倭武命、ヤマトタケル、日本武尊

11/11編集されました カテゴリ: 崇神ー仲哀

コメント

  • 大鳥大社が中にあって 4つの神社に囲まれてるような感じがあります 

    ○大鳥美波比神社 祭神 天照大神 両道入媛(日本武尊 妃) 

    ○大鳥北浜神社  祭神 諸説有り 吉備宍戸武媛尊(日本武尊 妃) 月夜見御子

    ○大鳥井瀬神社  祭神 弟橘媛命(日本武命 妃)

    ○大鳥浜神社   祭神 両道入媛皇女(日本武命)  諸説あり アメノコヤネ
  • 10/03編集されました
    三重郡における倭建伝説
     古墳時代に朝廷の統治機構の中で役割を担った「刑部」が、血縁集団の氏族に転じ、 その一部がこの地に定着して刑部郷となったと想定される。案内板に従えば刑部氏が代々江田神社の宮司を務め、祖神として五十功彦命を祭っていた。
     一方、日本武尊が清水によって小康を得た伝説は、ここにも伝播していたと考えてよいだろう。 ただ、清水を飲む話が、この地では足洗いに転化する。
     「三重」の地名命名譚は、書紀をの創作であろうが、 足を痛めてこの地にやってきた英雄伝説は存在していたと想像される。とすれば「杖衝坂」を三重郡とするのも自然である。 杖衝坂伝説も広がりがあり、記は海津市のものを採用したのかも知れない。 これまでも、向い火伝説は相模国・駿河国、白鹿伝説は足柄峠・信濃坂という地域の広がりを見た。
     五十功彦命と倭建命はもともとは無関係であったが、 書紀が成立した後に二人が兄弟にされたのではないかと思われる。

    倭建命東征の帰路、胆吹山(いぶきやま)に騰(のぼ)り妖神に祟らるる為にして 艱歩(かんぽ)して尾張に帰らむとし、便(すなは)ち伊勢の尾津前(をづのさき)に移りたまひ、 その地より幸(いでま)し詔(のたまはく)「吾が足三重の如く勾(まが)りて甚だ疲れり」とのたまひし 故(ゆゑ)に此の地を号(なづ)けて謂く三重と云ふ。本郡の坂部村に足洗御池と称するところ有れば、 清水湧き出でて四時〔=四季〕に涸れず。 相伝に、〔倭建〕命御足を洗い、于斯(ここに)蓋し因りて大弟五十功彦命(いことひこのみこと)の在りしところを訪(たづ)ねたり。 上古邈(はるか)なり矣(や)、然(しか)るに諸史を徴(もと)め其の旧跡を藉(か)り 灼(あきらか)なる乎(か)。晰(あきらか)なる也(や)、後の世に陵谷の変ありて堙没(いんぼつ)に還らむ、 是(これ)懼(おそ)れ謹しみ其の由(よし)を記し刻みし石なり。
  • 福岡県の伝承

    白鳥神社
    第14代仲哀天皇が祀られている御勢大霊石神社の境外末社であります。
    父君の神霊、白鳥と化し天に昇り、願わくは、白鳥を得て陵域の池に養なむ。
    当社も是を模して池を造り、白鳥を飼いし所なり。総称して白鳥島と言伝へたり。
    現在は年一度の御神幸は途絶えているが、古昔は例大祭の御神幸の祈招請の御館を造った処であります。         平成29年3月   御勢大霊石神社

    福岡県神社誌 由緒
    尚社説に述ぶる所次の如し。又伝説に曰く。
    仲哀帝熊襲親征伐に当り、橿日の本陣より此地に軍を進め給い、宝満川と垢離川(こうらがわ)の合流地大保が、白州にして清浄の地なれば、先ず、天神地祇を祀り、仮陣所となし、軍を督し給う。

    白鳥神社のご祭神はヤマトタケルであり、最後は白鳥となってミヤズ姫のもとに旅立ったことに因んで神社名がつけられている。案内記はヤマトタケルを仲哀帝の父君としており、百嶋神社考古学も同じ立場をとる。ヤマトタケルは佐賀県佐賀市大和町川上にいた熊襲の統領・熊襲(川上)タケル討伐のため、筑豊より出向いている。
    豊姫(ゆたひめ)の兄である川上タケルは、熊襲の統領となって反旗を起こし、ヤマトタケルに討伐され、佐賀県背振の広滝(廣瀧神社)で降服し、命は助けられている。その逆賊の妹、豊姫は忠臣となって、15歳年上の義兄の安曇磯良と一緒になって天皇家を助けている。
    佐賀県大和町川上に與止日女(よどひめ)神社があり、豊姫は河上大明神として鎮座されている。
  • 「尾張国風土記」(逸文)には
    ヤマトタケルが尾張にいたときに、夜中にトイレに立ち、剣を桑の木にかけておいたところ、剣が神霊のごとく光り輝いていて、手に取ることができなくなったため、
    ミヤズヒメに「この剣は神の気を宿しているようだ。斎き祀ってわたしの形代とするように」と言ったとあります。
    この時も剣はヤマトタケルと伊吹山に同行するのを拒んでいるように見えます。

    極めつけは熱田神宮に伝わる「笑酔人神事」です。
    毎年5月4日の夜に行われるこの神事は、
    朱鳥元年の草薙剣の帰還に際し、社中こぞって歓喜笑楽した様を伝える、といい、
    神事の中心となる神面は見てはならないとされ、
    すべては浄闇のうちに斎行されると言われています。

    漆黒の闇の中で、草薙剣の帰還を喜んで忍びやかに笑う尾張の神官たち・・・
    天皇の病気という事態の下では、人前で喜ぶことははばかられても、この時の尾張の人々の安堵と喜びが何物にも代えがたかったことを表す祭りではないでしょうか。

    そう、やはり草薙剣は尾張に帰りたかったのです。そして尾張の人々も、草薙剣の帰還を心待ちにしていたのに違いありません。
  • 建部神社
    「系譜考」のように、フタジヒメこそがヤマトタケルのもっとも原初的な奥さん
    行ってみると、奥さんはフタジヒメだけが摂社の祭神として祀られていて、ビックリしました
    なんのことはない、答えが書いてあったのです
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