銅鏡と神仙思想 †
神仙:銅鏡の画では †
- 天皇大帝(宇宙の最高神)
- 黄帝(生命の増益を司る神)
- 西王母(西の崑崙山に住み,人の不死を司る神)
- 東王父(東の大荒中の山に住み,人の不死を司る)
- 句芒(人に寿を授ける使者.人首鳥身)
- 神農(仙人化した農業神)
- 伯牙(伝説上の琴の達人)
- 南極老人(南天に現れれば天下がよく治まるという星のシンボル)
「魏志倭人伝」は 100枚の鏡と記載 †
- 「魏志倭人伝」の景初三(239)年の記事。
- 倭の女王卑弥呼が魏に使いを送った際、魏の皇帝は大いに喜んでさまざまな贈り物をした中に、「銅鏡百枚」と載っている。景初三年や、使いが帰国した翌「正始元(240)年」の銘文を持つものがある三角縁神獣鏡が「卑弥呼の鏡」の有力候補になった。
出土状況と鏡の役割 †
- 黒塚古墳では、被葬者の頭の部分には画文帯(がもんたい)神獣鏡という別の鏡が立ててあり、三角縁神獣鏡は棺の外に並べてあった。
- ランクの低い扱いとの見方
- 死者を守る魔よけやの鏡との見方
- 死者の霊を封じ込める鏡との見方
- 天上世界へ持って行く鏡との見方 など いろいろ
邪馬台国九州説と畿内説からみた銅鏡 †
- 九州説からみた三角縁神獣鏡
三角縁神獣鏡は、卑弥呼の鏡ではない。同時代の方格規矩神獣鏡などを重視
出土数が多すぎる(500枚以上の出土)
中国や韓国では出土例がなく、国産の可能性が高い
呉の工人が日本で作った(呉鏡説) (九州説に直接結びつくものではない)
- 三角縁神獣鏡が、呉鏡である平縁神獣鏡と三角縁画像鏡の特徴を併せ持っていることから、中国社会科学院考古研究所所長の 王 仲殊氏によって提唱された
- 畿内説からみた三角縁神獣鏡
卑弥呼の鏡である
卑弥呼が魏に使いを送った年である景初3年や正始元年の銘がある
(景初4年という存在しない年号もあるが)
数が多いのは、数度にわたる朝見のため(239~266年で6~7回以上)
中国や韓国で出土しないのは特注品のため
- 中国の学者は、魏の国では三角縁神獣鏡が1例もなく、国産であろうと強調
- 三角縁神獣鏡は中国では出土しないため,魏の皇帝が特別に作らせたという説が有るが,神獣鏡という形式は魏の敵国・呉の地域に多いことから,舶載鏡をもとに製作した,日本製の銅鏡という考えが有力である.
銅鏡の分布 †
- 前漢式鏡の分布の中心は福岡県。連弧文銘帯鏡など一部は佐賀・対馬・壱岐・山口県西部に拡がる
- 後漢式鏡には、方格規矩鏡・内行花文鏡のほか、獣帯鏡などがある。弥生式遺跡から出土し、分布は福岡県・佐賀県を中心に、対馬・壱岐・熊本県・大分県の北九州一円。
- 三角縁神獣鏡は京都・奈良・大阪など畿内のほか広域、福岡でも多く発掘されている。
銅鏡いろいろ †
- 内行花文鏡
- 日本では,内行花文鏡と呼ぶが,連弧文鏡というものである.中国において,
よく出土する銅鏡である.紐座の外側に内向きの連弧を一周巡らせた鏡である.
縁は幅が広く無文である.1 世紀中頃に作られた鏡で,宝器として利用された.
- 画文帯神獣鏡
- 三角縁神獣鏡についで出土数が多い銅鏡である.平縁であり,その部分の幅が
広く,その部分に小型の走獣・神仙・飛雲文などの絵画的な文様帯・画文帯がめ
ぐらされている.この形式の鏡は,三角縁神獣鏡の現れる直前に華南地方から輸
入されたものとみられている.
- 三角縁神獣鏡製作以前に日本に輸入されたとされている.縁の特徴を除けば三角縁神獣鏡と似ている.
- 銅鏡の鋳型は,一個の破片も知られていない。(銅鐸はあちこちで鋳型が出土。)
- 砂土,石型などが想定されて
いる.一つには,原型という雄型を作り雌型とする方法(複笵) と,直接型を刻み
雌型を製作する方法(直笵) による方法が中国では知られている
三角縁神獣鏡の出土分布 †
- 三角縁神獣鏡は、
- 縁の断面が三角形
- 裏面に神獣の模様。
- 中国で出土する後漢・三国時代の鏡よりもはるかに大きく、直径は平均22センチ程度ある。
三角縁神獣鏡の出土状況( [卑弥呼の鏡])
地方/枚数
近畿205
九州45
中部43
中国39
関東16
四国11
北陸2
いつ頃製作されたか †
- 角縁神獣鏡はおおむね、三世紀第2四半期ごろに製作がはぞまり、100年位の間製作が続いた。
参考リンク †