聖徳太子

  • 『勝鬘経』、『法華経』、『維摩経』の注釈書である『三経義疏』
  • 『維摩経義疏』に関しては、『日本書紀』に言及がない
  • 『古事記』に「上宮之厩戸豊聡耳命王」とある
  • 聖徳太子伝説が誕生したのは、文武天皇死没の5年後にあたる712年頃から
  • 不比等の四人の子が相次いで死亡:737年

維摩

  • 初期の大乗仏典
  • 唯摩経は、在家でありながら悟りを得た唯摩居士の話
  • 釈迦様の高弟が、みんな唯摩居士に論破されてしまい、ただ文殊菩薩のみが渡り合う話
  • 法華経では声聞・縁覚・菩薩を三乗と喩え、三乗ではなく一つの乗りものとして一乗という
    • 声聞とは煩悩が無くなった状態。
    • 縁覚とは自分独りが悟っている状態。
    • 菩薩は悟りはまだだけど慈悲と知恵によって衆生と共に仏道を歩んでいく状態。
    • 仏は真実に目覚めた状態。
  • 唯摩経では、声聞・縁覚は仏になることができないと説かれている
    • 衆生と共に仏道を歩んでいく状態を重視
    • 如来は、衆生を哀れんで再びこの娑婆世界に来た人のこと。「如来蔵思想」とは、すべての衆生は内に如来を宿している。 「一切衆生悉有仏性」
  • 煩悩が無いと言うことは世間解もないと言うことで成仏出来ないと唯摩経では説かれている
  • 直心是道場(じきしんこれどうじょう) :これは唯摩居士(ゆいまこじ)と光厳童子(こうごんどうじ)とのやりとりの言葉。「直心」すなわち素直な心をもって精進修行すれば天地到るところが道場であり修行の場所ならざるはないという教え
  • 小乗仏教では出家のみが救われて、在家はまったく救われないとしている。在家も救われる大乗は「ええとこ取り」
  • 唯摩経 には 不立文字という言葉がある 。いわれず解くに解かれぬ妙法が不立文字であり、教外別伝
    • 「教外別伝 不立文字 以心伝心」とは、「教えのほかに別に伝え、文字を立てず、心をもって心に伝う」
  • 弥勒菩薩
    • 実在の弟子だったらしい。弥勒菩薩の本名は「マイトレーヤ」。(例の問題宗教でこの名をかたった人がいた)
    • お釈迦様が入滅されて、56億7千万年後に、お釈迦様の次の如来として現れる。今は、まだ菩薩で如来ではない。仏陀にはなってない。菩薩であって、兜率天(とそつてん)という天界で、教えを説いています。
    • 高野山では、高野山の僧侶が肉体の死を迎えると、兜率天への転生を祈るという習慣がある。これは、弘法大師が入定された時、「我は弥勒菩薩を学びに兜率天へ行く。そして、弥勒菩薩が如来となって、この世に現れる時、我も再びこの世に現れよう。」 と言い残されたことによるとのこと
  • 薬師如来
    • 西方極楽浄土で教えを説く阿弥陀如来と東方瑠璃世界で教えを説く薬師如来

法隆寺

  • 斑鳩:聖徳太子ゆかりのお寺が、法隆寺・発起寺・法輪寺・中宮寺とある
  • 中門の奥左手が五重塔、右手が金堂。その奥に講堂。
  • 五重塔の内部には仏教に関する4つの塑像。
    • 東面は唯摩経に描かれる唯摩と文殊菩薩の問答。
    • 北面は釈迦の涅槃(死)。
    • 西面は釈迦の葬儀の様子。
    • 南面は弥勒菩薩の降臨の様子。
  • 金堂
    • 中央に釈迦三尊像、左に阿弥陀如来、右に薬師如来があり、その両脇 には毘沙門天と吉祥天、その後ろに更に吉祥天と地蔵菩薩、四隅には四天王 (持国天・増長天・広目天・多聞天)。
    • ここにかつては橘夫人念持仏(阿弥陀三尊)、百済観音、天平聖観音、玉虫厨子などがあった。

天寿国曼陀羅:日本最古の曼陀羅

  • 中宮寺にあるが元は法隆寺にあったもの
  • 中宮寺:太子の母・穴穂部間人皇女の御所を、皇女亡き後、寺にしたもの。
    • ここには著名な如意輪観音半跏思惟像がある。
    • 天寿国曼陀羅は、太子の妃の中で最も若かった橘大郎女(推古天皇の孫)が太子亡き後その浄土往生を願って作らせた刺繍(国宝)。

中臣鎌足 大臣

  • 内大臣、諱鎌足。字仲郎。大倭国高市郡人也。其先出自天児屋根命。藤氏家伝(鎌足伝)より
  • 大化の改新=乙巳の変
    • 中大兄皇子(後の天智天皇) と共に当時有力な力を持っていた豪族・蘇我入鹿を暗殺
    • 飛鳥の法興寺の蹴鞠の会で、中大兄皇子の皮鞋が脱げたので、鎌足は拾って中大兄皇子に捧げ、これが機縁となって二人は肝胆相照らす仲となる
  • 藤氏家伝(鎌足伝)より
  • 大臣、性は三寶を崇(あが)め、四弘(しこう)を欽尚(きんしょう)し、毎年十月、法筵(ほうえん)を荘嚴にし、唯摩の景行を仰ぎ、不二の妙理を説く。 また家財を割き取りて元興寺に入れ、五宗學問の分を儲(もう)け置く。 この由に、賢僧絶えず。 聖道稍(ようや)く隆たり。 盖(けだ)しその徴なるか。 百濟の人、小紫沙昭明(しょうしさたくしょうめい)、才思(さいし)穎抜(えいはつ)にして文章世に冠せり。 令名(れいめい)傳わらず、賢 コ(けんとく)空しく没するを傷み、仍ち碑文を製す。 今別卷に在り。 二子貞慧(じょうえ)・史(ふひと)有り。 倶に別に傳有り。
  • 鎌足:唯摩居士と自ら思っていた?
父 中臣御食子(なかとみのみけこ) 
母 大伴囓子(おおとものくいこ)の娘 
正室 鏡女王 
妻 車持与志古娘・安見児(采女) 
  • 二子貞慧・史
  • 定恵。
    • 父・鎌足なんですが、本当は孝徳天皇の子か。定恵和尚は中臣連の一男、実、天萬豊日天皇(孝徳)の皇子也。『多武峯縁起』
    • 多武峯本願。大和尚。十一歳入唐。俗名真人。母不比等に同じ。『尊卑分脈』
    • 和尚(=定恵)、大織冠内大臣一男。母・車持国子の娘、車持夫人なり。件の夫人、元是れ孝徳天皇の寵妃なり。天皇深く大臣の聖智賢意を知り、妃を賜ひて夫人と為す。時に夫人、孕むこと已に六箇月。詔して曰ふ、『生まれる子、若し男ならば臣の子と為せ。若し女なれば朕の子と為す』と。堅く守りて四箇月を送る。生まれし子男なり。故に大臣の子と為す。『多武峯略記』
  • 不比等(史)
    • 鎌足の小
    • 大鏡では、天智天皇の御子の孕まれたまへりし、右大臣までなりたまひて、藤原不比等の大臣とておはしけり。『大鏡』

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Last-modified: 2012-08-18 (土) 11:38:00 (2675d)