絹、倭文

August 2016 編集されました カテゴリ: 一般/歴史書

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平成八年夏、天理市の下池山古墳(三世紀末-四世紀初)から国産の銅鏡を包んだ袋としてブルーの絹織物や柔らかな兎の…

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コメント

  • 倭文は倭の国の文(織物)という意味になります。
    ただ、日本書紀の応神天皇の37年春のところに、日本からの求めに応じて「呉の王は、工女(ヌイメ)の兄媛・弟媛・呉織・穴織の四人の婦女を与えた」という記事が載っています。大阪府池田市に呉服(クレハ)神社があり、「呉織・穴織」の二人が祀られていますから、記事に見られることは実際にあったと思われます。となりますと、「呉織」は、工女の名前ということになります。  このようなことから、元々、絹のことを日本では、「しづまたは、しつ」と読んでいたのではないでしょうか? 」
    日本の絹も中国の絹も同じものであれば、わざわざ、日本の絹織り物のことを「倭文」と漢字で書く必要は無かったでしょう。日本の絹が素晴らしかったので、中国の人は、「倭文」と書き著し、読み方は、日本人が表現している通り、「しとり」と読んだと思われます。
    そこで、絹を作っているところでは、「しつ」「しづ」「しず」の地名が生まれたのでしょう。その例を記しておきます。
    鳥取県には、倭文神社が二ヶ所あります。その一つは、旧の住所で、東伯郡北谷村志津にあります。
     茨城県那珂市静字帝青山に、静神社があります。祭神は、織物の神である建葉槌命となっています。
     滋賀県余呉町と木之本町の境に賤ヶ岳があります。木之本側の麓に、大音の集落があります。ここも絹織物があったのかどうか調べていませんが、絹からお琴の糸が作られています。「賤」は「しず」と読みます。
     このような事から、日本では、古来絹のことを「しつ」と云って居た証拠になるでしょう。
  • 現在の倭文神社の所在地
     ①奈良県北葛城郡当麻町加守 
     ②三重県鈴鹿市加佐登町  
     ③ 富士宮市星山           
    ④ 静岡県田方郡伊豆長岡町江間   
     ⑤ 山梨県韮崎宮久保  
     ⑥ 茨城県那珂郡瓜連町 
     ⑦ 大津市坂本本町  
     ⑧ 伊勢崎市東上宮町380        
    ⑨ 京都府綾部市今田町津ノ上1010 
     ⑩ 京都府与謝郡野田川町三河内   
    ⑪ 兵庫県朝来郡生野町  
     ⑫ 鳥取市東伯郡北谷村志津               
    ⑬ 鳥取県 東伯郡東郷町宮内754 
     ⑭ 鳥取県倉吉市志津 
    ⑮岡山県久米郡倭文中村柚木 
  • 倭文神社 (湯梨浜町) - Wikipedia

    機織に携わった氏族である倭文氏が祖神の建葉槌命を祀ったのが起源とされている。ただし、社伝には下照姫命に関するものが多く、大正時代までは下照姫命が主祭神であると考えられていた。社伝によれば、出雲から渡った下照姫命が現在の湯梨浜町(旧羽合町)宇野に着船し、御冠山に登って現在地に鎮まったという。着船したと伝えられる場所には、下照姫命が化粧を直したという「化粧水」や、腰を掛けたという「お腰掛岩」などが残っている。これについて、『式内社調査報告』では、元々は織物の神である建葉槌命を祀っていたのが、当地で織物が作られなくなったことにより建葉槌命の存在が忘れられ、共に祀られていた下照姫命だけが残ったと記している。
  • 天日鷲神 (アメノヒワシノカミ)
    日本神話に登場する神。『日本書紀』 や 『古語拾遺』 に登場する神。
    阿波国を開拓し、穀麻を植えて紡績の業を創始した阿波の忌部(いんべ)氏の祖神。

    別名は、高魂命または神魂命の裔神の 天日鷲翔矢命(アメノヒワシカケルヤノミコト) や 天加奈止美命 (アメノカナトミノミコト)。

    天照大神が天岩戸に入られたとき、岩戸の前で神々の踊りが始まり、この神(天日鷲神)が弦楽器を奏でると、弦の先に鷲が止まった。多くの神々が、これは世の中を明るくする吉祥を表す鳥といって喜ばれ、この神の名として鷲の字を加えて、天日鷲命とされた。という内容である。

    『日本書紀』では天の岩戸の一書に「粟の国の忌部の遠祖 天日鷲命の作る木綿(ゆふ)を用い」とある。

    『古語拾遺』によると、天日鷲神は太玉命 に従う四柱の神のうちの1柱である。
    やはり、天照大神が天岩戸に隠れた際に、穀(カジノキ:楮の一種)・木綿などを植えて白和幣(しろにきて)を作ったとされる。そのため、天日鷲神は「麻植(おえ)の神」とも呼ばれ、紡績業・製紙業の神となる。

    木綿(ゆふ)は今のもめんではなく、穀、楮の繊維を蒸して水にさらし、細かく裂いて糸にしたもの。
    和幣(にぎて)は神(を鎮めるため)に捧げられる麻布や絹布、もしくは織る前の麻や絹、カジノキなどの樹皮からとった繊維のことです。白和幣に対して、麻の緑色のままの繊維は青和幣と呼ぶようです。

    また天日鷲神は一般にお酉(とり)様として知られ、豊漁、商工業繁栄、開運、開拓、殖産の守護神として信仰されている。
    忌部神社や鷲神社などに祀られている。
    忌部一族は太平洋岸を東に進み、所々に開拓の足跡を残しながら千葉(安房)に上陸。さらに関東平野を北上したようで、埼玉や栃木周辺の多くの神社で祀られています。

    安房神社(千葉県館山市;式内社で名神大社;安房国一宮)についてのWikipedia には:
    『古語遺』によれば、神武天皇元年(皇紀元年、紀元前660年)に神武天皇の命を受けた天富命が肥沃な土地を求めて阿波国へ上陸し、開拓したとされる。その後、さらに肥沃な土地を求めて阿波忌部氏の一部を率い房総半島に上陸、その周辺を安房郡と名附けて天太玉命を祀る社を創建した。


    三木家ご本家の三木信夫氏が、2005年に 林 博章先生と関東の忌部族の足跡をたどられて、その記録を 阿波古事記研究会に残す
    「阿波忌部の関東開拓の足跡を辿るツアー紀行」 三木信夫
    http://park17.wakwak.com/~happyend/namiawa/anonamikaze/awa13/a13_03.html

    その要点を箇条書きにすると:

    千葉県成田市台方の式内社「麻賀多神社」は麻が社紋。

    印旛(いんば)郡栄町の 大鷲神社 天乃日鷲尊を祀り、社殿天井に「金の鷲」が取り付けられている。社伝によると「天乃日鷲尊はその子孫代々麻植の神として神功があり,麻に係りのある当地においても祭神となっております」という。

    『安房志』によると「天日鷲尊の神霊が,天下に異変がある時は,金色の鷲となって現れるので,その霊験を畏敬して小鷹の神と称した」とあり、印旛沼の由来は「忌部沼」が訛ったもの。

    勝浦市浜勝浦の 遠見岬神社 の宮司歴代の墓碑には「勝占忌部」と書かれている、阿波忌部の後裔。

    安房郡白浜町の式内社 下立松原神社 の由緒には 「天富命が天日鷲命の孫由布津主命,その他の神々と当地方開拓に上陸し,のち由布津主命が祖神の天日鷲命を祀った社」 と記されている。

    館山市相浜にある 楫取(かんどり)神社 の祭神は 宇豆彦命(ウズヒコノミコト)で天富命に従ってこの地に渡り,漁業を主として指導したといわれる。
    この楫取名は徳島県の吉野川で使用された川舟である楫取舟と関係すると思われる。

    阿波忌部が上陸した地・館山市布良の 布良崎神社 (祭神:天富命)周辺に「神余」(かなまる)という地名があり,これは安房神社に奉仕する忌部神戸が増えてあふれた人達が新しく開拓したことに由来する。「安房神戸(あわかんべ)」という地名もある。

    館山市大神宮の式内大社 安房神社 は天富命が祖父・天太玉命を祀った神社。
    宮司の安房忌部系図には,天富命の娘の飯長媛(イイナガヒメ)と天日鷲命の孫である由布津主命(ユフツヌシノミコト)とが結婚して,堅田主命(訶多多主命)を生んで安房忌部の祖としている。
    神社境内には「忌部塚」と呼ばれる弥生以前の洞窟遺跡もあり,阿波忌部の先遣隊の塚かもしれない。

    茨城県新治(にいはり)郡新治村の 鷲神社 は社殿が平成7年に焼失したが氏子の寄付により平成11年に社殿を復興。ご神体に徳島の忌部神社から分祀を依頼。鷲神社再建竣工記念碑には「本宮四国徳島市忌部神社」とある。

    結城(ゆうき)市小森の 大桑神社 の社伝には「古代,東国に養蚕・織物を伝えたとされる阿波斎部が,稚産霊尊(ワカムスビノミコト)を祭神として,北方の大水河原に創建,この辺り一帯を大桑郷と名付けた」とある。

    ◇栃木県小山市栗宮の式内社 安房神社 の祭神は天太玉命。
    ◇小山市萓橋の 日鷲神社 の祭神は天日鷲命。
    ◇下都賀郡石橋町橋本の 鷲宮神社 は天日鷲命。
  • 養蚕は、弥生時代中ごろには日本に伝わったとされている。吉野ヶ里遺跡(佐賀県)からも、さまざまな織り方の絹織物や、日本茜や貝紫で染色されたものがみつかったことから、このころすでに高い技術があったことがわかる。
     ただし本格的には、1~2世紀ごろに朝鮮半島からもたらされたとされ、帰化人の功満王(こまおう)が、カイコの卵と織物技術を伝えた記録も残されている(『三代実録』195年)。
     604年に聖徳太子が制定したとされる十七条憲法には「春から秋に至るまでは農桑の節なり」と記されており、飛鳥・奈良時代には、日本の各地に養蚕が広まっていた様子がしのばれる。

     日本の養蚕の起源については、「魏志倭人伝」に蚕から糸を紡ぎ絹織物をつくっていたことが書かれており、239年には魏の明帝に卑弥呼が国産の絹を献上したことが記されている。最も古い絹が、弥生時代中期の遺跡から発掘されていることから、弥生時代の中期頃にはすでに北九州において養蚕が行われ、かつ楽浪系の三眠蚕が飼育されていたとみられる。あるいは四眠性の蚕も一部飼育されていたかもしれない。
     平安時代になると、貢調として絹糸布を確保する必要上、蚕糸業を奨励したため、蚕糸業は国内に相当に普及した。『延喜式』(927年撰進)の記載によると、上糸国(近江、阿波、紀伊など)12ヵ国、中糸国(丹後、播磨、讃岐、伊予、土佐、遠江など)25ヵ国、麁糸国(常陸、上野、甲斐、伊豆など)11ヵ国、計48カ国の蚕糸産出国を記している
  • 07/31編集されました
    物部氏の関係者が西暦九百年頃に編んだと思われる『先代旧事本紀』の中で「また、阿波の忌部の祖の天日鷲神(少彦名命の別名)に木綿を作らせた」(神祇本紀)と云う文言があった。
    その資料は続けて「また倭文部の祖の天羽槌雄神に文布を織らせた」とも記載している。

    倭文連  
    神魂命の子、角凝魂命の男、伊佐布魂命の後なり。
    「新撰姓氏録」摂津国神別[註:伊佐布魂命は高木神と同神と見られる]

    天底立命--天背男命--天日鷲翔矢命--天羽雷命(一云う、武羽槌命)  

    倭文宿禰、美努宿禰、鳥取宿禰らの祖  「斎部宿禰本系帳」
      

    玉祖連 天背男命--櫛明玉命--天湯津彦命………飽速玉命

    三番目に上げた「玉祖連」には天羽雷命の名前が出ていませんが「先代旧事本紀」は「神祇本紀」の中で、

    天太玉命は忌部首らの祖  天明玉命は玉作連らの祖  天櫛玉命は鴨縣主らの祖

    と列記し「玉作り」を職掌とした一族などの祖先がいずれも天津彦根命の別名であること、更には「古語拾遺」も「出雲国忌部の祖、玉作りの祖」が櫛明玉命であり、幾つもの氏族を「天太玉命」が率いて祭祀を掌ると明言していますから天湯津彦命という神様は、天日鷲翔矢命(少彦名命)の息子である天羽雷命の又名であろうと判断できます
    (斎部氏の系譜には天日鷲翔矢命--大麻比古命--由布津主命とある点も参考に成ると思われます)。
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