三井寺、大津京、大友皇子、葛野王 – 古代史俯瞰 by tokyoblog

December 2018 編集されました カテゴリ: 近江
三井寺、大津京、大友皇子、葛野王 – 古代史俯瞰 by tokyoblog

滋賀県の三井寺(みいでら)は当時、園城寺(おんじょうじ)と呼ばれ、壬申の乱で敗れた大友皇子の菩提を弔うため、686天武15年、建立したと伝えられます。与多王の屋敷である田園城邑(田畑屋敷)を寄進し、天武天皇により「園城寺」の名を授かったといわれています。その後、一時、近江朝没落とともに衰退しましたが、御井寺として再興されたといいます。その後、三井寺となりますが、これは天智、天武、持統3代の天皇の産湯として遣われた井戸があるとされたことによります。…

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コメント

  • July 2017 編集されました
    大伴氏と三井寺

    貞観8年(866) 大友夜須麿。滋賀郡大領。従七位上。大友黒主。滋賀郡大領。従八位上。 「三井寺別当官牒」
    大友黒主。 大伴列(おそう)の子なり、大友氏の養子となる。なお後年、実姓の大伴氏を用う。  「近江国滋賀郡史」 とある。

    円珍は、弘仁五年(814)、讃岐国(香川県善通寺市)に生まれました。 父は和気宅成、母は佐伯氏の娘で、弘法大師空海の姪にあたります。

    空海の父は、直を賜姓された佐伯田公。空海を大伴氏(大伴連)の後裔とする系図(『伴氏系図』(『続群書類従』巻第182所収)『弘法大師系譜』など)がある。

    ま大伴旅人が歌った「賀陸奥出金詔書歌」でも、

    「・・・大伴と 佐伯の氏は 人の祖の 立つる言立  人の子は 祖の名絶たず 大君に 奉仕ふものと 言ひ繼げる 言の職ぞ 梓弓 手に取り持ちて 劒大刀  腰に取り佩き 朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守護 吾をおきて 又人はあらじと ・・」
    と歌っている。佐伯宿禰は大伴 談(かたり)の子 歌(うたふ)が佐伯部の統轄という新しい職掌を得て大伴氏からわかれた家柄とも考えられている
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