DNAで見る日本人 遺伝子の情報

June 2016 編集されました カテゴリ: 一般/歴史書

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日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ。 日本人の四割は縄文系です。 また、日本人の三割の弥生系も、O2…

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  • September 2016 編集されました
    朝鮮・世宗の時代、『訓民正音』の創製に貢献し、博学で日本や琉球の地理・歴史・官職・社会制度にも詳しく『海東諸國紀』を著した申叔舟(1417-1475)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a1(O-CTS10145, CTS11723)である(注1)。これは、高靈申氏の子孫・トニー・シンら複数名から得られたデータに基づくものである。O1b2a1a(O-CTS10145, CTS11723)系統は、朝鮮半島では少なく、日本列島に多くみられる系統であるが、申叔舟の本貫である高靈申氏に限っては顕著にみられる

    現在の韓国では公式には「ハングルを定義した『訓民正音』は世宗王 一人の著作物である」とされているが、実際には同書の「後序」で鄭麟趾が名前を挙げている集賢殿の学士たちの作成であるとの見方が強く、申叔舟もその一人に含まれている。『訓民正音』と対になっている『東国正韻』の序文は申叔舟が書いており、これらの作業の中心的人物であったことが窺える。 申叔舟が、1471年に著した『海東諸國紀』の日本の国俗の説明文には「男女となく皆その国字を習う。国字は『かたかな』と号す」と書かれている点からカタカナの字形がハングルに与えた影響が注目される。 彼は世祖のときに始まり成宗の代で完成した『経国大典』の編纂にもかかわっている。 また申叔舟は、その死にのぞんで成宗に「願わくば日本との和を失うなかれ」との名言を遺した。申叔舟の先祖は、族譜によれば、もと新羅公族(貴族)の後裔で、高麗王朝の時に地方に下り安逸戸長を務めていたといわれる。高麗王・第23代高宗(在位:1213-1259)の時、申成用が、文科に及第して正四品・檢校軍器監に任ぜられた。 高靈申氏の始祖・申成用の墓は慶尚北道高靈郡雙林面山州洞萬代山酉坐にある。これにより、子孫は「高靈(現 慶尚北道南西部)」を本貫として世居し優れた人材を多く輩出した。申叔舟もその一人である。申氏の本貫のある「高靈」はかつて、日本の領土のあった任那の「加羅」地域にあたる。

    申叔舟は日本への渡航経験もあり日本文化に精通してる学者と見られていたが、子孫らによるDNA鑑定の結果、申叔舟は倭人の子孫であった可能性が濃厚で、申叔舟自身が実際は倭人であった可能性も浮上している。
  • September 2016 編集されました
    曹操
    中国三国時代の魏の曹操(155-220)のY染色体は、現代の中国人の中では稀なタイプであるハプログループO1b1a2a(O-M268, subclade-F993)に属していることが解析された。

    藤原清衡

    平安時代後期の武将で、平泉に中尊寺を開基した奥州藤原氏の祖・藤原清衡(1056-1128)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a1(O-CTS10145, CTS11723)である。これは、奥州藤原氏四代の骨格の調査や、子孫複数名から得られたサンプルの解析結果などによるものである。藤原清衡の血液型はAB型。
  • Cはアフリカ・インド経由で東南アジアへと海岸線を移動したグループです(氷河期時代は海岸線を移動するグループが多い)。東南アジア(スンダランド)で大きくオーストラリア方面と北方方面に分岐。北方に分岐したグループがフィリピン→台湾→日本列島と北上し更に北海道当りで北アメリカに向かうグループと東のブリアートに向かうグループに分かれます(一部が半島経由で中国内陸部へ)。
    ・C1は、スンダランドからフィリピン、台湾を突っ切って黒潮に乗って北上したグループ日本でも太平洋側のみに集中。
    ・C2はインドネシア人等の東南アジア。
    ・C3は、スンダランドから日本を北上し、サハリンに定着し、そこから東へ移動したツングース系のグループ(C3aは日本で分岐した遺伝子。C3cはチンギスハンが持っていた遺伝子=女真系に多い)
    Dグループも似たような移動経路ですが、日本列島到着時のDは原型タイプのものです。D2への分化は、一万年に氷河期が終了し日本列島が孤立したことにより生まれました。チベット周辺で生まれたD1・D3と日本のD2は直接の関係が無く、原型タイプのDからそれぞれ分岐したものです。
  • O系統 東・東南アジア
    インドから東南アジア・中国南西部(チベット・ミャンマー)に達したグループ。
    日本へは南方から移動してきたO2b・O3が稲作を伝えたとされる。元来、朝鮮半島からの移動が指摘されてきたが、実際には紀元前後に倭が半島に進出していたことや、水稲の開始時期が日本の方が早く、吉野ヶ里遺跡の発見や沖縄人に一番高い頻度でO2bが見られることなどから江南からの海上ルート(一部が日本から半島へ)が国内外で支持されている。
    * O1 台湾原住民 カダイ族日本:1%程度
    * O2a 長江中流(タイ/ヴェトナム/インドネシア)
    * O2b(O-M176 旧O2b/O2b1) 琉球南部 67% タイ6% ヴェトナム 14% 日本 35% 朝鮮 30% 弥生琉球・江南ルート
    o O2b1(O-47z 旧O2b1a) 弥生人?ベトナム人に多い 日本人に占めるO2b系の75%がO2b1 朝鮮では25%。
    * O3 長江周辺 日本20% 弥生江南もしくは山東ルートから移動

    【日本人】
    D2(30-60%)>O2b1-47z(25%)>O3(20%)>O2b(10%)>C1(5%)>C3(3%)
    *縄文系(C/D2)
    * (江南から)中国南部・東南アジアの弥生人 O2b* O2b1(O2b1は日本内で分岐 )(O2b1-47z) ((O2b:O2b1 = 1:2~1:3)
    *O2bは沖縄>日本・本州>朝鮮>満州の順で頻度が高い。
    * 長江系弥生人(O3a4・O3a5) O2と同様江南もしくは山東から海上ルートで移動(O2aも同様)
  • 【朝鮮人】
    O3(45%)>O2b(23%)>C3(13%)>O2b1-47z(9%)>O1a(2.2%)>D2,D1(1.6%)
    * 1/2は河北漢系が度々進入(燕人、斉人、楽浪人、山東漢=紅巾賊など)
    * 1/4は南方系・江南からの移動(O2b)
    * 1/10は南朝鮮の一部を倭人が支配していた時代の名残(D2,C1,O2b1-47z)
    * 他(K,L,P)を持つ諸民族、Kは経路不明だが満族にも見られる。
    1. D2は、ほぼ、全羅道(百済)、慶尚道南部(新羅、任那日本府)、済州島(耽羅国) のみで出る。全羅道、新羅が属国だったころに渡来した倭人。
    2. D1は、北でのみ出る(斉羌族か?チベット→中国→半島に移住した民族)
    3. O2b1-47zは、北に行くほど減り、O2b(扶余系)が優勢になる。全羅道、慶尚道で多く(O2b:O2b1= 2:1~3:2)、江源道、京畿道では少ない(O2b:O2b1= 4:1~5:1) つまりO2b1-47zは倭人(列島からの弥生人)である。
    4. C3は半島北部以外に中国内の朝鮮族に見られないのが特徴。女真族などにも多い。
  • 琉球大学大学院医学研究科の佐藤丈寛博士研究員、木村亮介准教授、北里大学、統計数理研究所の共同研究チームが、現在の琉球列島に住む人々の
    核ゲノムDNAを解析した結果、遺伝的に琉球列島の人々は
    台湾や大陸の人々とつながりがなく、日本本土により近いという研究成果を発表した。琉球大学が16日、発表した。

    また、沖縄本島から宮古、八重山諸島へ人々が移住した時期をコンピューターで計算した結果、古くても1万年前以降と推定。宮古のピンザアブ洞穴人(2万6千年前)や石垣の白保竿根田原(さおねたばる)洞穴人
    (2万年前)は、現代の宮古、八重山の人々の主要な祖先ではないと結論付けた。
  • August 2018 編集されました
    核DNAに基づく分析結果

    古くにいた祖先が独自の進化した縄文人

    縄文人の祖先は、どこから日本列島にやってきたのだろう。これまで、縄文人の起源が東南アジア、北東アジアのいずれかについての議論が長く行われてきた。形態的には東南アジア人に近いが、縄文人のミトコンドリアDNAと現代人のDNAを用いた遺伝学的研究からは北東アジア人に近いという結果が出ていたのである。今回私たちが得た配列を現代人と比較したところ、縄文人はいずれにも属さず、東アジア人の共通祖先から分岐したという系統関係になった

    縄文人は、これまで考えられていたより古い時代に他の東アジア人集団から孤立し、独自の進化をとげた集団である可能性が出てきたのである。縄文人がいつ、どこから日本列島にやってきたのかを知るためには、今後、多くの縄文人と他の地域の東アジア古代人の核ゲノムを解析することが必要である。

  • 現代の日本列島人3集団と縄文人との関係を見たところ、アイヌ、琉球、本土日本人の順に縄文人の遺伝要素が強いことがわかった(図9)。
    http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/research/1.html

    二重構造説で指摘されていたことを、縄文人の核ゲノムを用いて直接的に証明した初めての成果である。
  • 進化の系統樹

    「ホモ・サピエンス」と呼ばれる私たち現生人類は20万年前にアフリカで誕生し、その後他の大陸に進出しました。
    ヨーロッパに向かった人たちと別れ、東に進んだグループのうち、最初に分岐したのはパプアニューギニアからオセアニアへ渡った人たちです。そして解析の結果、次に別れたのが縄文人だったのです。

    これは、縄文人が他のアジア人ほぼ全てと別のグループであることを意味します。他のアジア人はその後、中国や東南アジア、さらにはアメリカ大陸に向かう集団へと別れました。現代の日本人もこちらのグループに入っています。これを見る限り、縄文人は日本人の祖先には見えません。ただ同時に、この矢印は、縄文人と現代の日本人のDNAのうち12%は共通だということを示しています。一体どういうことなのか?

    研究者が考えるシナリオです。

    およそ4万年前から2万年前の間に、大陸から日本に渡った人々がいました。大陸とは海で隔てられていたため、この人々はその後大陸のアジア人と交わること無く進化を遂げ、縄文人の祖先になります。その間、大陸のアジア人も様々に別れていきました。
    そして、縄文時代の末以降、再び大陸から日本に大勢の人が渡ってきました。いわゆる渡来系の弥生人です。稲作文化を持ち込んだ渡来系弥生人は人口の多くを占めるようになりますが、その過程で縄文人と幾らか交わりを持ったため、現代の日本人には12%だけ縄文人のDNAが伝えられたのです。従来の研究では、現代日本人には縄文人の遺伝子が2割~4割ほど入っているとも考えられていましたので、それよりかなり少ないという結果です。
    ただし、これはあくまで福島県・三貫地貝塚のわずか2人のDNA解析の結果です。「縄文人の中にも多様な人達がいて三貫地縄文人は現代人との共通性が低かったが、西日本の縄文人はもっと共通性が高いかもしれない」と考える専門家もいます
  • D系統は、現在世界で極めて稀な系統になっており、日本人 (D1b) が最大集積地点としてその希少な血を高頻度で受け継いでいる。遠く西に離れたチベット人 (D1a) やアンダマン諸島(D*)で高頻度である他は、アルタイ(D*)、タイ (D1a)、ヤオ族 (D1a)、フィリピン (D2)、グアム島(D*) 等の南方地域にわずかに存続するだけである。しかしながら同じD系統とは言え、D1b系統と東アジア(チベット等)のD1a系統は分岐してから4 - 5万年もの年月を経ていると考えられる。(O系統が誕生したのが3 - 4万年前であるため、これよりも前に分岐しているD1bとD1a等は別系統であるが双方とも日本列島で見られる)
    ハプログループOは東アジアから東南アジアにかけて最多を占めるグループである。O系統は約40,000年前に東アジアにてハプログループNOから誕生し、35,000年前頃から30,000年前頃にかけて多くの現代東アジア人や東南アジア人の父系に繋がる五つの大系統を生み出した。約35,000年前の日本列島の旧石器時代初期頃に日本列島にまで到達したと考えられるD系統と比べると、O系統はその後から東ユーラシア全域に広がり、誕生時期的には比較的若い系統であるものの、西ユーラシア系のハプログループRと並んで現代人類において最も帰属人口の多い系統となっている。日本で主に見られる詳細系統はO1b2系統とO2系統である。
    O1b2系統は、日本列島の他、満州民族、朝鮮半島でも日本と同程度見られ、他は東アジア北東部や東南アジアでも低頻度見られる。O1b2系統はおおよそ30,000年前に現代東南アジア人男性の多くが属すO1b1に繋がる系統から分岐をして、約10,000年前から中国大陸で帰属人口が増え始め、やがて日本列島や満州地域、朝鮮半島へ拡散をしたと見られる。日本のO1b2保有者の約8割で見られるO1b2a-47zというサブグループは、おおよそ8,000年前に発生したと推定されているので、他の満州や朝鮮、インドネシアで多く見られるO1b2-M176(x47z)というサブグループとはそれ以上昔に血筋がわかれているということになる。
    O2系統は日本においてはO1b2系統より低頻度であるものの、中国、朝鮮、ベトナム等においては最多を占めるグループであり、日本やその他の東南アジア、インド北東部やネパールなどの南アジアでも中から低頻度見られ、O系統では最大のサブグループである。
  • 孔子など古代の思想家の肖像画が皆、豊かな髭を蓄えている。秦の始皇帝の兵馬俑の兵士達がほとんど口髭や顎髭を持っていた。原初神の伏羲も口髭があった。

    孔子の先祖は殷人であり、Y-DNAハプログループD2の縄文人と同族であった。また、秦の始皇帝と兵士達も同族でY-DNAハプログループD2であった(参考).。さらに、古史古伝の一つ宮下文書では中国の原初神は縄文時代の富士高天原から移住したとされている。

    その他の老子とか荘子らの思想家達のルーツは未確認であるが、ほぼ全員の肖像画が長い髭を蓄えている。もしかすると、全員がY-DNAハプログループD2の縄文人であるかも知れない!?

    ただし、漢民族の皇帝とされる肖像画も長い豊かな髭を蓄えており、皇帝とか偉い思想家は長い豊かな髭を持つものとして、全員、髭を濃く描いたと思われる。また、仙人が描かれた絵も検索してみると、ほとんど皆、長い髭を蓄えていた。古代の偉人は豊かな髭を生やしていると言うイメージが定着していたようだ。
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