佐紀盾列古墳群

  • 奈良市の中央部にある平城宮跡の北方に、「佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群」があります。この佐紀盾列古墳群には、全長200mを越す前方後円墳が7基もあり、中小の円墳などを含めると約50基の古墳があります。古墳群は、平城宮跡を挟んで、ほぼ東西に分かれていますが、西側の古墳は東側よりも総じて古く、4世紀後半から5世紀前半の古墳が中心となっています。
  • 「神功皇后陵」は、この佐紀盾列古墳群のなかの西側に位置し、古墳群中最大の全長275mもある大古墳で、4世紀後半に造られたと考えられています。
  • 佐紀盾列古墳群には、第13代成務天皇(ワカタラシヒコ)の陵もあります。 日葉酢媛命(垂仁天皇皇后)狭木之寺間陵とされる佐紀陵山古墳もこの佐紀盾列古墳群にあります。
  • 崇神、垂仁、景行、成務の各天皇陵と神功皇后陵が「大和」にあるということは、神功皇后も、崇神王朝に妃を入れていた一族の娘だと思われます。

神功皇后を助ける3神

  • 神功皇后を助ける3神。『龍神』『鹿島明神』『住吉明神』。

長府と満珠島、干珠島

  • 長府。日本書紀には、仲哀天皇・神功皇后が西国平定に際し、現在の忌宮神社に豊浦宮を置かれたと記されています。
  • 長府という地名は、大化の改新(645年)以降、豊浦を「長門の国府」と定め、それがつづまって長府と呼ばれるようになったものです。以後、壇之浦で平家が滅亡した後、守護職が置かれるなど、長府は長門の政治の中心として栄えたのです
  • 神功皇后は、神様から「龍神より満珠・干珠の二つの珠を借りなさい」とのお告げを受け、早速、家来に二つの珠を借りて来させました。いよいよ敵の大軍が攻めて来ると、皇后はまず干珠を海に投げました。するとたちまち潮が干き、敵は船を降り、歩いて攻めて来ました。そこで今度は満珠を投げると、みるみる潮が満ちて敵はおぼれ、皇后の軍隊は見事勝利しました。
  • 勝利を祝う皇后は、お礼と共に珠を海に返しました。すると二つの珠が沈んだ海の上に、二つの島が浮かび上がってきました。皇后は「龍神が作られたこの二つの島は永久に長門の浦を鎮め、平和の波は、満珠・干珠の岸をいつまでも洗うだろう」と歓び、以後二つの島は満珠島、干珠島と呼ばれ、神聖な島として長府沖を彩っています。

和布刈神社と水先案内をつとめる龍神安曇磯良

  • 由緒:社記によると、第代仲哀天皇の九年、韓国からの凱旋の途中に、神功皇后が戦の勝利を神に感謝して、自ら神主となって創建した。西門鎮護の神として、歴代の将軍、領主の崇敬を集めてきました。
  • 御祭神は第1座に比売大神(アマテラス)、第二座に日子穂々出見命(ホホデミノミコト‐山幸彦)、第三座に鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト‐山幸彦と豊玉姫の間に生まれた子供で、神武天皇の父)、第四座に豊玉比売命(トヨタマヒメ‐龍神の娘で山幸彦の妻)、第五座に安曇磯良命の、五柱の神を配しています。
  • これらの神様の関係は、第一座の天照の、二番目のホホデミは孫に当り、その子供と妻が第三と第四座の神となります。第五座の磯良だけが少々関係が遠く、開祖の神功皇后に仕えていた志賀島の海士人です。ただこの安曇磯良は、豊玉姫の子供として民間には伝えられることもあり、住吉大社を始めとする、全国の海に関係のある神社に良く祭られている神。
  • 「和布刈神事」
    • 旧暦の大晦日に、お社の前の海に入り、鎌で和布を刈ることなのです。刈られた和布は、その年初めて神に捧げられる、神饌とされます。
    • 朝献:最も古い記録としては和銅三年、元明天皇の時代の和布刈神社で刈られた和布は朝廷にも献じられものがあります。
    • 従者の安曇磯良を海中に遣わし、潮涸珠・潮満珠の法を授かり、めでたく新羅侵略を成功に導いた、その遺風によるものであると書かれています。そして、昔ホホデミが海中の龍宮城を訪れ、海龍王の娘の豊玉姫を妻に迎え、また潮満・潮干の宝珠を授かり、それを子孫に伝え、万世途絶えることなき繁栄を見たという慶事を記念して、海中の和布を新年に神前に供え、また朝廷に捧げるのだと書かれています。

北条鹿島:愛媛の鯛飯

  • 北条市沖に浮かぶ鹿島、名前のとおり鹿の住む島です。 ここに鎮座する鹿島神社に要石があります。
  • 神功皇后が,朝鮮出陣の道すがら,鹿島明神を歓請して,戦捷を祈願されたとき, 北条の鹿島の鯛飯を賞味されたと伝えられている。
  • 仲哀天皇の后、神功皇后は西征の途中、軍船を風早郷の鹿島に止められ、軍備を整えられた。このとき、島の東部中腹二の平に仮宮を設けられたといわれ、この所を今も皇后の局と呼んでいる。 島の東北海岸一帯は大津地と呼ばれ、昔港のあったところといわれている。神功皇后は髪洗磯に立たれ、御姿を整え、旅装をなされると鹿島山頂の御野立の巌に立たれ、弓に矢をつかえ、沖へ放たれて戦勝を祈願し、大津地の港を出発したと伝えられている。

住吉明神

  • 伊弉諾神が黄泉国の穢に触れ給いたるに因り、橘小門(をど)之阿波岐原にて禊祓を為られ給える時に成り出で給える神である。
    • 古事記によると、「・・・上瀬は瀬速し、下瀬は瀬弱しと詔りごち給いて、初めて中瀬に随(お)りかづきて水底に滌ぎ給う時になり坐せる神の御名は底津綿津見神、次ぎに底筒男命、中に滌ぎ給う時になり坐せる御名は中津綿津見神、次ぎに中筒男命、水の上に滌ぎ給う時になり坐せる御名は上津綿津見神、次ぎに上筒男命、此の三柱の綿津見神は安曇連等が祖神と以ちいつく神なり。故安曇連等はその綿津見神の子、宇都志日金析(うつしひかなさく)の子孫なり。その底筒男命、中筒男命、上筒男命三柱の神は、墨江の三前(みさき)の大神なり」
    • 順に、磐土命、赤土命、底土命とも申す。

牛窓伝説

  •  牛窓には、神功皇后の言い伝えがあります。仲哀天皇は、妻である神功皇后と共に軍船にて三韓攻め(新羅・百済・高句麗の三国)に出発した。途中吉備の国であるこの牛窓浦に立ち寄られた時、軍船が港に着くや、激しい落雷と共に頭が8つの怪物が現れました。その怪物は塵輪鬼(ちんりんき)と言い、黒雲に乗って仲哀天皇の一群に襲いかかった。仲哀天皇は恐れるご様子もなく側の御弓を手にとり、塵輪鬼に矢を射て、射落とした。しかし仲哀天皇も、その時の流れ矢に当たり、それが元で御崩御されてしまいました。海に落ちた鬼の首が鬼島(黄島)、胴が前島、尾が青島となりました。  神功皇后は、大変お嘆きになられましたが、夫君のご遺志を継ぐべくこの浦の住吉明神に参拝(男装をして)された。
  • 三韓征伐を終えて再びこの地に立ち寄られた時、塵輪鬼の魂魄(こんぱく)が牛鬼に姿を変えて海底から出現し、皇后の船を転覆させようとした。  その時、住吉の大明神が老翁の姿となって現れて、その牛鬼の角をつかんでなげ倒しました。これにより牛鬼は息絶え、神功皇后は無事に難を逃れ、それからはこの浦を牛転び(うしまろび)と呼ぶようになった。

母系でみた系図

  • 仁徳----履中----反正----允恭 :葛城系
    • 石之姫(葛城ソツヒコの娘)を仁徳が娶り、3人の子供に継承
  • 安康----雄略         :葛城系+息長系
    • 二人とも葛城系の允恭天皇と息長系の中津姫(若野毛二俣王の子)との子供
  • 清寧             :葛城系+息長系
    •  子供がいない
  • 顕宗----仁賢         :葛城系
    • 両天皇はソツヒコのひ孫娘の子供        
  • 継体----安閑---宣化      :息長系
    • 二俣王の4代目が継体。継体の子が安閑、宣化
  • 欽明-----敏達           :息長系+葛城+和邇
    • 継体が手白香皇女(仁賢の娘、葛城と和邇の血を引く)と結婚して欽明が生まれた
  • 用明----崇竣----推古        :曽我+息長系(+葛城+和邇)
    • 欽明と堅塩姫の子が用明。用明の子が崇竣、推古
  • 舒明---以下            :息長系
  • 欽明の代で葛城系から息長系の勢力が再登場。
    • 葛城系は継体のあと衰退。
    • 舒明以降は息長系の時代
    • 母系で見ると、葛城から息長へ。曽我系の天皇の時代は短い。

葛城系皇統

  • 葛城系と磐之媛(いわのひめ)
  • 仁徳天皇、「磐之媛命を立てて皇后とす。皇后、大兄去釆穂別天皇(おはえのいざはわけすめらみこと履中天皇)・住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ)・瑞歯別天皇(みつはわけすめらみこと反正天皇)・雄朝津間椎子宿禰天皇(をあさつまわくごすくねのすめらみこと)(允恭天皇)を生れませり。又妃(またのみめ)日向髪長媛、大草香皇子(おはくさかのみこ)・幡稜皇女(はたびのひめみこ)を生めり」(日本書紀)
    • 仁徳天皇の皇后、磐之媛命の子から、履中天皇、反正天皇、允恭天皇の三天皇が生誕された。(葛城系皇統)
    • 后妃の髪長媛には、大草香皇子と幡稜皇女の二人が出生された。前者は葛城系皇統、後者は日向系皇統と称されています。     
  • 磐之媛の父君は葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)
  • 履中天皇は、葛城襲津彦の子である葦田宿禰の女、黒媛を皇妃として市辺押羽皇子(いちのへのおしはのみこ)が生まれています。
  • 応神王朝と日向
    • 西都原古代文化圏成立の時代は、応神王朝あるいは景行天皇からとされる「ワケ」王朝との交流の中で、「日向王国」形成の時代を迎えるのです。日向中央部の子湯県一帯を本拠とした「景行紀」の熊襲征討、次に、豊日文化圏の大首長として豊国別王の出現、そして仁徳天皇の后妃、髪長媛の入内と、その嫡子、大草香皇子、孫、眉輪王が応神、仁徳王朝内の日向系皇統として存在していた。畿内大和地方と日向とは、特に密接な間柄であったことが考えられるのです。
  • 『日本書紀』によると、応神天皇は、筑紫の蚊田に生まれたとあります。
    • 天皇は、日向泉長媛(ひむかのいずみのながひめ)を皇妃とし、大葉枝皇子(おおばえのみこ)、小葉枝皇子(おばえのみこ)が生まれています。『古事記』にも、日向の泉長比責を召して生みませる御子大羽江王、次に小羽江王と記されている。
    • 応神天皇陵の前にある陪塚の丸山古墳から出土した国宝の「金銅透彫鞍金具」と、西都原古墳群の一角、百塚原から発見された同じく国宝の金銅製馬具類の中の金銅鞍金具が、ともに極めて類似していることです。この両金銅馬具類は、日本の古墳出土品の双璧と謂われていますが、五世紀代の出土遺物と推定されており、日向-大和の関係で注目される。

吉備との連合

  • 孝安天皇や孝霊天皇の皇子に「吉備」の名がついているということは、それらの天皇の妃が「吉備の女」だったとも考えられ、古代は入り婿制だったことを考え合わせると、時の天皇家が吉備氏(仮称)に入り婿したということも考えられます。この「天皇家」とは先稿の「葛城・鴨連合」なのか、「葛城・鴨連合」を吉備氏と組んで倒した別の氏族は??例えば和邇氏とか

日子坐王の系譜

  • 日子坐の父は、日子國押人(孝元)であり
    この天皇、穂積臣等の祖、内色許男命の妹、内色許賣を娶りて、生みませる御子、
    大毘古、次に少名日子建猪心命、次に若倭根子日子大毘毘命
また内色許男命の女、伊迦賀色許賣命を娶りて、生みませる御子、比古布都押之信命
  • 日子坐王は、摂津を中心に近江・山代・河内・大和から神大根王の東海、吉備に接する播磨までの支配者を生んでいる
     (近江系)
      日子坐王    -+
                   +-水之穂真若王
      息長水依比賣-+
    
      (山代系)
     日子坐王    -+-大筒木真若           -+
                                           +-迦邇米雷王-+
                    伊理根-+-阿治佐波毘賣-+            +-息長宿禰王-+
                                                        +            +
                                丹波遠津臣-+-高材比賣  -+            +-+-息長帯比賣
      (息長田別)                                        葛城高額比賣-+ +-虚空津比賣
      
                                             息長田別  -+-咋俣長日子-+-+-飯野真黒比賣

息長

                      葛城高額姫―+―息長帯姫
                            ↑ 神功
       丸邇氏          丹波      |
        彦坐命―+        息長宿禰王――+       
            ↓  安(野洲)直        ↓ 但馬国造祖
天御影神――息長水依姫―++―水穂真若王…河俣稲依毘売―+―大多陀牟夜別―+
             |                意富多牟和気 |
             +―丹波道主           大多牟坂王  |
             | 比古多多須美知能宇斯王           |
             |                       |
             +―水穂五百依比賣               |
             |                       |
             +―御井津比賣                 |
                                     |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|                             
|   倭建命―+                       
|       ↓                        
+―布多遅比売―+―稲依別王――杙俣長日子王―+
          息長田別王 河派仲王   |
                       |
+――――――――――――――――――――――+
|     葛城応神+
|         |
+―飯野眞黒日売  |
|         ↓
+―息長眞若中日売―+―若野毛二俣王―+
|                  ↓        葛城
+―百師木伊呂辨―――――――――――++―大郎子    允恭+
  弟日売真若比売命          | 意富富杼王    |
                    |          ↓
                    +―忍坂大中津比売命―++―安康
                    |           |
                    +―田井中比売     +―雄略―+ 
                    |                ↓
                    +―藤原琴節郎女―――――――――+
                      衣通郎姫


       越前継体―+
            ↓
…息長眞手王―+―娘子―+
       |
       +―廣姫―+―押坂彦人大兄―+
            ↑ 忍坂日子人太子|
         敏達―+        |
            ↓        ↓
  大鹿首小熊―菟名子―+―糠手姫――――+―舒明―――――――+
                       田村皇子     |
                       息長足日比廣額天皇| 
                                ↓
                      葛城宝皇女―――――+―+―中大兄
                       皇極・斉明       |葛城皇子
                                  | 天智
                                  |    
                                  +―大海人
                                     天武

聖徳太子 関係図

斎王

  • 日本書紀の崇神紀によれば、崇神天皇が皇女豊鍬入姫命に命じて宮中に祭られていた天 照大神を倭の笠縫邑に祭らせたとあり、これが斎王(斎宮)の始まりとされる。
  • 斎王名
  • (とよすきいりひめ) 父: 崇神天皇 母: 遠津年魚眼妙媛
    • 垂仁天皇の異母姉妹で、垂仁天皇とともに皇位継承者の候補にあげられた豊城入彦の同母妹。
  • (やまとひめ) 父: 垂仁天皇 母: 丹波道主王の女、日葉酢媛命。
    • 垂仁天皇皇女。豊鍬入姫命より、御杖代の役目を引き継ぎ、天照大神の鎮座される地を求めて各地を巡幸し、伊勢に至った斎王。 ヤマトタケルノミコトの叔母にあたり、東征に赴く途中、伊勢神宮を訪ねたヤマトタケルに草薙剣を手渡した。
  • (いおの) 父: 景行天皇 母: 三尾氏磐城別の妹、水歯郎媛
    • 大和建命の姉。別名、久須姫(くすひめ) 明和斎宮へ来た最初の斎王といわれる。 伊勢で死亡と伝えられ、三重県安芸郡美里村五百野に「景行天皇皇女久須姫命之古墳」の碑が残る。
  • (いわしま)
    • 『斎宮記』、『二所太神宮例文』に名前のみ記されているが、実在した斎王かどうかは確認できない。 仲哀 皇女 雄略3以前 ? ?
  • (わかたらしひめ) 父: 雄略天皇 母: 葛城圓大臣の女、韓姫 雄略天皇の皇女。
    • 別名:栲幡皇女(たくはたのひめみこ) 清寧天皇の同母兄妹。湯人の廬城部連武彦との関係を疑われ、身の潔白を証明するため自殺。無罪とわかる。
  • (ささげ) 父: 継体天皇 母: 息長真手王の女、麻績娘子
    • 近江の息長系の皇女。 安閑・宣化天皇の時代、斎王の記録なし
    • 継体天皇前後で王朝の交代があったと考える説あり、また、継体天皇の後に即位したのは欽明天皇で、それを認めない勢力が欽明天皇即位の2年後に安閑天皇、次いで宣化天皇を擁立したとする説が有力。
  • (いわくま) 父: 欽明天皇 母: 蘇我大臣稲目宿禰の女、堅塩媛 
    • 用明天皇の妹。推古天皇の同母姉。 別名:夢皇女 伊勢ではなく三輪山の麓で日神を祀っていたと考えられている。推古天皇の同母妹。 異母兄弟茨木(茨城)皇子に姦されて解任。
  • (うじ) 父: 敏達天皇 母: 息長真手王の女、廣姫
    • 用明天皇の妹。推古天皇の同母姉。 息長系を母系とする皇女。池辺皇子に姦されて解任される。 菟道磯津貝皇女とも記される。(古事記では宇遅王と記す) おそらく、三輪山のほとりで日神を祀り、伊勢へは下向していないと思われる。
  • (すかてひめ) 父: 用明天皇 母: 葛城直磐村の女、広子
    • 聖徳太子の異母姉妹 用明・崇峻・推古の3代の天皇の治世にわたる斎王。おそらく磐余か他田の三輪山の麓、あるいは檜原神社のあたりで日神を祀っていたと考えられる。 初めて「日神の祀に奉らしむ」と明記される。 『上宮正徳法王帝説』では「次須加氏古女王」として聖徳太子兄弟7人の中に数えられる。
    • 在任期間については用明元年(586)~推古30年(622)の37年間とする説がある。

元伊勢 と 『勘注系図』

  • 丹後一宮元伊勢籠神社の国宝
    • 2つの系図と、2つの鏡。「海部氏系図(あまべうじけいず)」、「海部氏勘注系図(あまべうじかんちゅうけいず)」、「息津鏡(おきつかがみ)」、「邊津鏡(へつかがみ)」。
  • 海部氏の勘注系図は初代彦火明(天照国照彦火明櫛玉饒速日尊)から、児天香語山、孫天村雲、三世孫倭宿禰と続く。
    • 三世孫倭宿禰に異母兄弟の天忍男命という人物がある。『先代旧事本紀』によると、この人の児が、瀛津世襲(置津世襲命)と世襲足媛である。
    • この三世孫倭宿禰に異母兄弟の天忍男命という人物がある。『先代旧事本紀』によると、この人の児が、瀛津世襲(置津世襲命)と世襲足媛である。
    • 天忍男命とその兄弟天忍人に続く次の世代から、葛木姓を名乗る女性を数多く娶っている。
  • 日本書記の本文と古事記は、崇神の皇子、豊鍬入彦命(とよすきいりひこ)と豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)の母を遠津年魚眼妙媛(とおつあゆまくわしひめ)とする。
  • 豊鋤入姫が天照大神を戴き、倭の笠縫から丹波余社郡久志比之眞名井原匏宮(たんばよさのこうりくしひのまないはらよさのみや)に移り、ここ丹波に奉(ま)ったとする。 匏宮(よさのみや)が元伊勢と呼ばれる由縁である。
    • 丹波は豊鋤入姫の母方につながる祖先の地であり、彦火明を通じて天照大神につながる場所でもある。

丹波系の后妃など

  • 孝昭妃 世襲足媛(よそたらしひめ) 。
  • 宇那比姫命(うなびひめ)(またの名、天造日女命、大倭姫、竹野姫、大海靈姫命、日女命)
  • 孝霊妃 大倭久邇阿禮姫命(おおやまとくにあれひめみこと) 。
    • 古事記は富夜麻登玖邇阿禮比賣命(おおやまとくにあれひめみこと)。書記は倭国香媛(やまとのくにかひめ)とする。どちらも、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひもそひめのみこと)の母。
    • 『勘注系図』七世孫建諸隅(由碁理)の近くに、この大倭久邇阿禮姫命の名を記す。
  • 開化妃 大倭姫命、天豊姫命 。
    • 古事記は、旦波の大縣主、名由碁理の女、竹野媛。書記は丹波の竹野媛とする。
  • 崇神妃 葛城高千名姫命(またの名、八坂振天伊呂邊、大海姫命)。
    • 日本書記の本文と古事記は、崇神の皇子、豊鍬入彦命(とよすきいりひこ)と豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)の母を遠津年魚眼妙媛(とおつあゆまくわしひめ)とする。しかしその一方、書記は、一書にいうとして、大海宿禰の娘、八坂振天某辺(やさかふるあまいろべ)とする。
  • 垂仁の妃〔日葉酢媛〕
    • 『書記』は十一代垂仁の妃として、日葉酢媛(ひはすひめ)他、丹波の五女をよびだし、後宮にいれたとする。日葉酢媛は十二代景行の母で、崇神時代丹波に派遣された四道将軍の一人、丹波道主王の児とされる。
    • 『勘注系図』は、彦田田須美命という人物を丹波道主とする。日葉酢媛は丹波道主が、川上眞稚命(日本得魂命)の妹、川上麻須郎女を娶って、生まれた児とされる。

 天皇の宮の変遷

  • 畝傍橿原宮(神武)→葛城高丘宮(綏靖)→片塩浮穴宮(安寧)→軽曲峡宮(懿徳)→掖上池心宮(孝昭)→掖上池心宮(孝昭)→室秋津島宮(孝安)→黒田廬戸宮(孝霊)→軽境原宮(孝元)→春日卒川宮(開化)→磯城瑞籬宮(崇神)→纏向珠城宮(垂仁)→纏向日代宮(景行)→泳宮→近江志賀高穴穂宮(成務)→穴門豊浦宮(仲哀)→大和磐余若桜宮(神功)
  • 大和軽島豊明宮(応神)→難波高津宮(仁徳)→大和磐余稚桜宮(履中)→河内丹比柴籬宮(反正)→遠飛鳥宮(允恭)→河内茅渟宮→石上穴穂宮(安康)→泊瀬朝倉宮(雄略)→大和磐余甕栗宮(清寧)→大和葛城角刺宮→近飛鳥八釣宮(顕崇)→石上広高宮(仁賢)→泊瀬列城宮(武烈)→河内楠葉宮(継体)→山城筒城宮→山城弟国宮→大和磐余玉穂宮→大和勾金橋宮(安閑)→大和檜隈慮入野宮(宣化)→大和磯城島金刺宮(欽明)→百済大井宮(敏達)→大和譯語田幸玉宮→磐余池辺雙槻宮(用明)→大和倉梯柴垣宮(崇峻)→飛鳥豊浦宮(推古)→小墾田宮→飛鳥岡本宮(舒明)飛鳥田中宮→百済宮→小墾田宮(皇極)→飛鳥板葺宮→川原宮→難波長柄豊崎宮(孝徳)→長柄豊崎宮→飛鳥板蓋宮(斎明)→飛鳥川原宮→飛鳥後岡本宮→両槻宮→吉野宮→筑前磐瀬行宮(天智)→滋賀大津宮→飛鳥浄御原宮(天武)→難波宮(持統)大和藤井原藤原宮。
  • 所在地
    • 神武 大和国橿原宮(かしはらのみや) 奈良県橿原市畝傍町 綏靖 大和国葛城高丘宮(かつらぎのたかおかのみや) 奈良県御所市森脇 安寧 大和国片塩浮孔宮(かたしおのうきあなのみや) 奈良県大和高田市三倉堂 懿徳 大和国軽曲峡宮(かるのまがりおのみや) 奈良県橿原市大軽町 孝昭 大和国掖上池心宮(わきのかみのいけこころのみや) 奈良県御所市池之内 孝安 大和国室秋津島宮(むろのあきつしまのみや) 奈良県御所市室 孝霊 大和国黒田廬戸宮(くろだのいほとのみや) 奈良県磯城郡田原本町黒田 孝元 大和国軽境原宮(かるのさかいはらのみや) 奈良県橿原市大軽町 開化 大和国春日率川宮(かすがのいさかわのみや) 奈良県奈良市子守町 崇神 大和国磯城瑞籬宮(しきのみずがきのみや) 奈良県桜井市金屋 垂仁 大和国纏向珠城宮(まきむくのたまきのみや) 奈良県桜井市穴師 景行 大和国纏向日代宮(まきむくのひとろのみや) 奈良県桜井市穴師 景行・成務・仲哀 近江国高穴穂宮(たかあなほのみや) 滋賀県大津市坂本穴太町 仲哀 長門国穴門豊浦宮(あなとのとゆらのみや) 山口県下関市豊浦町 筑前国橿日宮(かしひのみや) 福岡県福岡市香椎町 神功皇后 大和国磐余若桜宮(いわれのわかさくらのみや) 奈良県桜井市池之内 応神 大和国明宮(あかるのみや) 奈良県橿原市大軽町 摂津国難波大隅宮(なにわのおおすみのみや) 大阪府大阪市東区 仁徳 摂津国難波高津宮(なにわのたかつのみや) 大阪府大阪市東区 履中 大和国磐余若桜宮(いわれのわかさくらのみや) 奈良県桜井市池之内 反正 河内国丹比柴籬宮(たじひのしばがきのみや) 大阪府松原市上田町 允恭 大和国遠飛鳥宮(とおつあすかのみや) 奈良県高市郡明日香村 安康 大和国石上穴穂宮(いそのかみのあなほのみや) 奈良県天理市田町 雄略 大和国泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや) 奈良県桜井市黒崎 清寧 大和国磐余甕栗宮(いわれのみかくりのみや) 奈良県桜井市池之内 飯豊青皇女 大和国忍海角刺宮(おしぬみのつぬさしのみや) 奈良県北葛城郡新庄町忍海 顕宗 大和国近飛鳥八釣宮(ちかつあすかのやつりのみや) 奈良県高市郡明日香村八釣 仁賢 大和国石上広高宮(いそのかみのひろたかのみや) 奈良県天理市石上町 武烈 大和国泊瀬列城宮(はつせのなみきのみや) 奈良県桜井市出雲 継体 河内国樟葉宮(くすばのみや) 大阪府枚方市楠葉 山城国筒城宮(つつきのみや) 京都府綴喜郡田辺町多々羅 山城国弟国宮(おとくにのみや) 京都府向日市井内 大和国磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや) 奈良県桜井市池之内 安閑 大和国勾金橋宮(まがりのかなはしのみや) 奈良県橿原市曲川町 宣化 大和国檜隈廬入野宮(ひのくまのいほりののみや) 奈良県高市郡明日香村檜隈 欽明 大和国磯城嶋金刺宮(しきしまのかなさしのみや) 奈良県桜井市金屋 敏達 河内国百済大井宮(くだらのおおいのみや) 大阪府河内長野市太井 大和国訳語田幸玉宮(おさだのさきたまのみや) 奈良県桜井市戒重 用明 大和国池辺雙槻宮(いけべのなみつきのみや) 奈良県桜井市池之内 崇峻 大和国倉椅宮(くらはしのみや) 奈良県桜井市倉橋 推古 大和国豊浦宮(とゆらのみや) 奈良県高市郡明日香村豊浦 大和国小墾田宮(おはりだのみや) 奈良県高市郡明日香村豊浦・橿原 舒明 大和国飛鳥岡本宮(あすかのおかもとのみや) 奈良県高市郡明日香村小山 大和国田中宮(たなかのみや) 奈良県橿原市田中町 大和国厩坂宮(うまやさかのみや) 奈良県橿原市大軽町 大和国百済宮(くだらのみや) 奈良県北葛城郡広陵町百済 皇極・孝徳 大和国飛鳥板蓋宮(あすかのいたぶきのみや) 奈良県高市郡明日香村岡 孝徳 摂津国難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや:前期難波京) 大阪府大阪市東区法円坂町 大和国飛鳥川原宮(あすかのかわらのみや) 奈良県高市郡明日香村川原 大和国後飛鳥岡本宮(のちのあすかのおかもとのみや) 奈良県高市郡明日香村小山 天智・弘文 近江国志賀大津宮(しがのおおつのみや:近江京・大津京) 滋賀県大津市南滋賀町 天武・持統 大和国飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや) 奈良県高市郡明日香村飛鳥 持統・文武・元明 大和国藤原宮(ふじわらのみや:藤原京・新益京) 奈良県橿原市 元明・元正・聖武 大和国平城宮(ならのみや:寧楽宮・平城京) 奈良県奈良市 聖武 山城国大養徳恭仁大宮(おおやまとくにのおおみや:恭仁京) 京都府相楽郡加茂町 摂津国難波宮(なにわのみや:後期難波京) 摂津国大阪府大阪市東区 近江国紫香楽宮(しがらきのみや:信楽京・甲賀宮) 滋賀県甲賀郡信楽町黄瀬 近江国保良宮(ほらのみや:平城京改造の際の陪都) 滋賀県大津市国分 河内国由義宮(ゆげのみや:弓削宮・西京) 大阪府八尾市八尾木 桓武 山城国長岡宮(ながおかのみや:長岡京) 京都府向日市鶏冠井 桓武~孝明 山城国平安宮(平安京・京都) 京都府京都市上京区 安徳 播磨国福原京(安徳天皇を擁した平家の臨時首都) 兵庫県神戸市兵庫区

母系でみる神武天皇から考昭天皇

宮居・陵墓の所在地(比定地) 
│天 皇│  宮  居        │ 陵  墓            │
│神 武│畝傍山麓 橿原神宮    │畝傍山麓   橿原市四条町    │
│綏 靖│葛  城 御所市森脇    │畝傍山麓   橿原市四条町
│安 寧│葛  城 大和高田市三倉堂 │畝傍山麓   橿原市吉田町字西山
│懿 徳│軽    橿原市大軽町   │畝傍山麓   橿原市池尻町カシ
│孝 昭│葛  城 御所市池之内   │葛  城   御所市三室字博多山
│孝 安│葛  城 御所市室     │葛  城   御所市玉手字宮山
│孝 霊│磯  城 田原本町黒田   │葛  城   王寺町本町
│孝 元│軽    橿原市大軽町   │剣  池   橿原市石川町剣池上
│開 化│春  日 奈良市上三条町  │春  日   奈良市油阪町    │
│崇 神│磯  城 桜井市金屋    │柳  本   天理市柳本字アンド │
  • 神武天皇(鵜茸草茸不合尊 と玉 依 姫 の子)
    • 事代主神と三島溝橛耳神の娘の玉櫛媛との間に生まれた媛蹈鞴五十鈴媛命
    • 『古事記』の表記は三島の湟咋です。この三島溝橛耳神ですが、『延喜式神名帳』摂津国鴨下群の条に溝咋神社というのが見られる。また、事代主神を守護する鴨氏ゆかりの三嶋鴨神社も同じ鴨下群の条に見られるので、媛蹈鞴五十鈴媛命はこのあたりの出自か。
    • 三島溝咋耳命(みしまみぞくいみみのみこと)摂津(大阪)溝咋神社の祭神で、神武天皇の皇后である媛蹈鞴五十鈴媛命の外祖父。河内陶都耳命(大物主の妻、活玉依姫の父。大神氏の祖、大田田根子の先祖)や、賀茂御祖神の賀茂建角身命神(阿治志貴高日子根神)と同神とする系図もある
  • 綏靖天皇(神武天皇と比売多多良伊須気余理比売の子)
    • 正妃は、記は師木県主 、紀は事代主神の娘
    • 古事記には「御陵在衝田岡也」、日本書紀には、「葬神渟名川耳天皇於倭桃花鳥田丘上陵」。
    • 綏靖天皇は、神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)、葛城の高岡宮に坐して、天の下治らしめしき。御年45歳 御陵は衝田岡(つきたのをか)。
    • 葛城の高岡宮というのは、現在の奈良県御所市森脇付近らしい。
  • 安寧天皇 (綏靖天皇と五十鈴依媛命 の子)

  • 事代主神 と 勢夜陀多良比売 の子が皇后となった。比売多多良伊須気余理比売と五十鈴依媛命
  • 古事記には、「御陵在畝火山之美富登也」。日本書紀には、「安寧天皇を、畝傍山の南の御蔭井上陵に葬る」とある。
  • 懿徳天皇(安寧天皇 と 渟名底仲媛命 の子)
    • 正妃は、記は師木県主 、紀は姪
    • 渟名底仲媛命は、事代主神の孫の鴨王の女子。鴨玉命(磯城県主?)の娘。
    • 都は、軽の地に移したとありますが、これを曲峡宮(まがりおのみや)または、軽曲峡宮(かるのまがりおのみや)というそうです。今の橿原市大軽町にあたりますが、付近には、丸山古墳や植山古墳などがある。この東は、もう飛鳥甘樫丘(あまかしのおか)。
    • 宮: 軽曲峡宮(かるのまがりおのみや)奈良県橿原市大軽町
    • 陵墓:畝傍山南繊沙渓上陵(うねびやまのみなみのまさごのたにのえのみささぎ) 奈良県橿原市西池尻町
  • 考昭天皇(懿徳天皇 と 天豊津媛命 の子)
    • 正妃は葛城系(尾張)
    • 初代天皇の神武天皇から、第4代までは、陵墓が奈良県橿原市の畝傍山(うねびやま)の麓にあるが、第5代の孝昭天皇と、第6代の孝安天皇は、御所市にある。御所市は、金剛山・葛城山などの麓にあり、古い豪族「葛城氏」(かつらぎ・かつらき氏)がいたところ。鴨都波神社(通称:下鴨神社)の近くに陵墓がある。孝昭天皇陵 掖上博多山上陵。「大和志」では、孝昭天皇陵は、室の宮山古墳をあてている。
  • 孝昭天皇の皇后は、尾張氏の祖「瀛津世襲 オキツヨソ」の妹 世襲足媛(よそたらしひめ)。古事記では、「余曽多本毘売」(よそたほびめ)。オキツヨソは、葛木彦(かつらぎひこ)とも言われる。
  • 勘注系図では置津世襲命を九世孫とするが、置部與曾命との混同が見られる。本来は尾張氏の系図にみる四世孫であろう。系図は初代彦火明(天照国照彦火明櫛玉饒速日尊)から、児天香語山、孫天村雲、三世孫倭宿禰と続く。この三世孫倭宿禰に異母兄弟の天忍男命という人物がある。『先代旧事本紀』によると、この人の児が、瀛津世襲(置津世襲命)と世襲足媛である。
  • 大物主関係の母系
    神 武 后 妃           父  名     母  名
    ------------------------------------------------------
    古事記    
    
  富登多多良伊須岐比売      大物主神    勢夜陀多良比売 
 (比売多多良伊須気余理比売)           (三島溝咋女)
  ------------------------------------------------------
  書紀
  
  媛蹈鞴五十鈴媛              事代主神     玉櫛媛
                                         (三嶋溝杙耳女)
  -------------------------------------------------------
  • 書紀と古事記で大きな異同がある。一致するのは、に母の父である「三島溝咋」である。これは摂津三島のことで後の摂津国三島郡であり、はやくに島上郡と島下郡に分かれた。ちなみにこの地には、古墳時代中葉または後半に、弁天山古墳群といわれる前方後円墳が築かれている。一時期、大和盆地を除く河内・播磨・吉備をはじめ山城・近江・丹波などもふくめて最古の前方後円墳とみなされたことがあったが、その後これは前期後半すなわち四世紀後半に修正された経緯がある。
  • 弥生時代後期における近畿の人口は、大和>摂津>河内の順。初期の天皇は摂津の娘を后妃にした。

 崇神紀にある大田田根子の祖先

  • 書紀・古事記の崇神紀にある大田田根子の祖先の説話 
    • 「大物主神が河内の陶津耳の女活玉依毘売を娶って、櫛御方・飯肩巣見・建甕槌・意富多多泥古にいたる」という系譜である。書紀はこれを「父をば大物主神、母をば活玉依毘売と曰す。陶津耳の女なり。また云く、奇日方天日方武茅淳祇の女なり」といっている。
    • 活玉依毘売は和泉茅淳

櫛玉比女

  • 奈良県北葛城郡広陵町 櫛玉比女命神社
  • 櫛玉比女命(くしたまひめのみこと)は、「神名帳考証」(神祇全書第二)という書物では、物部氏の祖 天饒速日命(あめのみぎはやひのみこと)の妻で、長髄彦(ながすねひこ)の子 御炊屋比売命(みかしきやひめのみこと 御炊屋姫)とされています

関連リンク


トップ   差分 バックアップ リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2012-08-18 (土) 11:08:00 (2190d)