川匂神社:相模国の二宮 †
宝 物 †
穂積忍山宿弥 †
伊勢鈴鹿の忍山神社 †
秀真伝の三七段二八 †
昔、崇神朝の頃、シラギ(新羅)の王子アメヒボコが来朝し、天皇に服つらい帰化した五代孫のタジマモリ(田道間守)(アメヒボコ、モロスケ、ヒナラギ、キヨヒコ、タジマモリ)の遺書にいわく、「私は天皇(垂仁)の勅を受けて東国(常世国)視察に赴きました。東夷の国々を巡り見ての感想は残念ながら一朝一夕に天朝に服すのは難しいことを悟りました。せめて君との約束のカグの木(橘樹)を得たいと考えて、タチバナノモトヒコ(橘元彦)の家に荷を解き、じっくりと土地の風俗に馴染み親しみながら年を重ねるうちに早十年が経ってしまいました。その間やっとヒタカミノミチノク(日高見君陸奥)とシマズミチヒコ(島津道彦)と親睦を深めることができました。 ヤマト国とヒタカミ国との間の立場の違いも良く理解できたので、しばらくして後、ご報告を兼ねて念願のカグを君に献上しようと苦労して運んで上京する間に、君は先に神上がられてしまいました。何故もう少し早く帰京できなかったかと千々(ちぢ)に悔やまれてなりません。今このカグを若宮(景行帝)に奉ります。君よ、どうか僕(やつかれ)が、モトヒコの家で結んだ兄弟の滴(しずく)の源流(みなもと)を思しめして、ホツマ(東国)と友好関係を保って平和裏に国を治めて下さい。 実は、私の妻はモトヒコの娘ハナタチバナ姫でございます。姫は今、私の子を身籠っております。私は先帝亡き後、いまさら何を生きがいにこれ以上生き長らえましょうか。どうか私を不憫に思して、ハナタチバナ姫と生まれ来る子をよろしくお願いいたします。平和な君の御世の永らんことを切に祈りつつ伏してお願い申し上げます」この残し文が語るようにタジマモリは、君の陵(みささぎ)の前で来る日も来る日も、君への思いに身をやつし、ついに泣きながら天上の君の御もとへと、みまかりました。 このタジマモリの遺言により、天皇はタケウチノスクネ(武内宿禰)と話し合った後、先ずカグモトヒコの家にタケウチを派遣して味方につけてから、今は亡きタジマモリの一粒だね、実は今はヤマトタケのスケツマ(典侍)のオトタチバナ姫(弟橘)にホズミテシ(穂積臣橘右近)とサクラネマシ(桜本臣左近)を付けて、先駆けとして東国に遣わし、その後間もなく皇軍が下りました。 |