肥国と筑紫の国造

06/26編集されました カテゴリ: 一般/歴史書

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伝承によれば、阿蘇国造の速瓶玉命の奥方は神功皇后の三韓征伐に勲功をたてられた宇土郡三角町の郡浦(こうのうら)神…

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コメント

  • 平安初期の「延喜式」によると律令制のもとでの筑後国は、西海道に属し、御原・生葉・竹野・山本・御井・三潴・上妻・下妻・山門・三毛の10郡から構成されていた。国の大きさは、四等級中の上国、距離は遠国、古代の山門郡は、五等級中の下郡であり、郡司がこの地方の豪族の中から任命されて治めていた。
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