「万機に関り白せ」(あらゆる政務に関与発言せよ:関白)との詔書を出した
・窮地に追い込まれていた橘広相(菅家廊下で学んだ門人)を救う。 ・宇多天皇の信頼と期待を得た。讃岐守の任を終えて帰京した翌年(891年)早々、
は、道真を蔵人頭(天皇の秘書長)として登用。
むかし、をとこ、うひかうぶりして・・・ 奈良の都、春日の里に狩りに行きました。そこに魅力的な姉妹が住んでいて、 こっそりのぞきみました。おもわず夢中になってしまったので、着ていた狩衣の裾を 切って歌を書いて送りました。 かすが野の若紫のすり衣しのぶのみだれ限り知られず みちのくの忍ぶもぢずり誰ゆゑにみだれそめにし我ならなくに
第八十三段 これたかのみこ【惟喬親王】、馬のかみなる翁【業平】
昔、男がいた。思いをかけていた女の所に、ひじき藻というものを贈ると言って 思ひあらば葎(むぐら)のやどにねもしなん ひしきものには袖をしつつも
狩り暮らしたなばたつめに宿からむ 天の河原にわれは来にけり 馬の頭
大原や小塩の山もけふこそは 神代のことも思ひ出づらめ
ちはやぶる神代(かみよ)もきかず龍田川 韓紅(からくれない)に水くくるとは