するようになったのが始まりいわれている。  幕府が崩壊、南北朝時代になると細川氏が守護として四国を領有し、讃岐はその治下になった。細川頼之の時には、讃岐国内の諸氏は悉くこれに隷属した。主なものは、香西・新居・福家等の一族、それに羽床・詫間氏等讃岐藤氏の輩、讃岐橘氏とよばれた長尾・寒川・三木氏、神櫛と伝える十河・神内・三谷等の植田一党、その他秋山・近藤・大平氏等であった。

 麻積王

古語拾遺と麻

  • 阿波忌部氏と同祖をいただく斎部広成の著した書物『古語拾遺』には、伊勢国の麻積(おみ) の祖である長白羽神(ながしらはのかみ)に麻を植えさせて「青和幣」をつくらせ、天日鷲と津咋見神(つくいみのかみ)に穀木(かじのき)を植えさせて木綿から「白和幣(しらにぎて)」をつくらせたとある。これからして、「青和幣」が麻であり、「白和幣」が和紙原料である穀木=梶の木又は楮(こうぞ)であったことがわかる。その麻と木綿を真榊にとりつけて神に捧げ、神の降臨を願ったのである。

また、古語拾遺にある伝承によると、神武天皇の命によって、天太玉命の子孫である天富命は天日鷲命の子孫の忌部氏を率いて、阿波国に至り、殻木や麻を植え、それを大嘗祭の時に献上することになったという。またこの天富命と阿波の忌部が東土に渡って、現在の千葉県、つまり安房(あわ)郡(安房国)に至り、そこにやはり麻を植え、そのためにこの地を上総(かみつふさ)・下総(しもつふさ)というようになったという。

阿波(徳島県)と安房(千葉県)は、同じ「アワ」の国名をもち、共に忌部氏が麻を植えて切り開いた土地なのだ。そしてその地に共に天太玉命と祀る神社、大麻比古神社と安房神社を建てた。その大麻比古神社が徳島県鳴門市大麻町にあって、麻の葉の神紋をもつというのも意味深長である。

行基

682年(天武11年)15歳で出家して、本薬師寺の道昭に師事し、700年(文武天皇4年)飛鳥寺で亡くなった道昭の後を継ぎ、龍蓋寺(岡寺)の義淵(ぎえん)に法相宗を学び、24歳で党戒得度を受け、女帝で第43代元明天皇に平城遷都を泰し、710年(和銅3年)平城遷都がなされて、行基さんは、薬師寺(本薬師寺)、大安寺(大官大寺)等の南都の諸大寺の移建に大いに貢献されました。

 また、行基さんは貧困に苦しむ民衆の為に飯を与えて泊める為の施設、布施屋を摂津に3つ、和泉、河内、山城にそれぞれ2つ造って、布教に専念し、40歳の頃には生駒山の東側(生駒谷)に草野仙房(かやのせんぼう)と言う僧庵を営み、そこでも布教活動をしましたが、寺院外での布教の禁止を破って、717年(養老元年)4月朝廷の弾圧に合い、それでも、女帝で第44代元正天皇の御代、721年(養老5年)55歳の行基さんは、平城京右京三条三坊に居宅を寄進され、そこの地名を取って菅原寺(現在の喜光寺)と称し、それまでの和泉、河内を中心とする活動から、ここを中心にして活発な布教活動を行い、溢れる難民は境内に入りきれず、731年(天平3年)年明けには春日野に数千から1万にも及ぶ群衆がひしめき、733年(天平5年)には地震が続き、疱瘡がまん延して、738年(天平10年)とうとう朝廷も行基さんの布教活動を認め、彼を「行基大徳」と呼び、その業績を大いに讃えて許しました。

 その間に行基さんは、宗教活動の他に社会事業もなさって、摂津から河内への直道や、橋(摂津に4、山城に2)、狭山池などの溜池(和泉に8、摂津に6,河内に1)、船溜まり(摂津、和泉にそれぞれ1)、堀(摂津、河内にそれぞれ1)、溝(摂津に3、和泉に2,河内に1)、樋(河内に3)などを各地に造り、その他、行基さんは興福寺、元興寺および総国分寺東大寺の建立に尽力され、生涯に48ケの大寺院を始め、全国津々浦々に寺院道場を約1400も建立されたのに、元興寺の智光は、行基さんの悪口を言ったので、地獄へ落ちたけど、その後蘇生して行基さんに謝ったと言われ、ならまちの元興寺の屋根は、日本最古の瓦を使用し、行基葺と呼ばれています。

丸亀 地名

  • 十六  丸亀冶 上           城郭 外廓 廓外
  • 十七  丸亀冶 下           市井 農人町 上南條町 下南條町           塩飽町 富屋町 横町 浜町 福島町           通町 松屋町 米屋町 魚屋町 宗古町           霞町 三浦 西平山 北平山 御供所           玄要寺 妙行寺 寿覚院 宗泉寺 本照寺           法音寺 不動寺 弘聖寺 妙法寺 善照寺           実想院 王蔵院 浄通寺 善龍寺 正玄寺           本行寺 快実院 正智院 圓光寺 宝津寺           威徳寺 吉祥院 弥勒院 大善院 専念寺           圓定寺 真光寺
  • 十八  鵜足郡           土居村 九品院
  • 十九  那珂郡・柞原           山北村 田村 中府村 津森村 今津村           地方村 町新田 塩屋村           天満宮 本願寺御坊 遍照庵           田村池 太井池
  • 二十      金倉郷           上金倉村 下金倉村           東坊 圓龍寺 念宗寺 光明寺 西教寺           観音堂 徳行寺
  • 二十一     櫛無郷           上櫛無村 下櫛無村           大蔵大明神 大念寺 片岡伊賀守の墓           善光寺 櫛無神社
  • 二十二     小松郷           佐文村           法照寺
  • 二十三     真野郷           買田村 宮田村 追上村 山脇村 新目村           大口村 後山村 帆上村 生間村           慧光寺 圓宗寺
  • 二十四 多度郡 生野郷           生野村 大麻村           智光寺 浄證寺 大麻神社           地蔵池 熊之池
  • 二十五     良田郷           上吉田村 下吉田村 稲木村           西光寺 養念寺 浄源寺
  • 二十六     吉原郷           吉原村           出釈迦尊寺 曼陀羅寺 萬福寺           正覚寺 覚善寺
  • 二十七     弘田郷           弘田村           雲気神社 甲山寺 圓通寺           朝比奈池 弘階池
  • 二十八     仲村郷           中村 善通寺村           善通寺
  • 二十九 三野郡 勝間郷           上勝間村 下勝間村 上麻村 下麻村 佐股村           岩瀬池 山王池           歓喜院 光照寺 佛巖寺 威徳院           諏訪大明神 源崇寺
  • 三十      高瀬郷           上高瀬村 下高瀬村 新名村           新田大明神 横山大明神           法華寺 宝光寺 西山坊本蓮寺 宝光坊本典寺
  • 三十一     熊岡郷           比地大村 比地村 比地中村 笠岡村           熊岡八幡宮           勝田池 宮池 水正池 國一池 五町池
  • 三十二     高野郷           上高野村 竹田村 下高野村           延命院 宝積院 誓願寺 延寿寺 興隆寺           鴻ノ池 河原池 平池 中池 神田池
  • 三十三     大野郷           大野村 西之村 中之村           天満宮 宗運寺 伊舎那院
  • 三十四     本山郷           寺家村 本之大村 岡本村           持宝院
  • 三十五     詫間郷
  • 三十六 豊田郡 山本郷           辻村 新田村 池尻村 中田井村 古川村 原村           河内村 大興寺 大通寺
  • 三十七     紀伊郷           木郷村 粟井村 丸井村           粟井神社 大圓坊 徳賢寺 十輪寺           大池
  • 三十八     柞田郷           黒淵村 北岡村 山田尻村 大畑村           山田神社 金剛寺 延命寺 土井池           善正寺  正楽寺
  • 三十九     坂本郷
  • 四十      高屋郷           高屋村 室本村 吉岡村 村黒村 流岡村           高屋神社 宝珠寺 蓮光院           西蓮寺 立専寺
  • 四十一     姫江郷 上
  • 四十二     姫江郷 下
  • 四十三 多度津治 上
  • 四十四 多度津治 下     一、多度郡三井郷
  • 四十五     吉原郷・葛原郷
  • 四十六 二、三野郡大野郷・勝間郷・高瀬郷

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Last-modified: 2012-08-18 (土) 11:53:00 (2306d)