妙見

妙見大悲者は、北の北にぞおはします、衆生願ひを滿てむとて、空には星とぞ見えたまふ〔『梁塵秘抄』287〕 頭注に「大悲妙見菩薩は、天の北極においでになる。衆生の願いを満足させようというので、空に北辰として姿を現していらっしゃる。⇒補「妙見」七仏八菩薩所説大陀羅尼神咒経二「我北辰菩薩。名曰∥妙見|。今欲∩説∥神咒|擁⊂護諸国土∪。所作甚奇特。故名曰∥妙見|。処∥於閻浮提|。衆星中最勝。神仙中之仙。菩薩之大将。光∥目諸菩薩|。曠濟∥諸群生|。有∥大神咒|。名∥胡捺波|。晋言∥擁護国土|。佐∥諸国王|。消∨災却∨敵。莫∨不∨由∨之」とあり、妙見菩薩は中国で生まれた仏で、日本では密教と陰陽道で祭られて「北斗七星」の化身と考えられていたようだ。

「平良文」将門の叔父。武蔵国大里郡村岡(埼玉県熊谷市)を本拠地とす。良文は、妙見菩薩を深く信仰し、北の地を目指し、朝廷から陸奥守鎮守府将軍を賜り、陸奥国胆沢(いざわ)城に赴任する。後の世に、坂東八平氏と呼ばれた畠山、千葉、上総、土肥、三浦などの名家を生むことになる。

 河内 星田妙見

  • 天の川が流れる交野ヶ原一帯には星田、星ケ丘、中宮(北極星のある場所を意味する)、天の川上流の磐船渓谷には物部氏の祖先神、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が天上より天の磐船で地上に降臨したという伝説をもつ磐船神社、星田妙見宮(北斗七星を祀る)・降星山光林寺・星ノ森の三ヵ所に星が降ったという降星伝説が残されています。
  • http://murata35.cool.ne.jp/meisho/myokendensetu.htm
  • 空海訪問の地
  • 物部 岩船神社に近い
  • 桓武天皇は幼少期を交野で過ごす?
    • 傍系の皇族の子女山部王(桓武天皇)は、母方の祖父百済王敬福が国司として勢力を持ち、拠点としていた交野郡中宮で多くの月日を過ごしたことだろう。そして、百済王氏の貯えた大陸の政治思想、文化、生活様式を多く学んだことだろう。
  • 祭天の行事
    • 785年・(延暦4)桓武天皇は「交野柏原」で国家的な事業である祭天の行事をおこなった。これが、日本で行なわれた、初の祭天だった。
  • 伊勢物語の天の川
    • 惟喬(これたか)親王と在原業平(ありわらのなりひら)が狩りをしているうちに、日暮れになり
    • かた野のあまの川のほとり  御ともなる人、さけをもたせて野より出きたり。此の酒をのみてんとて、よき所をもとめ行くにあまの川といふ所にいたりぬ。みこ。むまのかみ、おほみきまいる。みこのた給ひける。かた野をかりてあまの川のほとりにいたるを題にて、歌よみて盃はさせと、のたまふければ、かのむまのかみ、よみたてまつりける。
      [古今]
        かりくらし たなはたつめに 宿からん
                   あまのかはらに 我はきにけり   業平朝臣
      (狩をして日を暮らし、今夜は織女さんにお宿をお願いしましょう。
       天の河原にわたくしは来たので)
      
    •  みこ、歌をかえすかえすいたまふて、かえしえしたまはす。紀ノありつね、御ともにつかうまつれり、それか返し  
      [古今]
         ひととせに ひとたひきます 君まては
                    宿かす人もあらしととそ思ふ     紀 有常
      (一年に一度おいでのお方をお待ちしているのですから、ここが天の河だからといって
      も、おめあての人でもなければ、そうやすやすと宿を貸してはくれますまい)

 竹取

竹取物語の中の藤原氏

壬申の乱で没落した藤原(中臣)氏が、権力の中枢に復活するには非常手段をとった。多くの皇族や豪族を闇に葬っている。そのために深い恨みを買った。竹取物語は藤原氏の陰謀で没落しの憂き目をみた紀氏(紀貫之)によって書かれた疑いが強い。

藤原不比等を暗示する車持皇子に対して[たばかリある者]すなわち謀略好きな男と手厳しい。そればかりか、姑息な手段でかぐや姫を我が物にしようとした人物として描かれている。

車持皇子は、罪もない者たちを血の出るほど叩きののめすという残虐な人物だったというのだ。かぐや姫を迎えにきた月の都のものたちは[いざ、かぐや姫,穢き所にいかでか久しくおはせん]と語りかける。

穢き所とは、藤原の天下そのものを指している。このような辛らつな批判を受けるほど、藤原氏は恨みを買っていた。

以上は、関裕二さんの[大化の改新の謎]からの引用です。 迦具夜比売命 なるほど、古事記に迦具夜比売命がかぐや姫の原型なんですね!鍛冶集団とかぐや姫伝承のつながり興味深いです。そうとう起源が古い話なのでしょうね。壬申の乱の大友皇子の墓と京田辺市のかぐや姫伝承、そのかぐや姫の竹取の翁の名「さかきの造」と呼ばれており、三山木の佐牙神社は古代酒造りの地であり「さか」と呼んだものと思われ、「榊」から朝廷に仕える人であったとも考えられるとの説、かなり重要です。宮中八神と榊との関連ももしかすると関係するかとか妄想ですが、やはりかぐや姫伝承、神器とか宮中祭祀関連にどうも関連しているのではと感じます。紀氏さんてきには、甘南備山と朱雀大路との測量関連が気になるところでしょうね。

阿多

熱海=阿多美

貫一お宮の、熱海。相模湾の中にある温泉観光地の熱海は阿多族のの海だったとは。

今春、南九州を旅して薩摩隼人の阿多=吾田を訪れました。天孫族が高千穂の峰から阿多の笠沙の岬まで降りてきますね。

山からでなく海流に乗って阿多の海辺に着いたんだという見方が有力になりつつありますが。阿多には海人族隼人、がいたんです。それとねんごろになって隼人のコノハナサク姫と天孫ニニギ尊が一緒になる。 天孫山幸が海彦隼人を取り込んだ。5世紀には隼人は大和政権に服従したと考えられている。 これ私の解釈ですが、天孫山族は違っていそうです。海族?自信なしです。

阿多の勢力は、紀伊熊野の阿陀=阿多にも居たので神武東征で有利に展開した。それに関東の相模湾にも進出していた。阿多美=熱海

なんですね。

渡来系海民族阿田、阿多(隼人、久米、阿積、穂積とその混成組)の居住が有ったのではないか?

信州安曇族の謎

坂本博という九州の安曇の近くで生まれ信州の安曇で長年暮らした学者の本”信濃安曇族の謎を追う”を読んでその要旨です。 筑前糟屋郡阿曇野には阿曇の姓が多いそうです。安曇族は海人、博多湾の志賀島にある志賀海神社に綿津見三神を祭る。 527年の磐井の乱で筑紫の磐井側についたが磐井は、継体天皇の派遣した物部アラカヒに激戦の末敗れる。多分朝鮮との鉄の交易に関係していたので安曇氏は磐井側についたのではなかろうか(私の推測)。磐井の子供の葛子は糟屋の屯倉を朝廷に進呈して死罪を許されるという謂れは嘘。綿津見の祭祀を行う葛子は安曇族の船で安曇族とともに糸魚川の方に逃れた。

そこは越後エミシの本拠地、彼らとは海産物やヒスイなどの交易を通して知り合いがいた。ここから姫川を上って安曇野北西部に着いた。ここで550年頃には定着できたのでは。川合神社などが祭神=綿津見。今もエゴやオキュウトという海産物の練り物を食べる習慣が九州と同様あるそうです。

安曇野の南部には別の系統が畿内の南河内からやってくる・・・河内の安曇族。穂高村はこの一族、穂高神社の祭神=穂高見命。朝廷の食膳担当の内膳司長官が安曇宿禰。安曇族はシャケを求めて信濃に現れ定着。この一族が663年の白村江の海戦で唐・新羅に敗れる。これが穂高神社のお船祭りとして記憶に残る。

奈良の桜井から出てきた阿部氏は糸魚川のエミシを642年に屈服させて、北上・・・新潟から津軽へ海伝いに軍船を展開。その功績により越後の国守に任命される。 阿部氏の支流(やはり桜井の出)の仁科氏が糸魚川から姫川を遡り信州に入ってくる。安曇一族をやっつけて安曇郡郡司になる。

この地には有明山の八面大王退治伝説がある。ヤメン大王から”ン”をとればヤメ=八女大王すなわち磐井大王つまり葛子になる。この征伐を仁科軍が行った。この軍は少数なので、東北38年戦争で活躍する坂上田村麻呂の陸奥エミシ征伐軍の応援を得て成就した。792年のことです。

かくして安曇族は信州から消されたのであります。

 海部

海部歴史資料館の館長との談話の中から気づいたのは、下にもかきましたが、 *「海部」・あまべ というのは朝廷ができあがってから屯倉として地方に配属された管理者の呼称である。つまり税調者、役人です。

*実際に住んでいる人は、だから海部ではなく海の民というのでしょう。 これは部民の中の「海中に水没し」海底の貝類を採る「海女」「海士」。 また銛や網などで魚を捕る「漁師」の2種あります。総称して「海人族」です。

*人種的には「白水郎」とそれ以外に大別できます。あくまで文献上はです。 *「白水郎」は中国の呉方面・・・揚子江以南・・いわゆる会稽東冶から来た海人族です。それ以外は「あま」です。

*総じて言えることは彼等は定住しない。従って国籍はないわけです。人種もあちこちで入り交じって、すでに古代でもかなり混血していたと思います。つまり「自由人」ですから、とみたさんの言われるよな現代人的分類はかなり困難だと思います。総称は当時の中国人が言う「倭人」でしょう。なんしろ国境のない人々で、海産物さえあれば季節ごとに移動する。 要するに「海の遊牧民」。 しかも船という、当時圧倒的な速度を持つ道具を駆使しますから、その移動範囲と機動性は遊牧民の比ではない。 現代で言えば、スポーツカーに乗った目的のある暴走族。神出鬼没。 遊牧民がトラクターで、決められた範囲を決められた季節に周遊する(しかも家畜というブレーキがついている)のと違って、海人族にはこれといった足かせもなく(彼等を邪魔する者は時化とサメくらい)、しかも船には大量の荷物も乗せられる。ラクダとは比べものになりません。 こうして見ると彼等は漁民であると同時に行商人にもなりうる。「南北にシテキす」。しかもその貿易品は皆、高額なものばかり。だから彼等にとって朝廷はいい商売相手だ。仲買人ですよ。市場というのは海から派生したと思いますね。海人族は相当なエグゼクティブだったはずです。ほっておくとスターウォーズのジャバみたいに成金になっちゃう。


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Last-modified: 2012-08-18 (土) 12:15:00 (2130d)