濊、辰韓

December 2018 編集されました カテゴリ: 古代史書
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『三国志』烏丸鮮卑東夷伝 「高句麗は遼東半島の東一千里の所にあって、南は朝鮮・濊貊と 接している」としている。…

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  • 『後漢書』弁辰伝
     弁辰と辰韓は雜居しており、城郭や衣服の様式はどれも同じだが、言語や風俗は異なる。初め、 朝鮮王準が衛満に滅ぼされ、数千人の残党を連れて海に入り、馬韓を攻めて、これを撃ち破り、韓王として 自立した。後に箕準の家系は滅絶。馬韓人が再び辰王になる。

    『三国志魏書』馬韓伝
     おおよそ五十余国が在る。大国は万余家、小国は数千家、総計十万余戸。辰王は月支国に治する (統治する)。

    『後漢書』馬韓伝
     馬韓が最大で馬韓人から辰王を共立し、都は目支国(月支国)、すべての三韓の地の大王である。 そこの諸々の国王の先祖はいずれも馬韓の種族である。
     馬韓人は農耕や養蚕を知っており、綿布を作る。梨のような大栗を産出。尾長雞がおり、 尾の長さ五尺。邑落は雜居、城郭はない。土で室を作り、家のような形で、上部に門戸がある。 跪拜の礼儀を知らない。長幼男女の別はない。貴金属や宝玉、錦はなく、牛馬に騎乗することを知らない。 ただ瓔珠(ようじゅ=玉石の一種)を連ね、それを衣服に縫って飾り、首にかけたり、 耳に垂らしたりしている。

    『三国志魏書』辰韓伝
     辰韓は馬韓の東に在り、そこの古老が代々の伝承では、秦の使役を避けて韓国にやって来た昔の 逃亡者で、馬韓は彼らに東界の地を分け与えたのだと言う。城柵あり、言語は馬韓と同じではない。 (中略)これは秦人に似ており、燕や斉の名称ではない。楽浪人を阿残と言う。東方の人は自分を阿と 言い、楽浪人は本来その残存種族だという。今は名があり、これを秦韓とする。初めに六国があり、 十二国に細分した。
  • 辰国(しんこく)は紀元前3世紀~紀元前2世紀の間朝鮮半島南部の一部を領有したとされる鉄器時代国家。民族系統は不明。


    『史記』では「真番旁衆国」または版本により「真番傍辰国」、『漢書』では「真番辰国」。したがって、辰国の前身や起源は真番郡とも考えらる。『資治通鑑』では「辰國」として登場する。『三国志』においては「辰韓者古之辰國也」とあり
  • 馬韓伝の注記
    注記① 魏略に曰く。・・・・漢は盧綰(ろわん)を燕王に任じた。朝鮮と燕の国境は?水と定めた。盧綰は漢に背いて匈奴に入り、燕人の衛満は胡服を着て亡命、東の?水を渡り、準を訪れて降伏し、西界に居住して昔中国から朝鮮に亡命してきた人々を集めて藩屏(はんぺい=宗室の守護)としたいと準を説いた。準は彼を信頼して寵愛し、博士として敬い、圭の百里を食邑として授けて、西辺の令守とした。満が誘った亡命者たちが徐々に衆をなすに及んで、偽の情報を持たせた使者を準に遣わし、「漢兵が十道に至り、宿衛に入ることを求めている」と準に告げさせ、帰還した準を攻めた。準は満と戦うも、満には敵わなかった。


    注記③ 魏略に曰く、初め右渠が破れる前、朝鮮の宰相の歴谿卿が右渠を諫めたが用いられず、東の辰国に亡命した、そのとき彼に随行して国を出た住民が二千余戸、また、朝鮮の貢蕃(属国)とは互いに往来しなかった。
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