「丸亀城」は「生駒氏」が高松城の西讃岐の押さえとして丸亀平野北端の亀山に築いた四国一の美しい城だ。  慶長2年(1597)讃岐17万石「生駒親正」親子は、四国の官領職「細川氏」の家臣の「奈良氏」の出城を大きく作り変え、後の城の基礎をつくった。  自然の小山を利用した平山城である。  山の形が亀に似ていることから「亀山城」と名付け、それにちなんで「蓬莱城」とも呼んだ。  標高66m、東西南北の4面に高い石垣をめぐらした威容と美観をそなえた名城である。  しかし城は「生駒一正」の代に、一国一城令によりいったん破却された。  生駒家4代54年の後、寛永18年(1641)「山崎家治」が西讃岐5万3千石で入封し、城郭の再建をした。現存する丸亀城建造物を造ったのはこの時らしく、亀山の周囲の平地に内堀と外堀をめぐらし、総高60mに及ぶ3段の高石垣を築き、螺旋状に登る峻険な縄張りが構成された。  また城下町も整然と町割を施した。現存する3層の天守は「山崎氏」の頃建てられたと言われる。(諸説あり)  「山崎氏」は3代17年で無嗣絶家となり、万治元年(1659)「京極高和」が播磨龍野城より6万石で入封、以後7代212年を経て、維新に至った。<参考:丸亀城パンフレット>


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Last-modified: 2012-08-18 (土) 10:02:00 (2615d)