奈良の飛鳥と宗像(津屋崎)の少彦名と阿部氏、

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  • 阿閉氏について「新撰姓氏録」(弘仁6年・815年)における記述

     第一帙
    右第一巻 左京皇別上 阿閉臣 阿倍朝臣同祖。
    右第二巻 右京皇別上 阿閉臣 大彦命彦背立大稲輿命後也。(背は別書では、皆・自ともあります)
    右第二巻 右京皇別上 阿閉間人臣 同氏。
    右第五巻 山城國皇別 阿閉臣 阿倍朝臣同祖。大彦命之後也 。
    右第八巻 河内國皇別 阿閇朝臣阿閇朝臣同祖。孝元天皇皇子大彦命之後也。
    右第八巻 河内國皇別 阿閇臣 阿閇朝臣同祖。大彦命彦瀬立大稲起命之後也。
    右第一巻 左京皇別上 阿閉臣 阿倍朝臣同祖。
    等の記述があります。
    なお阿倍朝臣についても、第一巻 左京皇別上に孝元天皇皇子大彦命之後也。ともあります。

    「阿閉の氏名は、後の伊賀国阿拝(阿閇)郡(三重県阿山郡西部・上野市一帯)の地名にもとづく。阿閉の地名の初見は『日本書紀』天武天皇元年九月戊戌条の「宿=阿閉‒」である。阿閉は阿閇・敢にも作る」“新撰姓氏録の研究 考證篇 第一 佐伯 有清 吉川弘文館”とあります。つまり上記地名発生の契機の 3、と捉えられています。

    ここで、「閉」と「閇」との漢字としての関係をみてみると、諸橋轍次 著 「大漢和辞典」によれば「閇」は「閉」の俗字である、とされており、 漢字番号41220でしるされています。出典として、「玉篇」 があげられています。このことからすれば「閉」の字が元々の字であると考えて差し支えありません。

    ○「阿閉」氏の出自は、大彦命の父、考元天皇から始まります。
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