塩飽水軍 †
- 本島
- 信長、秀吉、家康から朱印状を受け、どこの藩にも属さず、天領でもない自治を300年以上も持続させた。
- 古くは建武2年(1335年)足利尊氏は、鎌倉に反旗を翻し京へ上った。これに呼応し、西から細川定禅は、讃岐の香西氏と共に京に攻め昇った。この時の足利軍を海上支援したのは塩飽の水軍である。
- 室町時代、伊予能島の村上水軍は大内氏を支援していた。村上氏は交流のある塩飽水軍も大内氏に従うよう説得した。大内氏は、勘合貿易船を明に派遣し利益を得ていた。
- 戦国時代、輸送船団として、信長の石山本願寺攻めに味方し、堺港へ出入りする特権を得、秀吉の島津攻め、北条攻め、朝鮮出兵に協力。
- その報酬として自治権や漁業権(網運上銀と称す)を獲得。これにより塩飽の人々は、どの藩にも属さず、年貢を納める必要のないばかりか、近海で漁業をする漁船から網運上銀と称する年貢を徴収する権利を得た。自治は、塩飽諸島は住民650人の共有財産として住民の中から選ばれた4人の年寄たちによって政治が行われた塩飽勤番所は、全国で他に例を見ない自治領を統治した住民たちの政庁であった。
|