大倭

October 2016 編集されました カテゴリ: 一般/歴史書

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694年、藤原に宮処を定めて鎮祭を行った時の記述が日本書紀に残っている。 「五月庚寅遣使者奉弊干四所伊勢。大倭…

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  • October 2016 編集されました
     記での各地平定譚 軍事と婚姻

     神武天皇 日向出発 築紫(豊国 遠賀川)阿岐 吉備 浪速 紀伊 大和
     孝霊天皇 派兵 播磨 吉備
     孝元天皇 婚姻 河内 尾張 木国
     開化天皇 婚姻 丹波 山代 淡海
     崇神天皇 婚姻 木国 尾張 派兵 高志国 東国(伊勢~陸奥) 丹波 吉備
     四国が平定の対象となっていない


     大倭玖迩阿禮比賣媛

    ヤマトの国を出現せしめた姫神と言うことです。おそらくは吉備の王だった孝霊天皇の妃となり、有名な倭迹迹日百襲姫命を生んでいます。卑弥呼だとか台与だとされている姫です。
    大倭玖迩阿禮比賣命は倭国香媛とも言います。この媛は唯一吉備(備中国賀陽郡)の吉備津神社の摂社の本宮社に孝霊天皇とともに祭られています。
     
    孝霊天皇の神霊は伯耆国(樂樂福神社など10社)、他に出雲(1社)、伊予(2社)、土佐(11社)などに祭られています。吉備を拠点に周辺の征服活動をしていたのかもしれません。
     
    倭国香媛の娘の倭迹迹日百襲姫命を祭る神社は吉備に4社、讃岐に5社、阿波に1社、他に大和など3社に祭られています。讃岐・阿波では水に関係する女神として祭られているようです。
  • 斎部広成の『古語拾遺』
    「天日鷲命は阿波忌部の祖」「倭文遠祖の天羽槌雄命に布文を織らしめ」と記され、日本書紀は機織りの業を受け継ぎ全国に広めるだけが倭文氏の仕事だった訳ではなく、古代では全く異なった一面もあった事を次のように記録しています。

      ここに、二の神(経津主神と武甕槌神)、諸の順わぬ鬼神たちを誅いて[一にいわく、二の神遂に邪神および草木石の類を誅いて、皆すでに平けぬ。
      その不服わぬ者は、ただ星の神、香香背男のみ。故、また倭文神建葉槌命を遣わば服いぬ。故、二の神、天に登るという。此れをば「しとりがみ」と云う。] 神代下第九段

    又の名を天津甕星とも称する天香香背男は、書紀にのみ記載され古事記には全く姿を見せない神様なのですが、斎部氏や阿波忌部氏の系譜に登場する「天背男命」と同神だと
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