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魏志の交易品
System
December 2018
December 2018 編集されました
カテゴリ:
出土品/交易
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コメント
tokyoblog
December 2018
December 2018 編集されました
魏志倭人伝にかなり詳細に記録されています。
魏国→倭国
今(238年12月)、絳地交龍錦(こうじこうりゅうきん~真っ赤な布地に竜が交差した錦)五匹・絳地縐粟罽(こうちすうぞくけい~ちぢみの粟模様のある毛織の敷物)十張・蒨絳(せんこう~深紅色のつむぎ)五十匹・紺青(こんじょう~濃い群青色の織物)五十匹・を以て汝(なんじ)が献ずる所の貢直(こうちょく~献上した品の値)に答う。又特に汝に紺地句文錦(こんじこうもんきん~紺色のカギ模様のついた錦)三匹・細斑華罽(さいはんかけい~細かい花模様をまだらにあしらった毛織物)五張・白絹五十匹。〈以下略〉
倭国→魏国
其の四年、倭王、復た使大夫(したいふ)の伊声耆(いせいき)・掖邪狗(えきやく)等八人を遣わし、生口・倭錦(いきん)・絳青縑(こうせいけん~深紅色と青色の薄絹)・緜衣(めんい)・帛布(はくふ~絹布)・丹・木ふ(不明)・短弓矢(たんきゅうし)を上献せしむ。
これらは魏から卑弥呼が頂いたものと、逆に倭国から魏に贈ったものですね。いずれにしても、当時としては双方ともに最高級のプレゼントなのでしょう。
____
その四年、倭王、また使の大夫伊声耆・掖邪狗等八人を遣わし、生口・倭錦・絳青・緜衣・帛布・丹・木・短弓矢を上献す。掖邪狗(ye1.ye2.gou3/aek.sa.ku)等、率善中郎将の印綬を壱拝す
tokyoblog
June 2019
日本でも最近の考古学による発掘で、シルクの起源が更に遡ることもあるでしょう。
文献に現れるのは3世紀のことで、「魏志倭人伝」の一文には「禾稲【かとう】、紵麻【ちょま】を種え、蚕桑輯績【さんそうしゅうせき】し、細紵【さいちょ】、けんばくを出だす」というものがあり、また卑弥呼が絹織物を中国の皇帝に献上したとも書かれています。この時代にはすでに日本にはシルクの産地があったということがわかります。
tokyoblog
June 2019
June 2019 編集されました
西暦 243 年に邪馬台国の卑弥呼が魏王に 贈った絳青縑(こうせいけん)と称する絹が 天蚕(山繭)であった
http://www.hasukura.com/site/8yamazaki9.pdf
『魏志倭人伝にも絹のことが出ています。生糸(養蚕)は 5 世紀に伝わったとされていますから弥生時代は絹の生産 はありません。しかし栽培種の栗に巻きつく山繭の存在を 彼等が見落す訳がありません。中国地方の山塊を散策し ていますと、今でも山繭を見かけます。
tokyoblog
August 2019
なまっ白いお蚕さんは糸を取る為に品種改良された生物です。
口が無く、飛ぶ事もできません。
繭を溶かして出て来て、すぐに這いずって交尾をし、産卵して命を終えます。
一週間ももたないと思います。
養蚕を専門に行う養蚕農家でも、卵を産ませて孵したりはしません。
素人が交配した卵ではまっ白いお蚕さん以外の先祖がえりが増えていくのです。
専門の業者や研究所から仕入れ、不必要な卵は産ませないのが普通です。
「養蚕農家」という言葉で判る通り、養蚕は農業なんです。
無数の命を刈り取り、糸を引き、この上なく美しい布に織り上げる。
大昔から日本で培ってきた技術は世界最高峰です。
ですが日本の繭の自給率はもはや1%前後、
養蚕農家への助成金も打ち切られます。
国は日本の絹を見捨てました。
流行りだなんだとイベント事だけに着物を着る方は増えましたが、
生産から染め・織り・仕立てまで、多くの技術が外国頼りになっている
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1057222405
tokyoblog
November 2019
November 2019 編集されました
食用になるものが多いヤママユの仲間でも繭が頑丈すぎて一見繊維なんか取れそうにないのがクスサンだ。
クスサン(樟蚕/楠蚕、Caligula japonica)はチョウ目・ヤママユガ科のガの一種。身近に生息する大型の蛾であり、幼虫、蛹に別名がある。
大きなものだと女性の手くらいの大きさになる蛾だが、繭の形状はクリキュラ(黄金繭)に似ているので、糸が取れても紡ぎ糸用にしかならないのではないか。
私などクスサンは編む為の繊維より、釣糸の元祖となったテグスの原料というほうが馴染み深い。
古来のテグスはこのクスサンの幼虫の体内にある絹糸腺を酢に漬けて引っ張ることで生まれた、まるでナイロンのような釣糸だ。
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魏国→倭国
今(238年12月)、絳地交龍錦(こうじこうりゅうきん~真っ赤な布地に竜が交差した錦)五匹・絳地縐粟罽(こうちすうぞくけい~ちぢみの粟模様のある毛織の敷物)十張・蒨絳(せんこう~深紅色のつむぎ)五十匹・紺青(こんじょう~濃い群青色の織物)五十匹・を以て汝(なんじ)が献ずる所の貢直(こうちょく~献上した品の値)に答う。又特に汝に紺地句文錦(こんじこうもんきん~紺色のカギ模様のついた錦)三匹・細斑華罽(さいはんかけい~細かい花模様をまだらにあしらった毛織物)五張・白絹五十匹。〈以下略〉
倭国→魏国
其の四年、倭王、復た使大夫(したいふ)の伊声耆(いせいき)・掖邪狗(えきやく)等八人を遣わし、生口・倭錦(いきん)・絳青縑(こうせいけん~深紅色と青色の薄絹)・緜衣(めんい)・帛布(はくふ~絹布)・丹・木ふ(不明)・短弓矢(たんきゅうし)を上献せしむ。
これらは魏から卑弥呼が頂いたものと、逆に倭国から魏に贈ったものですね。いずれにしても、当時としては双方ともに最高級のプレゼントなのでしょう。
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その四年、倭王、また使の大夫伊声耆・掖邪狗等八人を遣わし、生口・倭錦・絳青・緜衣・帛布・丹・木・短弓矢を上献す。掖邪狗(ye1.ye2.gou3/aek.sa.ku)等、率善中郎将の印綬を壱拝す
文献に現れるのは3世紀のことで、「魏志倭人伝」の一文には「禾稲【かとう】、紵麻【ちょま】を種え、蚕桑輯績【さんそうしゅうせき】し、細紵【さいちょ】、けんばくを出だす」というものがあり、また卑弥呼が絹織物を中国の皇帝に献上したとも書かれています。この時代にはすでに日本にはシルクの産地があったということがわかります。
http://www.hasukura.com/site/8yamazaki9.pdf
『魏志倭人伝にも絹のことが出ています。生糸(養蚕)は 5 世紀に伝わったとされていますから弥生時代は絹の生産 はありません。しかし栽培種の栗に巻きつく山繭の存在を 彼等が見落す訳がありません。中国地方の山塊を散策し ていますと、今でも山繭を見かけます。
口が無く、飛ぶ事もできません。
繭を溶かして出て来て、すぐに這いずって交尾をし、産卵して命を終えます。
一週間ももたないと思います。
養蚕を専門に行う養蚕農家でも、卵を産ませて孵したりはしません。
素人が交配した卵ではまっ白いお蚕さん以外の先祖がえりが増えていくのです。
専門の業者や研究所から仕入れ、不必要な卵は産ませないのが普通です。
「養蚕農家」という言葉で判る通り、養蚕は農業なんです。
無数の命を刈り取り、糸を引き、この上なく美しい布に織り上げる。
大昔から日本で培ってきた技術は世界最高峰です。
ですが日本の繭の自給率はもはや1%前後、
養蚕農家への助成金も打ち切られます。
国は日本の絹を見捨てました。
流行りだなんだとイベント事だけに着物を着る方は増えましたが、
生産から染め・織り・仕立てまで、多くの技術が外国頼りになっている
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1057222405
クスサン(樟蚕/楠蚕、Caligula japonica)はチョウ目・ヤママユガ科のガの一種。身近に生息する大型の蛾であり、幼虫、蛹に別名がある。
大きなものだと女性の手くらいの大きさになる蛾だが、繭の形状はクリキュラ(黄金繭)に似ているので、糸が取れても紡ぎ糸用にしかならないのではないか。
私などクスサンは編む為の繊維より、釣糸の元祖となったテグスの原料というほうが馴染み深い。
古来のテグスはこのクスサンの幼虫の体内にある絹糸腺を酢に漬けて引っ張ることで生まれた、まるでナイロンのような釣糸だ。