藤原氏秀郷流

  • 由佐氏は藤原秀郷の後裔といい、常陸国益戸(下河辺)の城主であった。
  • 益戸下野権守顕助は、尊氏が後醍醐天皇に叛旗を翻した建武二年、顕助は尊氏に属して京都で戦い討死した。
  • 足利尊氏は顕助の死を惜しみ、その子弥次郎秀助讃岐国香東郡井原庄の荘司職を与えた。これが、由佐氏が讃岐と関係をもつはじめとなった。 その後、讃岐守護となった細川頼春に従って井原庄に移り住み、東に香東川、西に沼地が広がる要害の地に居館由佐城を築いて代々の本拠とし名字を由佐と改めた。頼春のあとを継いだ頼之が鳥屋の岡に城を築いた。

清明

  • 由佐氏の居城であった井原城址には、晴明屋敷祉という遺跡があり、晴明が呪術をもって蚊をふせてあるから蚊がいないといわれている。また、由佐氏の神庫には、晴明が火、水、盗難を封じた練石というものが伝えられているという。晴明とは安倍晴明のことで、陰陽道の大家として知られた人物である。
  • 『讃岐国大日記』には晴明が讃岐国香東郡井原庄で生まれたと記され、『西讃府志』には讃岐国香川郡由佐の生まれと記されている。
  • 由佐の冠纓(かむろ)神社は由佐文書に「(前略)当国由佐井原庄を賜ひ相候。領知之内に勧請仕る同社は、安部晴明代々神主にて候」とある。

冠纓八幡神社

  • 讃岐守護の細川頼之が冠を収めたことから冠尾八幡と呼ばれるようになったという。。

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Last-modified: 2012-08-18 (土) 09:54:00 (2308d)