川匂神社:相模国の二宮

  • 寒川神社が一宮、川匂神社が二宮 [#lfd16912]
  • 縁起書
    • 創祀は十一代垂仁天皇の朝、
      当時余綾足柄両郡の東西海浜を磯長国と称せし頃、その国宰たる阿屋葉造が勅命を奉じ
      て当国鎮護のため崇祀せらる。
      磯長国造大鷲臣命・相模国造穂積忍山宿弥・同国造弟武彦命崇敬ありしを始め
      日本武尊東征の時、源義家東下りの時、奉幣祈願あり。
      人皇十九代允恭天皇の皇妃衣通姫命皇子御誕生安穏のため奉幣祈願あらせられる。

宝 物

  • 器物
    網石 壱顆 高さ 八寸径四尺 重量 十二貫 網の如く目理ありて網石と名付く
    宮司二見氏の先祖伊勢二見浦より携へ来りしものにして旱年には河中に入れ雨を祈るに霊験あり。

穂積忍山宿弥

  • 弟橘媛の父
  • 弟橘比売命,(弟橘媛命)は日本武尊の奥さん ほづみおしやまのすくね 相模国国造・穂積忍山宿弥の娘,
                橘元彦 ─────── 弟橘媛(稚武彦王の母)
               (別名 穂積氏)  
               (忍山宿弥)
               (押山命)
  • 物部の系図
    饒速日尊-宇麻志麻治命-彦湯支命-大禰命-出石心大臣命-大綜杵命-伊香色雄命-大水口宿禰命-建忍山宿禰→弟橘媛

伊勢鈴鹿の忍山神社

  • 鈴鹿市道伯町(伊勢国河曲郡)と亀山市野村町(伊勢国鈴鹿郡)に忍山神社が鎮座
    • 後社の祭神に饒速日命、大水口宿禰、忍山宿禰が並んでいます。 伊香我色雄命も鎮座。

秀真伝の三七段二八

  • 弟橘は田道間守の子供????
  • 「垂仁天皇の遺言に香久君の元彦の娘花橘 を、田道間守の妻となせ、とあり、その間に弟橘が誕生、(命名の由来は田道間守の魂の 緒を留める子)、後に花橘と弟橘とは田道間守によく似た押山命に嫁いだとのこと。
  • 秀真伝

 昔、崇神朝の頃、シラギ(新羅)の王子アメヒボコが来朝し、天皇に服つらい帰化した五代孫のタジマモリ(田道間守)(アメヒボコ、モロスケ、ヒナラギ、キヨヒコ、タジマモリ)の遺書にいわく、「私は天皇(垂仁)の勅を受けて東国(常世国)視察に赴きました。東夷の国々を巡り見ての感想は残念ながら一朝一夕に天朝に服すのは難しいことを悟りました。せめて君との約束のカグの木(橘樹)を得たいと考えて、タチバナノモトヒコ(橘元彦)の家に荷を解き、じっくりと土地の風俗に馴染み親しみながら年を重ねるうちに早十年が経ってしまいました。その間やっとヒタカミノミチノク(日高見君陸奥)とシマズミチヒコ(島津道彦)と親睦を深めることができました。

 ヤマト国とヒタカミ国との間の立場の違いも良く理解できたので、しばらくして後、ご報告を兼ねて念願のカグを君に献上しようと苦労して運んで上京する間に、君は先に神上がられてしまいました。何故もう少し早く帰京できなかったかと千々(ちぢ)に悔やまれてなりません。今このカグを若宮(景行帝)に奉ります。君よ、どうか僕(やつかれ)が、モトヒコの家で結んだ兄弟の滴(しずく)の源流(みなもと)を思しめして、ホツマ(東国)と友好関係を保って平和裏に国を治めて下さい。

 実は、私の妻はモトヒコの娘ハナタチバナ姫でございます。姫は今、私の子を身籠っております。私は先帝亡き後、いまさら何を生きがいにこれ以上生き長らえましょうか。どうか私を不憫に思して、ハナタチバナ姫と生まれ来る子をよろしくお願いいたします。平和な君の御世の永らんことを切に祈りつつ伏してお願い申し上げます」この残し文が語るようにタジマモリは、君の陵(みささぎ)の前で来る日も来る日も、君への思いに身をやつし、ついに泣きながら天上の君の御もとへと、みまかりました。

 このタジマモリの遺言により、天皇はタケウチノスクネ(武内宿禰)と話し合った後、先ずカグモトヒコの家にタケウチを派遣して味方につけてから、今は亡きタジマモリの一粒だね、実は今はヤマトタケのスケツマ(典侍)のオトタチバナ姫(弟橘)にホズミテシ(穂積臣橘右近)とサクラネマシ(桜本臣左近)を付けて、先駆けとして東国に遣わし、その後間もなく皇軍が下りました。


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Last-modified: 2012-08-18 (土) 11:24:00 (2306d)