未定義の論題

October 2018 編集されました カテゴリ: 一般/歴史書

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  • October 2018 編集されました
    朱智神社

    朱智神社(しゅちじんじゃ)
    住 所 京都府京田辺市天王高ケ峰25

    『平成祭礼データ』から 
     当社はもとこの地より西方3町余りの所に有り仁徳天皇69年に社殿を建てて朱智天王と号しました。迦邇米雷王は開花天皇の曾孫で神功皇后の祖父に当られ垂仁天皇御代にこの地を治められて、その子孫朱智姓を名乗られました。須佐之男命が相殿として祭られたのは垣武天皇の御代に大宝天王(牛頭天王)を現在の京都八坂神社に遷し毎年の榊遷しの行事を行いましたが何時よりか無くなりました。明治維新に至り神祗官に上請して天王社を古名の朱智神社に復し明治6年6月郷社となりました

    迦邇米雷王は丹波之遠津臣の女・高材比売(たかきひめ)を妃とし、息長宿禰王(気長宿禰王)を儲けた。息長宿禰王は神功皇后の父である他、2人の王子は近淡海国造・吉備品治国造・但馬国造の祖と伝えられる。なお、迦邇米雷王は京都府京田辺市・朱智神社の主祭神で、子孫は朱智姓を名乗ったという。

    仁徳天皇時代(313~399年)に現在の地より西方の西峰山頂に創建、宣化天皇元(535)年この地に移されたという。延暦12(793)年に大宝天王と朱智天王を同殿に合わせ祀られた。貞観11(869)年、朱智神社の祭神として祀っていた迦爾米雷命(かにめいかづちのみこと)(牛頭天王ごずてんのう)が、祇園の八坂郷感神院(八坂神社の前身)に遷されたことから、八坂神社の元となる神社といわれている。貞観時代から続いた行事に、祇園祭のとき、朱智神社の氏子が奉じた榊を天王区の若者が八坂神社まで届ける「榊遷」という行事があり、現在では、行われていないが、その榊を受けて山鉾巡行を始めたと言い伝えられている。慶長17(1612)年に建てられた本殿は、京都府の登録文化財になっており、建物は一間社流造、屋根は桧皮葺で、向拝の木鼻や、蟇股には、桃山様式の華麗な彫刻が多く見られる。平成16年11月から1年6カ月を費やして屋根の葺き替えと彩色復元の修復事業が完成した。
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