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聖武天皇、称徳天皇 769年5月に称徳呪詛事件が起きる。聖武の娘・不破内親王は安積親王や井上内親王(白壁王妃)…
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コメント
葛原親王は、正史である『日本文徳天皇実録』によると、最終的には大宰帥に任じられているので、実在の人物であることは確かでしょう。
室町時代に作られた『尊卑分脈』は比較的信用できるとされています。
『尊卑分脈』によると、葛原親王には、高見王と高棟王の二人の子がいて、高棟王は、やはり正史である『日本三代実録』に現れます。
しかし、高見王の方は正史に現れず、『尊卑分脈』には「無位」と記されています。
次の高望王は、平朝臣の氏姓を授けられ臣籍に下ったといわれていますが、この人物も『尊卑分脈』に記されるのみです。
『尊卑分脈』によると、高望王は上総介とされ、後世の歴史家は、高望王は上総に下向したと考えています。
そして、『将門記』によると、高望王の子は良持で、良持は陸奥鎮守府将軍であったと記されていますが、良持は『将門記』と『尊卑分脈』以外の史料(『将門記』は軍記物に近い書物ですが、一定の史料価値があるものとされています)には現れません。