松浦の志々伎神社、十城別命

10/10編集されました カテゴリ: 一般/歴史書

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志々伎神社 (長崎県平戸市) 神功皇后の三韓征伐に軍大将として参加した日本武尊の御子・十城別命を祀る 式内社 …

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コメント

  • 10/10編集されました
    伊予西条の飯積神社
    祭神は5座
    首座が倉稲魂神、社紋も稲穂
    神社の話では外宮の豊受神を奉祭し、伊曽乃神社の天照大神に対応させている。
    足仲彦尊(仲哀天皇)
    気長足姫尊(神功皇后)、国魂愛比売、十城別王。

    仲哀天皇の伝承
    『日本書紀』によると、仲哀天皇の2年、熊襲が叛いて貢納しなかったので、足仲彦尊は征討のため穴門(山口県)に入り、豊浦津に宮を建てて居を構えた。敦賀にいた気長足姫尊もそこで落ち合って一緒に暮らしていた。
    仲哀天皇の在位期間については、記紀で7年と9年の相違があるが、天皇自らが筑紫の香椎宮(かしいのみや)に移ったのは「書紀」によると崩御の前年であり、その間に3年なり、5年なりの準備期間があったわけである。

    足仲彦尊と気長足姫尊が立ち寄ったのは、おそらく、この時期のことであったと考えられる。『伊予国風土記』逸文によると、夫婦が道後温泉に立ち寄ったことが記されている。このことから、二人の乗った龍船は後の和気郡(現在、松山市)に立ち寄ったのではないかと思われる。和気郡には天皇の異母弟にあたる十城別王がいた。

    十城別王
    飯積神社の標柱に「武国凝別命の孫、十城別命」との説明がある。
    地元の説とのことで、和気系図あたりに依拠するものかもしれない。
    『日本書紀』
    吉備武彦の女(むすめ)吉備穴戸武媛(きびあなとたけひめ)と日本武尊との間に生まれた子とある。吉備穴戸武媛は妃として、武卵王と十城別王を生んだ。武卵王は讃岐綾君の先祖である。十城別王は伊予別君の先祖である。
    と記されていて、武卵王(たけかいごのきみ)とは兄弟だとされている。

    『古事記』
    吉備穴戸武媛は吉備武彦の妹(いも)となっていて、子は建貝児王(たけかいこのみこ)1柱のみを記し、讃岐綾君、伊勢之別、登袁別(とおのわけ)、麻佐首(まさのおびと)、宮首之別(みやのおびとのわけ)等の祖と説明している。
  • 10/10編集されました
    『日本書紀』
    「伊予別君の先祖」と書かれているが、これは伊予地方の和気郡(現在は松山市)のこととされている。和気郡には阿沼美神社があり、ここに武国凝別命と十城別王の宮があったとの伝承が残されている。
    飯積神社には十城別王のほかに国魂愛比売命が合祀されているが、愛比売命は伊豫豆比古命神社(通称椿さん)など松山周辺の祭神に多く見られる神名であるので、十城別王とともに、そちらから勧請したことが考えられる。

    足仲彦尊はたぶん、この地にいる異母弟の十城別王を訪ねて来たのであろう。その船旅の一つの目的は、熊襲征伐のために十城別王の出陣と援軍を要請するためであったと想像される。
    その旅の道すがら、道後に休息し、やはり援軍を依頼するためか、武国凝別命の御村に来た。
    飯積神社に現在、天皇夫婦と並んで、十城別王と国魂愛比売命が祀られている
  • 武国凝別命は平定のため伊予に派遣され、神野郡(のちの新居郡、現在の愛媛県新居浜市・西条市ほか)に拠点を置いたという。そしてその子孫は一帯に広がり、「別」の子孫が治めたということから「別子(べっし)」の地名が生まれたとも伝える。旧神野郡一帯では、武国凝別命の神霊を祀る神社として特に伊曽乃神社(西条市中野、式内名神大社)が知られる。

    また風伯神社(西条市朔日市)社伝では、武国凝別命が海上守護のため風神の龍田神(奈良県生駒郡三郷町の龍田大社祭神)を奉仕したのが創祀という。そのほか飯積神社(愛媛県西条市)では、『和気系図』が武国凝別命の孫とする十城別王を祭神の1柱としている[
  • 長崎県平戸市野子町。旧県社。式内社。
     祭神は十城別命・鴨一隼戸命・七郎氏広。西海国立公園平戸島の南の鈎状に突き出した半島部に志々伎山(347メートル)があり、その中腹に鎮座し、山上に上都宮があり、山麓が海にせまり海食崖が発達した景勝地に辺都宮、沖の宮がある。『肥前国風土記』にすでに「志式嶋」とあり、『三代実録』貞観2年(860)にも「志々岐神」に従五位上を授かる記事がみえ、『延喜式』にも松浦郡にその名があり、「下松浦明神」とも称された古社である。
     社記には十城別命は仲哀天皇の皇弟であり、『神明帳』頭注には「志志伎神社は稚武王弟、十城別命下松浦明神と号す」とある。弘仁2年(811)神体木像を安鎮し、志志岐神社と改めたのだという。
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