佐々木加治– 古代史俯瞰 by tokyoblog

December 2018 編集されました カテゴリ: 古代氏族
佐々木盛綱


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  • 丹党の加治氏

    佐々木盛綱の加治氏とは、別系統である

    宣化天皇の後胤で、彦武王のときに多治比古姓を賜り、峯時のときから関東に居住、その孫の武綱のときに秩父郡領になったといわれる。丹党の秩父基房には男子が数人あり、嫡子が勅使河原氏を、綱房は新里氏を、成房は榛原氏を、重光は小島氏を、そして経家の子の家季が加治氏を称したとされる。

    加治氏が居住した、入間市や飯能市には加治氏と関わりを持つ加治神社、加治屋敷跡(加治丘陵)などの史跡がある。 菩提寺となった入間市野田の円照寺には、加治左衛門入道家貞こと「道岑禅門」の供養板碑があり、鎌倉幕府の陥落の日を伝えている。後裔には中山氏を称する者が現われ、戦国時代には後北条氏に仕えた。

    八条流馬術の名手であった加治勘解由左衛門家範(中山勘解由左衛門家範)は、豊臣秀吉の小田原征伐のとき北条氏照の命により武蔵国多摩郡の八王子城を守り、前田利家、上杉景勝の猛攻をしのぎ勇戦奮闘する。利家はその勇武を惜しみ開城をすすめて助命しようとしたが、家範は忠死した。水戸藩御附家老の中山家は家範の子の信吉の代から始まっており、明治維新後は華族として男爵に叙された。
  • 西武鉄道池袋線飯能に向かう途中、元加治(もとかじ)駅隣接する円照寺(えんしょうじ)は武蔵七党丹党に属する加治氏の菩提寺となっています。

    円照寺説明板によれば当地を支配し鎌倉幕府の御家人に列せられていた加治豊後守家茂(かじぶんごのかみいえしげ、生没不詳)は武蔵国二俣川(現横浜市保土ヶ谷区)で畠山重忠(はたけやましげただ、1164〜1205)との戦いで戦死した父家季(いえすえ、生誕不詳〜1205)の菩提を弔うため、円照上人を開山として建立したとされ、その後は加治氏の菩提寺となって一族の供養のため板碑が6基残されています。

    具体的には鎌倉時代末期に加治家貞(かじいえさだ、生誕不詳〜1333)が幕府武将として幕府に反旗を翻す新田義貞(にったよしさだ、1301〜1338)を迎え撃ちますが入間川・久米川両合戦で勝機なく戦死、ついに得宗家北条高時(ほじょうたかとき、1304〜1333)他一族は鎌倉葛西ケ谷の東勝寺で自害、源頼朝創設以来の鎌倉幕府は元弘3年(1333)ここに幕を閉じます。

    鎌倉幕府滅亡時に加治氏がいかように関わったかを円照寺に残っている板碑の内1基について説明文では以下のように記載されています。

    「元弘3年(1333)5月22日道峯禅門(どうほうぜんもん)在銘の板碑は、高さ1377Cm、幅38Cm、厚さ5Cmの緑泥片岩製で、上部に胎蔵界大日如来(ア−ンク)の種子が蓮花座に乗り、脇侍にウ−ンとキリ−クが刻まれている。また、紀年銘の左右に無学祖元(むがくそげん)の臨剣頌(りんけんしょう)といわれる七言絶句の偈が刻まれている」

    上述の道峯禅門は別典の記録から加治左衛門家貞(かじさえもんいえさだ、生誕不詳〜1933)の法名で元弘3年22日は鎌倉幕府滅亡の日にあたり、家定は鎌倉幕府方の武将として新田義貞軍を迎え撃つも敗れ北条氏一族と運命を共にしたものと思われます
  • 飯能には江戸時代に御家人になった家が3家あった。
    中山氏、岡部氏、そして加治氏である。
    加治氏は蔵米200俵で仕え、のちに50俵の加増を受けて250俵という、まぁまぁの御家人だった。
    現在、飯能市では中山氏ばかりが有名になって、岡部氏や加治氏はあまり知られない存在である。
    その御家人加治氏の菩提寺が勝輪寺である。

    加治氏は武蔵七党丹党の一族で、中山氏は加治氏から分かれた家である。
    ただし加治氏の嫡流は豊後国にも所領を持ち、鎌倉幕府の有力な御家人だったが、その滅亡に殉じて勢力を失ってしまった。
    『太平記』で新田義貞の軍と激戦を繰り広げた様子が描かれる本家筋の当主加治家貞は、「加治二郎左衛門入道」と出家しており、すでに家督は季貞に譲られていたのではないかと思われる。

    平安末期から鎌倉時代に華々しく活躍した本家の加治氏は、現在の元加治駅の北側に館を構え、円照寺を菩提寺としていた。
    諱に用いた通字は「家」を主として他に「綱」「貞」「景」「頼」が用いられる。
    分家の中山氏は「季」を主として戦国期から突如「季」が消える。

    一方、赤沢加治氏の通字は「胤(たね)」である。
    本家加治氏や中山氏に「胤」を用いる人物が見られないので系図上の繋がりは解らない。
    想像だが妙見菩薩を信仰し、「胤」を通字とする千葉氏系の人物が入婿するなどしたのではとも考えられる。なにより領地内に妙見社が存在することが気に掛かる。

    御家人加治氏系図
    江戸旗本加治氏
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