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水戸藩第二代藩主・徳川光圀は、第三代藩主・綱條(つなえだ)に家督を譲っての隠居後、「大日本史編纂」に取り掛かる…
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穂積とは、収穫されて積まれた稲のことです。
その中でも来年用の種籾にする穂積に一本の棒を立てます。
この棒を伝わって稲魂が穂積に入り、来年の豊作を約束してくれます。
この棒は聖なる木で、スズ木と言い、佳字を当てて鈴木となりました。
この儀式を行った神官が鈴木を名乗るようになり、熊野神に奉仕し、全国に布教のため進出しました。
末社が全国におかれ、その地に根を下ろして土着し、鈴木姓は全国に広まりました。
中でも栄えたのは、奥州に向かった行者の鈴木重善の流れで、重善が途中三河国(愛知県)で足を痛めたため、猿投の地に熊野権現をつくり土着しました。
やがて徳川家康に仕え、家康の江戸入りに大挙して従い、繁栄しました。
徳川幕府の幕臣を掲載した「寛政重修諸家譜」には50もの鈴木家が載っていました。