後漢書、東鯷人

December 2018 編集されました カテゴリ: 古代史書

コメント

  • 後漢書に記載されている東鯷人に関する記述は、以下になる。

    「会稽の海外に東鯷人有り、分れて二十余国を為す。又夷洲及び亶洲有り。伝承によれば、秦の始皇帝が徐福を遣わし、童男童女数千人を将いて海に入り、蓬莱の神仙を求めたが、得ず、徐福は誅を畏れて敢えて還らず、遂にこの洲に止まり、世々相承して数万家有る。(夷洲及び亶洲の)人民は時に会稽の市に至る。会稽の東冶県の人が海に入って行って風に遭い、漂流して亶洲に至る者有り。(夷洲及び亶洲の)所在は絶遠だから、往き来することは出来ない。」

    会稽の東冶県は福建省福州の事で、台湾から福建省に向かえば最初の寄港地になる場所。

    後漢書では、東鯷人は倭人とは別の条に記されているが、後漢書の文頭に「(倭は)大略会稽東冶の東にあり」と記しているから、倭人と東鯷人は同じ島か、別の島だったとしても近接した島に居た、と判断していた事は間違いないだろう。南朝宋代には東鯷人という区分はなく、皆倭人だったから、後漢書の著者は南朝宋に朝貢した倭国王の使者から、漢代から引き続いて後漢時代にも、東鯷人という別種が会稽に来ていた事を確認し、後漢書に記したと考えられる。
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