奥津日子神 / 奥津比売神

  • オキツヒコノカミ / オキツヒメノカミ
    別称:奥津彦命 / 大戸比売神(オオベヒメノカミ) 
    性別:♂ / ♀ 
    系譜:父は大年神、母は天知迦流美豆比売命(アメシルカルミヅヒメノミコト) 
    神格:竈(カマド)の神、火の神 
    神社:神谷神社

荒神

  • 三宝荒神 (サンポウコウジン )
    •  俗にいう荒神さまのことで、仏・法・僧の三宝の守護神であるとともに、かまどの神。大年神の子の奥津日子命(おきつひこのみこと)と奥津比売命(おきつひめのみこと)が、これにあてられている。
  • 荒神神楽
    • 起源は室町時代まで遡る。荒神は、土、および火の神のことで、大地の恵みを与えてくれる神でもあり、災害をもたらす神でもある。農民たちの切実な祈りとして、この荒神を鎮める祭りが荒神神楽として伝わった。

吉備の荒神

  • 死野を生野に変える話:荒神
    • 播磨國風土記の神崎郡生野の条
    • 所以號生野者 昔 此處在荒神 半殺往来之人 由此號死野以後 品太天皇 勅云 此爲悪名 改爲生野
  • 備中神楽は、荒神(こうじん)神楽と神代(じんだい)神楽の二つに他 の要素が組み合わされている
  • 景行紀27年12月 吉備穴海に荒ぶる神がいた。難波の柏の済(わたり)の荒ぶる神を殺した
  • 大山西麓の江府町下蚊屋地域に伝わる荒神神楽
    • 鳥取県内の神楽で最も歴史が古く、県の無形民俗文化財に指定。300年ほど前、牛を飼って生計を立てていた下蚊屋地区の人々が牛の守り神である荒神を祭って行った神事、そもそもの起源だと言われています。ちなみに荒神とは、火の神だったり農業の神だったり地域によってさまざまですが、要するにその地域を守護する荒ぶる神のこと

西浦三寶荒神社

  • 三寶荒神社の三寶(宝)とは、御祭神が火の神様の奥津彦神(オキツヒコノカミ)、奥津姫神(オキツヒメノカミ)、土の神様の埴安姫神(ハニヤスヒメノカミ)の三柱でありますので、三柱の尊い神様という意味でもありますが、仏教の三寶(宝)からきているとも考えられます。仏教の三つの宝、つまり仏、法、僧を守っておられます神様を、仏教の信仰でも三寶荒神様とおよび致しますが、昔の神仏習合の時代、かまどの神、火の神である荒神様信仰と、仏教や修験道の三寶荒神様信仰が一緒になり、民間に荒神様の信仰が広まったともいわれております。

笠山三宝荒神由来 奈良県桜井市笠

  • 祭神 興津彦神、興津姫神、土祖神
  •  社頭の縁起には、日本最古の源としている。推古天皇の時、聖徳太子が参籠され、尊像を残すと言う。持統天皇亥歳、役小角修行の際、形を顕しし告げ給う
我は三宝を守る荒神なり、
常に善を作す者を助け、悪を造ろ者を罰す、
吾を敬う者は我九万八千八百八躰の眷属と倶に守り、
一切の願いを叶うべし。
  • 荒神が竈神の音便になまって、竈の神さまというようになったともいわれています。
  • 陰陽家では、土祖神、(さんずい)+奥津彦命、(さんずい)+奥津姫神の三神を荒神としておまつりしています
    • 修験道で役行者が金剛山で祈っていると艮(北東)の方に赤雲が幢のようになびいていたので、そのところにいってみると、宝冠をつけた六つの腕の神人がいました。右の手には独鈷、蓮華、宝塔をもち、左の手には鈴、宝珠、羯磨杵をもっていて、小角に告げて云うのには、「われはこれ三宝衛護の神として、世に呼んで荒神という。われつねに淨信修善の者をたすけて不信放逸の者を罰す、ゆえに人は荒乱神といへり…」そこで小角はその地に祠をつくってまつったということです
  • 東大寺を建てるとき、工事にけが人がおおく出て聖武天皇はこれを悔やまれていました。そのとき「伽藍を建てるならば七岫七谷峰の荒神をまつれ」というお告げがありました。さっそく良弁僧正が鷲峰山に祈って、東大寺が完成したということです。
  • 密教寺院では寺院建立のときにおまつりして伽藍の安泰、仏法守護を祈っています。日蓮宗では「普賢三宝荒神」としておまつりしているのですが、日蓮聖人の『御義口伝』に「三宝荒神とは十羅刹女のことなりいはゆる飢渇の神、貪欲の神、障礙の神なり、今法華経の行は三毒即三徳と転ずるゆへに、三宝荒神にあらざるなり、荒神とは法華不信の人なり、法華経行者の前にては守護神なり」と、十羅刹女を三宝荒神といっています。

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Last-modified: 2012-08-18 (土) 12:31:00 (2130d)