卑弥呼の名のある系図:丹後の一宮 籠神社 †
- 国宝の系図に残る卑弥呼の名前と古代丹波の謎
- http://www2.odn.ne.jp/hideorospages/yamatai08.html
- 1975年、神社に代々極秘で伝えられていた系図が公表され、関係者の大きな注目を集めました。現存する日本最古の系図として、また、従来にない古代史の新史料として、思いがけないものだったからです。翌年にはさっそく国宝の指定を受けた。
- 系図によると、始祖の彦火明命(ひこほあかりのみこと)から9代目の孫のところに、「日女命(ひめのみこと)」と出てきます。この「日女命」の脇に、「またの名を倭迹迹日百襲姫命」、「またの名を神大市姫命」、「日神ともいう」などと記されています。
「日神」とは、太陽神のような扱いを受けた女性ということでしょうか。なんとなく卑弥呼を思わせる。
それに、「神大市姫命」の「大市」。これは『日本書紀』のなかで箸墓について、「倭迹迹日百襲姫が死んで、大市に葬る。時の人はこの墓を名づけて箸墓という」とある記述に完全に一致。宮内庁による箸墓の呼び名「倭迹迹日百襲姫の大市墓」の「大市」です。
どうやら、箸墓に葬られた百襲姫という女性は、丹後の籠神社の系図にある「日女命」と同一人物で、彼女が卑弥呼であるらしい。つまり、卑弥呼は「日女命」と考えてよいようです。
- 彦火明命は、「天火明命(あまのほあかりのみこと)」、「饒速日命(にぎはやひのみこと)」など、いくつかの名前がありますが、天皇家の祖先と同じ天照大神の孫だそうな。
- 、「海部氏系図」はもうひとつの天孫降臨伝説を伝えており、海部家と天皇家は同じ天照大神の孫で、兄弟の間柄になるとのこと
火明命 †
- 播磨風土記
- 「オオナムチ(大国主)は子神の「火明命」とともに船に乗って播磨灘にやってきた。積荷は稲穂や琴、箱、櫛箱、箕、甕、兜、蚕、錨、鹿、葛の綱、犬などである。船は八丈岩山という山に辿りついた。オオナムチ(大国主)は、火明命に山の清水を汲んでくるように命じる。火明命が山に昇って涌き水を組んで戻ってくると、オオナムチの船はもうそこにはいなかった。普段から性格が乱暴でオオナムチの言う事を聞かない火明命は八丈岩山に捨てられたのだった。捨てられたことに気がついた火明命は怒り狂い、暴風雨を巻き起こした。オオナムチの船は、暴風雨に飲まれあっという間に難破してしまった。難破した船や、積荷が全て播磨平野に点在する丘になったと伝えられている。例えば、船は船丘、稲穂は稲牟礼丘(稲岡山)、琴は琴が丘、蚕は日女道丘といった具合の地名説話になっている。」
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