星神、香香背男、星の宮、天背男

April 2016 編集されました カテゴリ: 一般/歴史書

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甕星香香背男ともいう。東国に多い星の宮に祀られている。 神武天皇以前からの神である。 日本書紀のみに記される。…

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  • 風土記の出雲郡伊農郷や秋鹿郡伊農郷に登場してくる。また、天御梶日女命は、楯縫郡神名樋山にて「阿遅須枳高日子の后、天御梶日女命、多宮の村に来て、多伎都比古命をお産みになった。」

    との記載あり。
  • 伊努神社  島根県出雲市西林木町376 

    天甕津日女命の夫 赤衾伊努大住比子佐倭氣命 が主祭神で祀られている。
    ここの神社は風土記の出雲郡伊努郷にあり、出雲市美野町382番地にある伊努神社は秋鹿郡伊農郷にあり、天甕津姫命が主祭神である。
  • 天背男命を祀る神社
    『旧事本紀』饒速日尊の防衛[ふせぎまもり]として天降り供へ奉る。

    秋田県仙北郡六郷町六郷字米町27,28,29,出羽(羽後)国 仙北郡 熊野神社
    「伊邪那岐命、伊邪那美命、事解男命、速玉男命 配 天背男命」

    群馬県甘楽郡南牧村小沢1302,上野国 甘楽郡 小沢神社
    「大日ルメ尊、國常立命、大山祇命、倉稻魂命、天背男命、建御名方命」

    愛知県稲沢市稲島町石畑136,尾張国 中島郡 
    久多神社「天背男命、茜部天神」

    香川県善通寺市大麻町上ノ村山241,讃岐国 多度郡 
    大麻神社「天太玉命 配 天背男命」

    宮崎県日向市大字塩見4573,日向国 臼杵郡 栗尾神社
    「譽田別命 合 天背男命」

    鹿児島県姶良郡霧島町川北135,日向国 諸県郡 七社神社「八十枉津日神 配 天背男命」

    鹿児島県姶良郡霧島町大窪1362,日向国 諸県郡 飯富神社「岐志迩保命、天津日神 合 天背男命」
  • 天香香背男命を祀る神社一覧
    茨城県日立市大甕町6-16-1 大甕神社「武葉槌命」宿魂石に天香香背男神が宿る。

    茨城県西茨城郡友部町中市原522 星宮神社「天香香背男命」

    茨城県東茨城郡常北町石塚1088 風隼神社「武甕槌命」すりかわりでは。

    茨城県笠間市石井1074 石井神社「建葉槌命」すりかわりでは。

    茨城県笠間市福原田上6132 田上神社「主 豐宇氣姫命 合 軻賀背男命 ほか」

    茨城県結城市結城7086 八幡神社「譽田別命 合 火火背男命、豐受皇大神」

    茨城県結城市上山川4718 星宮熊野神社「天加加背男命、伊邪那岐命」

    栃木市平井町659 大平山神社摂社星ノ宮「天加加背男命」

    栃木県小山市押切87 星宮神社「香香脊男命」

    栃木県小山市下石塚716 星宮神社「香香背男命」

    栃木県小山市上国府塚738 星宮神社「香香背男命」

    栃木県下都賀郡藤岡町大和田1,358 三毳神社「日本武命 配 香香背男命ほか」

    栃木県下都賀郡岩舟町静4,165 星宮神社「香香背男命」

    栃木県下都賀郡郡岩舟町下津原1,145 三鴨神社「主 事代主命 配 建御名方命、香香背男命 ほか」

    栃木県下都賀郡都賀町大柿455 星宮神社「香香背男命」

    群馬県勢多郡北橘村真壁846 赤城神社「豐城入彦命、香香背男命 ほか」

    群馬県館林市田谷町941 稲荷神社「倉稻魂命 配 天津甕星命、木花開耶姫命」

    千葉市若葉区富田町1183 八幡神社「譽田別命 配 加加勢男命ほか」

    千葉県東葛飾郡沼南町鷺野谷2ー1 星神社「香香背男命」

    千葉県印旛郡酒々井町本佐倉781 妙見神社「香香背男命」

    千葉県香取郡多古町島2863 八幡大神「譽田別尊、菅原道眞、天香香背男命」

    千葉県匝瑳郡光町木戸8076 星宮神社「天加加背命」

    神奈川県中郡二宮町中里宮久保886 明星神社「天香香背男命」

    石川県河北郡宇ノ気町七窪ヘ20 七窪神社「菊理媛神、天星神」

    石川県鳳至郡穴水町上唐川カ15 経津主神社「天津甕星命、經津主命」

    岐阜県関市西田原字東屋敷635番地の1 星之宮神社「星神」

    岐阜県加茂郡川辺町下麻生1938番地 県神社摂社星神社「星大神」

    岐阜県加茂郡八百津町和知443番地の1 星宮神社「香香背男命」

    岐阜県加茂郡八百津町上吉田1832番地 星神社「天香香背男命」

    岐阜県吉城郡上宝村大字双六1331番地 白山神社「菊理姫命、天津甕星神ほか」

    岐阜県吉城郡上宝村大字双六788番地 白山神社「菊理姫命、天津甕星神ほか」

    静岡県焼津市三ケ名980番地 神明宮摂社明星宮「香香背男命」

    静岡県焼津市小土67番地 小土神社摂社津島神社「須佐之男命、香香背男命ほか」

    静岡県榛原郡吉田町住吉2212-1 片岡神社摂社星の宮神社「天香香背男命」

    名古屋市西区上小田井1-172 星神社「大己貴命 配 天香香背男神、牽牛、織姫」

    名古屋市南区本星崎町字宮町620 星宮社「天津甕星神」

    愛知県幡豆郡吉良町大字富田字殿海戸87 富田神社「建速須佐之男命 合 天香香背男命ほか」

    三重県阿山郡阿山町大字石川2291 穴石神社「木花佐久夜比賣命 合 天香香脊男命ほか」

    三重県阿山郡阿山町大字馬場951 陽夫多神社「健速須佐之男命 合 香香背男神ほか」

    三重県阿山郡大山田村大字平田699 植木神社「健速須佐之男命、櫛名田毘賣命 配 香香脊男命、五十猛神ほか」

    三重県鳥羽市答志町984 美多羅志神社「天忍穗耳命 合 北斗星神、三十三夜星神ほか」

    京都府与謝郡加悦町金屋水木ケ谷口245-1 長宮神社「加賀脊雄命」

    和歌山県伊都郡高野町細川826 八坂神社「素盞嗚命、奇稻田姫命、天香香背男神ほか」

    和歌山県日高郡龍神村竜神1346 皆瀬神社「八幡大明神 合 天香香背男命ほか」

    和歌山県日高郡龍神村東224 丹生神社「丹生都姫神、丹生都彦神 合 香香背男ほか」

    島根県八束郡八雲村東岩坂2193 那冨乃夜神社「經津主命、武甕槌命、星神加加背尾命 配 妙見社ほか」

    島根県仁多郡仁多町大字亀嵩1284 湯野神社「大己貴命、少彦名命ほか 合 香香背男命ほか」

    島根県出雲市稗原町2571 市森神社「阿陀加夜怒志多伎吉比賣命 配 香香背男神ほか」

    島根県出雲市馬木町84 熊野神社摂社鳥越神社「天香香背男之命」

    島根県那賀郡三隅町岡見241 八幡宮「應神天皇ほか 合 加加背男命ほか」

    岡山県阿哲郡大佐町大字上刑部2563 星神社「天加加背男命」

    岡山県英田郡美作町楢原下383 楢澤神社「伊邪那美命 配 香香背男命ほか」

    岡山県英田郡作東町竹田1826 竹田神社「譽田別命 配 瀬織津姫命、香香背男神」

    岡山県久米郡久米町油木北1608 少彦名神社「少彦名命 配 天香香背男命ほか」

    岡山県久米郡久米町里公文1514 高津神社「大日・貴尊 配 天香香背男命ほか」

    岡山県久米郡旭町里1827 八幡神社(湯田神社)「譽田別命 配 天香香背男命ほか」

    岡山県久米郡久米南町山之城557 天津神社「天香香背男命」

    広島県庄原市七塚町362 八幡神社「仲哀天皇、仁徳天皇、應神天皇 配 天香香背男命ほか」

    広島県豊田郡豊町 宇津神社摂社妙現神社「天香香背男神」摂社水分神社「天香香背男神」

    広島県豊田郡豊町 篠原神社摂社妙現社「天香香背男神」

    山口県萩市大字堀内285 春日神社「天兒屋根命ほか 合 星神」

    徳島県阿南市大潟町62 諏訪神社摂社妙見神社「天香具背男命」

    徳島県那賀郡上那賀町大戸字大戸13 明現神社「加賀背男命、天太玉命」

    徳島県海部郡海部町奥浦字町内56 明現神社「可可瀬男命」

    徳島県海部郡宍喰町久保字久保99 八幡神社摂社尾崎神社「天忍穗耳命 合 河可瀬男命」

    愛媛県西条市千町 高智神社「可可背男命ほか」

    愛媛県西条市荒川 明見神社「市杵嶋姫命 配 可可背男命、大己貴命」

    愛媛県南宇和郡御荘町長月 朝星神社「加賀世男命」

    高知県香美郡土佐山田町大後入 本宮星神社「加賀背男神」

    高知県香美郡土佐山田町佐岡本村497 星神社「加賀背男命」

    高知県香美郡土佐山田町 伏森神社「加賀背男命」

    高知県南国市明見385 星神社「星神」

    高知県南国市 星神社「星神」 高知県高知市 星神社「伊弉諾命、北斗星神」

    高知県高岡郡窪川町東又 嶋神社「伊予都彦神、伊予都姫神ほか 合 天香香世男神ほか」

    高知県高岡郡窪川町東又 はいたか神社「はいたか大神 合 天香香世男神」

    高知県高岡郡窪川町793の1 六十余社「六十余州一宮所祭神 合 天津甕星、天乃香香背雄神ほか」

    高知県高岡郡仁淀村別府 星神社「香香背男」

    高知県幡多郡西土佐村 祓川五社神社「伊弉那冉命 合 星神ほか」

    福岡県浮羽郡吉井町大字福益1358 熊野神社摂社三光神社「天照皇大神 配 月讀神、天加賀世男神」

    佐賀県鹿島市大字三河内丙1 三嶽神社「廣國押建金日命 合 星神ほか」

    熊本県阿蘇郡南小国町赤馬場2364 冠神社「阿蘇大神 合 大年神、星神」 大分県佐伯市大字鶴望2421番地 星宮神社「香香世男大神ほか」

    大分県佐伯市大字守後浦44番地 産靈神社「天香香背男神」
  • 妙見信仰は、中国の北方の満州やモンゴルの遊牧民が不動の目印の星だとし、北極星を崇めたのが発祥とされる。それがやがて、中国で都の四方を守る聖獣のうち、北方を守る玄武の背中に乗って妙見神が顕れると考えられた。亀に乗った女神像が妙見神社に伝わるのは、これからとなる。

    妙見神は元来女神であり、北方守護神とされ、剣を持っている姿で表されている。その本地仏は、薬師如来以前は十一面観音とされていた。早池峰神社に祀られている観音様は、十一面観音である。白鳳時代から密教の流入は、従来の観音信仰を大きく変えた。そこに現れた変化観音は、不可思議な神威霊力を振るう最強の仏神として、国家鎮護の法要に欠かせない存在となっていった。
  • 伊勢神宮では正殿、そして荒祭宮を北の中心として、西宝殿と東宝殿がそれぞれ北斗し南斗を表しているという。

    熊野で云われる神武天皇を導いた八咫烏は太陽の象徴であり、その熊野修験が羽黒山へ行き、羽黒修験の元となった。その為、本来は熊野大神が羽黒神として祀られたのだったが、羽黒側が熊野修験を排除し、独自の由緒を作り上げたらしい


    内藤正敏「羽黒山・開山伝承の宇宙観」では、その五重塔内部に羽黒三所権現が本尊として祀られているを紹介している。
    中尊を羽黒山本地仏の聖観音、その脇士に軍茶利明王と妙見菩薩が置かれているのだと。羽黒修験の口伝によれば、聖観音は太陽で、妙見菩薩は北極星、軍茶利明王は南斗六星であると云う。そして、その五重塔の正面に立つと、その向きは東を向いており、そこには羽黒山山頂と安久谷がある。この羽黒山本社に立つと、北に向って拝む事になるという。それはつまり、方違えの呪法であろうから羽黒もまた、北を重視した信仰であるのがわかる
  • 『日本書紀』には出てきませんが、「天須婆留女命(あめの すばる めの みこと)」がある。

    伊勢の正宮「皇大神宮」の摂社、かつての伊勢国で、現在は伊勢市の隣、度会郡の「棒原神社」(すぎはら・じんじゃ)の主祭神の一柱が「天須婆留女命御霊(あめの すばる めの みことの みたま)」です。ということは、皇大神宮は、「天照大御神」を祀りますので、その配下に、すばる(昴)ことプレアデスの星々を「神」とする
  • 「瀬織津姫」は、日本全国の津々浦々や河川、また海人族ゆかりの内陸部に合わせて450以上の神社に祀られています。
    最も多い都道府県は、海岸線が長いこともありますが、やはり津波の多発地である岩手県(36社)と静岡県(32社)が群を抜きます。
    太平洋岸にかぎれば、三重県(18社)と、海人族の拠点の一つだった愛知県(16社)が、これに次ぎます。

    伊勢の度会(わたらい)氏が編纂したとされる神道五部書のひとつ、「倭姫命世記(やまと ひめの みこと せいき)」では、伊勢内宮の第一別宮「荒祭宮(あらまつりのみや)」には「瀬織津姫(せおりつひめ)」を祀るとされます。引用しますと、「荒祭宮一座。皇太神宮荒魂、伊弉那伎大神(いざなぎの おおかみ)の生める神、名は八十枉津日神なり。一名(またの名)、瀬織津比咩神(せおりつひめの かみ)これ也、御形は鏡に座す」と記されています。
  • こんな説もある
    微斗数(しびとすう)

    中心の「北極星」を紫微星と呼び、「天子(皇帝)」を象わします。
    日本でいえば、「天皇」です。
    その直下に、「天子の乗り物」また「将官」らを象わす「北斗七星」あって、そのもとに並んでいる星々が「三筒(三台)」です。
    北斗七星で知られる「おおぐま座」の3つの足に位置しており、2つずつ並んだ6つの星々が、「綿津見三神」と「住吉三神」で六柱の神を象わします。
  • 奥州藤原氏の初代清衡が、出羽国、陸奥国両国の一万余りの村毎に一ヶ寺を建立したと云われるのは、新山寺であり新山神社だとされている。その新山神社に祀られているのは玉依姫という仮の名であり、本当の神名は瀬織津比咩であり、それは羽黒権現としても祀られていた。その羽黒権現を祀る山形の羽黒神社には、国宝となる平将門が建立したとも云われる五重塔がある。その内部には妙見神が祀られている事から、羽黒修験は北を重視していた事がわかる。

    平田篤胤「古史伝」では「必ずここは大虚の上方、謂ゆる北極の上空、紫微垣の内を云なるべし。此紫微宮の辺は、高処の極にて天の真区たる処なれば、此ぞ高天原と云べき処なればなり。」と、高天原を称して述べているのは、高天原が本来、北辰崇拝に基づくものと考えたからである。そして妙見では、五と三の数字を重んじる。北極五星は天上の最も尊貴な星とされるのだが、その中でも三星は特に尊い星とされている。その三と五の組み合わせに関する神話が「古事記」に登場する。それは天照大神と素戔嗚尊による誓約の場面だ。そこで三女神と五男神が生れるのだが、その後の扱いを見ても、三女神の扱いを重視しているのは、三女神と三星が結び付くからと考える。その三女神は宗像三女神で、水神である。その宗像三女神の中でも多岐都比売命を祀る中津宮である大島には星の宮があるのを知った。またその大島には星の信仰をしたであろう安倍一族の安倍宗任の墓も存在する。

    多岐都比売命は瀬織津比咩であると書いたが、星を通してここでも繋がる。
    とにかく「古事記」に於いても、水神と星神の結び付きが成されていたのである。

    宗像神社は全部で三社あり、それぞれ、辺津宮・中津宮・沖津宮となっており、その三宮にそれぞれの女神を祭っている。どの宮にどの神を祭っているのかは議論があるが、大切なのは宗像三女神を祭っているという事実であり、またその三女神がオリオンの三つ星でもあるという
  • 筑前大島の、宗像大社・中津宮神社内には、島の最高峰、 『御嶽山』 を源流とする、天ノ川が流れております。

    この天ノ川を挟んで、中津宮に向かって、左の丘の上に、 織姫を祀る神社、織姫神社 。そして、右の丘の上には、 牽牛を祀る神社、牽牛神社 が祀られております。

    この2つの神社を併せて、星の宮と呼ばれており、天ノ川を巡るロマンチックな伝説が伝えられております。

    その、天ノ川に流れ込む、御嶽山の伏流水、信仰の対象の 霊泉、 『 天真名井 』 (あめのまない) があります。今も、湧き水が、コンコンと、湧き出しております。古くから、古今和歌集にも詠われ、中津宮の七夕伝説の、信仰が、島内にかかわらず、全国に伝わっていることから、 「大島が、七夕伝説の、発祥の地」 と、言われるのも、うなずけます。
  • 『先代旧事本紀』に、邊都宮に坐す高津姫神と大己貴神との間に都味歯八重事代主神と高照光媛大神が生まれたとある。

    多岐津比売命 を祀る神社

    多岐神社
    多伎神社
    田寸神社
    石神社
    穴門山神社 境内 荒神社
    多度大社 境内 皇子社
    熊野本宮旧社地 大斎原 摂末社合祀別社
    須佐神社 境内 子安神社
    日吉大社 境内 巌滝社
    八幡神社
    川合神社
    大江神社
    高向大社
    田立建埋根命神社
    櫟原北代比古神社
  • 天甕津日女命 あめのみかつひめのみこと
    天御梶日女命:あめのみかつひめのみこと
    阿麻乃弥加都比女:あまのみかつひめのみこと
    ……
    『出雲国風土記』出雲郡の伊農郷に坐す赤衾伊農意保須美比古佐和気能命の妃・天甕津日女命。 国内をご巡行になった時に、伊農郷にお着きになっておっしゃったことには、「ああわが夫よ、伊農よ」とおっしゃった」とある。

    また『出雲国風土記』楯縫郡に、阿遅須枳高日子根の后、天御梶日女の命が、多具の村においでになって、 多伎都比古の命をお産みになった。その時、胎児の御子に教えて仰せられたことには、 「おまえの御父上のように元気に泣きなさい。生きてゆこうと思うならば、ここがちょうどいい」とおっしゃった。とある。

    『尾張国風土記』逸文に、垂仁天皇の御子・品津別皇子が七歳になっても言葉を話さず、 皇后の夢に、多具の国の神、阿麻乃弥加都比女が出現し、私を祀れば皇子は話すだろうと告げる。
  • 天照大神を天の岩戸から誘い出すために、文布(あや)を織ったとされる。文布は倭文布とも倭文とも書き、「シドリ」また「シヅリ」という織物である。同じ織物の神では栲幡千々姫命、天棚機姫命が挙げられるが、天羽槌雄神は機織りの祖神とされている。また倭文(しどり)氏の遠祖でもある。

    信仰としてはどちらの名でも織物の神、機織の神として信仰され、全国の倭文神社、静神社、服部神社などで祀られている。
    『古語拾遺』に、天照大御神が天岩屋に隠された際、 大神に献上する文布(しず)を織った神で、倭文氏の祖神。 ちなみに倭文宿禰の祖は神魂命、倭文連の祖は神魂命の子・角凝魂命。

    天棚機姫神と共に機織の神として祀られる。

    神綺日安命の別名とする説もある。また天日鷲命の弟神あるいは御子とする説がある。

  • (手持ちの資料によって私が数えたところ)、
    県内128ヶ所以上。
    次に多いのが「稲荷」で、112ヶ所以上。
    3位は「八幡」で、95ヶ所以上であります。

    で、この「星宮神社」は、関東・中部に多い「星神社」と同様、
    星神(天香香背男命)を祀る神社であります。
    ただし、場所によって星神は星神でも、
    天香香背男以外の、他の神格を祭神とするところもあり、
    注意を要します。
    天香香背男以外の他の神格(主祭神)を、以下に列挙します。
    磐裂神・根裂神  佐野市朝日町「星宮神社」等
    磐筒男命・磐筒女命  真岡市「星の宮神社」等 
    ニニギノミコト  足利市山川町「星宮神社」等
    虚空蔵菩薩  鹿沼市戸張町「星宮神社」等
    甕速日神・磐裂神・根裂神  芳賀郡芳賀町「星宮神社」等

    また、栃木県以外では、
    主祭神が、
    天香香背男と同じく「星の神」である、
    「妙見菩薩」(天御中主大神)になっている所も少なくない。
  • 伊雑宮

    伊雑宮は、伊勢皇大神宮(内宮)の別宮のひとつで、奥宮とも称され、志摩一ノ宮とされている。

    その創建の由来は次のようである。

    神道五部書の一つ、『倭姫命世記』に、

     「倭姫命が伊勢で、天照大神の朝夕の御贄(みにえ)(供物)所を求め歩いていたとき、
    土地の神、伊佐波登美(いざわとみ)命が倭姫一行を迎えて
    「嶋(志摩)国伊雑の方上」に神宮を造り奉った」と記されている。

     
    祭神は伊勢国を開いた神、天日別命の子、玉柱屋姫命として、中世、近世の頃には、地主神、伊射波登美(いざわとみ)命と玉柱屋姫命を祀る宮としてきた。それが『延喜式』や『皇太神宮儀式帳』では「天照皇大神を遥拝する宮」とされて、明治維新後には、祭神は、「天照坐皇大御神御魂」と定められた。
     
    伊勢周辺では源平から戦国時代にかけてたびたび戦乱があり、伊雑宮は志摩の九鬼水軍に社領地を奪われた。衰亡を畏れた伊雑宮の神人たちは所領回復のために明暦四年(一六五八)、再建願いを出した。

    その上申状の主旨は、
    伊雑宮こそが日本最初の宮で、のちに内宮ができ、次いで外宮が鎮座した。
    内宮、外宮は伊雑宮の分家であるという「伊勢三宮説」であった。

    添付された『伊雑宮旧記』『五十宮伝来秘記見聞集』などによれば、伊勢三宮それぞれが日月星を祭る宮で、伊雑宮こそが礒宮(いそのみや)で天照大神を祀る日神の宮、外宮は月讀(ツキヨミ)を祀る月神の宮、
    そして内宮はというと瓊々杵(ニニギ)を祀る星神の宮ということである。

    もともと十別宮のひとつである伊雑宮のことなど歯牙にもかけていなかった伊勢内宮としても、皇祖、天照大神鎮座社の地位を奪われかねない
    事態の発生を 看過してはいられなくなった。
    元号は変わっても同じ年の万治元年(一六五八)、内宮はその上申書に添えられた証拠の神書を偽作と訴えて反撃に出た。
     
    結局、朝廷によって、伊雑宮は内宮の別宮で、祭神は伊射波登美命と裁定された。
    その結果として、寛文二年(一六六二)、幕府は伊雑宮を内宮別宮の一つとして再建することにした。

    伊雑宮の神人たちにとってそれは承伏できないことであった。四代将軍、家綱に直訴したところ、
    寛文三年(一六六三)、神官四十七人の神人が偽書提出によって、伊勢・志摩からの追放処分の憂き目にあった。
  • 伊雑宮が日神、伊勢神宮内宮が星神、伊勢神宮外宮が月神をそれぞれ祀り、伊雑宮が本来の本宮であると言う説を伊雑宮の神職が唱えて事件となった


  • 海部穀定氏によれば、

    火明命・天香語山の大和降臨伝は、本来は、天村雲命をも加えて三代の降臨伝が変改されたもので、一考を要するのは、饒速日命と火明命についてではなく、饒速日命と天村雲命についてでなければならなく、

    「大和国に於て、古く、天神の御子の降臨伝が相続いて二度あった。その一つは、火明命、天香語山、及び、天村雲命の降臨伝であり、又、一つは、饒速日命の降臨伝であったと考えられ、天村雲命と饒速日命には、どちらにも降臨伝があったと考えられる」という。

    また、天村雲命と饒速日命が同神と考えられ、転じて、火明命と饒速日命とが同神であるという伝で生まれるに至ったことは、天香語山命・天村雲命の子孫である氏と、物部氏とが上古に於て、相当深い関係に置かれていたものであることを裏書しているものといえ、「火明命は本来は、特筆せられねばならぬ大和国の大祖神であるが、これを、饒速日命と習合同神とし、饒速日命の降臨伝をこれに付会して、天村雲命の本来の伝を抹消すると同時に、天村雲命を祖とする大和国開発の大氏族の発祥を厳秘としたもののようである。」とする。また、天村雲命は最初、日向国に降臨し、子の天忍人命・天忍男命が生まれたのは日向国とされ、次に丹波国に降臨し、次に大和国に降臨したとも伝えられているという。

    彦火明命と天道姫ー天香語山(木国の大屋津比売) ー 高倉下


     天香語山の天降り伝承であるが、父彦火明命に従い、子の天村雲命と凡海嶋に天降った天香語山命は、そこから百八十軍神を率いて伊去奈子嶽(いさなごだけ)に至り、そこで母の天道日女命に逢う。天道日女命はここは豊受大神のまします国であるから、清地を定めて大神を斎い奉らなければならないといって、弓矢を授ける。天香語山が弓で矢を放つと、矢は加佐郡矢原(やぶ)山に落ちた。天香語山が南東に到ると荒水があり、そこに神籬を建て大神を遷し祭った。さらにそこから百八十軍神を率いて由良之水門に率いて退いたとき、父の彦火明命と再会し、神宝を授けられ速やかに国土を造り修めんと詔りがあり、余社郡久志備之浜に到ると、御祖多岐津姫命がこの地は伊射奈岐命が天降りますいと清き地であり、来るのを待っていたという。そこでさっそく天香語山は天津磐境を起てて神宝を斎い奉り、豊受大神を遷し祭ると、分霊を矢原山に祭った。ここに国が成ったが、そのとき霊泉が湧き、天村雲命が天真名井の水を汲んでそそぎ、その水をもって神饌の料(みず)とした。また、その泉を久志備(くしひ)の真名井と名づけたが、今世にいう比沼(ひぬ)の真名井に訛ったという。その後、天香語山は木国熊野に遷り大屋津比売命を娶って高倉下を生んだが、天道日女命と多岐津姫命は留まって豊受大神に斎き仕えたという。
  • 彦火明命の降臨伝承は出雲神族をめぐる伝承といえる。

    伊去奈子嶽の天降りは、大己貴神が多岐津姫命またの名神屋多底姫を娶り生んだ天道日女命、またの名屋乎止女命、またの名高光日女命を娶って天香語山を生んだことが記された後に行われており、凡海嶋への天降りは、火明命が佐手依姫命またの名市杵嶋姫命またの名息津嶋姫命またの名日子郎女神を娶って穂屋姫命を生み、天香語山が穂屋姫命を娶って天村雲命を生んだ後に行われている。

    天道日女命は大己貴の娘であり、佐手依姫命すなわち市杵嶋姫命である。

    吉田大洋『竜神よ我に来たれ!』では市杵嶋姫は宗像三女神のなかでも一人出雲神族系の竜神とされている。この彦火明命の天降り伝承は、彦火明命と出雲神族の関係を示すとともに、伊去奈子嶽が天道日女命、凡海の息津嶋が佐手依姫命と結びつく場所だったということを意味してるのではないだろうか。

    「豊受大神當國の伊去奈子嶽に降り坐しし時天道日女命等大神に五穀及桑蚕等の種を請ふ」と當國風土記に在り、というのも豊受大神が天降りした時にはすでに天道日女命が伊去奈子嶽にいたということであろう。
    天道日女命が伊去奈子嶽の最も古い神ということであり、伊去奈子嶽も凡海嶋ももともとは出雲神族と関係する場所だったわけである。そうすると、天香語山命の別名として手栗彦命(たくりひこのみこと)の他に高志神(こしのかみ)があることも気になる。

    残欠風土記の志楽郷の条に、「志楽と号くる所以は、往昔、少彦名命・大穴持命天下治しめす時、巡り覧なはす。悉く此国を巡りおえて、更に高志国に到ります之時に当り、天火明神を召して、汝命は此国を領ら知べしと詔たまふ。」とある。これをみると、丹波・丹後のもともとの統治権は出雲神族にあったということである。さらに、丹波・丹後の出雲神族は古志から来たということを永く意識しつづけていたのではないだろうか。

    東北から越を経由して丹後半島に出雲神族は来たということであり、そこからおそらく主力は出雲に、別の一派は大和・伊勢の方へ移動していったのであろう。

    日向国かどうかはわからないが海部氏も西から丹後に移動してきており、さらにそこから大和のほうへ進出していったことが、天村雲命の伝承となっているのであろう。あるいは直接大和に入った同族もあったかもしれない。この同じルートをたどって来た出雲神族と海部氏あるいはその同族が、大和そして丹波・丹後で出会ったわけであるが、両者は敵対的というよりある程度親密な関係にあり、そのことが現在真名井神社に熊野大神が復活しているということにつながっているのではないだろうか。
    出典
    http://www012.upp.so-net.ne.jp/houi/tango.htm
  • April 2016 編集されました
    高鴨神社
    「高照姫命」に関して、
    「相殿の高照姫命は大国主神の娘神で八重事代主神の妹神であります。
    一説には高照姫命は下照姫命(拠-古事記に高比売命=高照姫、別名下照姫命とある)、加夜奈留美命(拠-五郡神社記)、阿加流姫命と同一神とも云われています」
  • アメノワカヒコと結婚したシタデルヒメですが、先の御歳神社の由
     緒から、「高照姫命」と「下照姫命」とは、異名同体の関係であることが
     わかります。シタテルは「下光」とも書かれることから、タカテルは「高
     光」とも書かれます。
      「高光姫」(高光日女)と書けば、これがなんと『海部氏勘注系図』の
     「天道姫命」(あめのみちひめのみこと)の別名に当たります。すると、
     アメノワカヒコは「海部氏」の始祖、「彦火明命」に該当してきます。
  • 『鹿島神宮誌』
      その昔、星神香々背男(ホシガミノカカセオ)一族は、駿河国の富士山麓の海岸にあって、暴力で人民を悩まし、天尊系の大和民族の発展とともに北へ北へと駆遂させられ、常陸国の海岸の一隅である三日星の浜辺に専住することになった。
    鹿島神宮の祭神「武瓱槌神」は、出雲の国譲りの後、各地を平定されて国の統一をはかり、未開の東国に入って星神香々背男を討ち、国中を平定された。星神香々背男は常陸国の先住民の頭領だったのです。

    天津瓱星の荒魂を封じ込めた宿魂石の上に建葉槌(タケハツチ)神を祀る奥宮が鎮座しているのが当社です。常陸国に悪神がおり、名を天津瓱星またの名を天香々背男といい、大瓱上に陣取り東国地方の陸地はおろか海上にまで一大勢力をもっておりました。さすがの鹿島・香取の神も、この勇猛なる大勢力の前に為す術がありませんでした。
    その時、この武神である二神に代って瓱星香々背男討伐の大任を負わされたのが、当社の御祭神武葉槌命でありました以後、建羽雷神は星山に永住し、織物製紙の業を興したので諸神の崇敬を集め当社に祭られました。
      上記から、富士山周辺には星神という先住部族の首領がいたが、大王家の勢力に故地を追われ、ついには常陸国まで移動し、星神香々背男の時代には久慈郡大瓱山を拠点とする王国を立て、霞ヶ浦を海上交通の基地として北日本の制海権を握ったということのようたが、駿河国から常陸国にかけての関東地方で、星神香々背男を祀る神社があるのは当然としても、なぜか全国各地で祭神として祭られている。

    平田篤胤は、天津瓱星の神名の瓱「ミカ」を厳「いか」の意であるとし、天津瓱星は「金星」のことであるとする。また、香香背男の「カガ」は「輝く」の意で、星が輝く様子を表したものだとする意見もあるが、「カカ・ハハ・ヌカ」は蛇を意味しており、香香背「カカセ」は、山カガシ(左の写真)というように「カカシ(蛇)」であり、出雲神を象徴しているものと考える。
  • 『天香香背男を祀る神社』
    『東北地方』 秋田県1社
    『関東地方』 栃木県7社、群馬県3社、茨城県7社、千葉県5社、神奈川1社
    『中部地方』 静岡県3社、愛知県5社、岐阜県7社、
    『北陸地方』 石川県2社、
    『関西地方』 三重県4社、京都府1社、和歌山3社、
    『中国地方』 島根県9社、岡山県5社、広島県3社、
    『四国地方』 徳島県4社、香川県2社、愛媛県4社、高知県10社、
    『九州地方』 福岡県1社、熊本県1社、大分県1社、宮崎県1社、鹿児島2社
  • May 2016 編集されました
    天瓱津姫(あめのみかつひめ)
    上記の他に天香香背男(天津瓱星)の妻と思われる天瓱津姫を祀る神社がある。
    『出雲国風土記』
    出雲の郡伊農の郷に鎮座される赤衾伊農意保須美比古佐和気能 (アカフスマ イヌノ オオスミヒコ サワケ) 命の后である天瓱津比女命(アメノミケツヒメ)命が国内をご巡行になった時、ここにお着きになって「わが夫よ、伊農(イヌ)よ」と申されたのが伊農郷の由来である。
     長い名前だが、『出雲国風土記』には、次のような記述がある。
     「出雲郡の条」に、赤衾伊努意保須美比古佐倭気能 (アカフスマ イヌノ オオスミヒコ サワケ) 命は、意美豆努 (オミツヌ) 命の御子とある。八束水臣津野 (ヤツカミズオミツヌ) の別名である。
    『古事記』では、淤美豆怒(オミツヌ)神と記され、須佐之男(スサノオ)命の五世孫であり、大国主(オホクニヌシ)神の祖父だとしている。

    八束水臣津野命は、「八雲立つ出雲の国は小さい国だ。余った国を引き寄せて、大きくしよう」と言われ、志羅の辺りの四島を引き寄せられ、島根半島を造られたが、最後に「おう(意宇)、やれやれ」と安堵の声をだされ、持っていた杖を道ばたに突き休まれた。その杖から根が出て、意宇(オウ)杜になった。

     この「国引き神話」は、出雲の真の建国者は八束水臣津野命だと言っているが、なぜ「出雲大社」では赤衾伊努意保須美比古佐倭気能を祭神にしないのだろう。
      また、『出雲国風土記』伊農郷の条は、天瓱津比女(アメノミケツヒメ)は意美豆努 (八束水臣津野)の妻だとするが、楯縫郡の条に天御梶日女(アメノミカジヒメ)命は、阿遅須枳高日子(アヂスキタカヒコ)命の后(キサキ)だと記している。名前の類似が気になる。
  • 『尾張大國霊神社』(愛知県稲沢市国府宮)
    社伝によれば、神職には古くから尾張族の遠祖・天背男命の子孫が代々奉仕して来たが、後に久田氏を名乗った。

    また、『前田家系図』(金沢市立図書館加越能文庫所蔵)は、加賀藩主前田氏の虚飾された系図を整理して、神代(遠祖を天照大神とせず、意美豆努 (オミツヌ) 命とする)から説き起こし、出雲国造の野見宿禰から出たと記している。
     『日本書紀』では、天津瓱星(天香香背男)は天神の一人なのに、天孫族から悪神にされている。おそらく天津瓱星の存在を記載したくなかったのだが、無視するには存在が大きすぎたのではないか。だとすれば、『記紀』『出雲国風土記』がともに、出雲建国の主あるいは中興の祖であるはずの意美豆努命の事績には触れず名前を記しただけであることに結びつくと想像する。
     「出雲大社」で奉祭されていないのは、スサノオの出雲国を侵略したからで、大和王朝に不都合なのは、意美豆努命の御子とされる赤衾伊努意保須美比古佐倭気能命こそが悪神に貶めた天津瓱星(天香香背男)、彼の妻が天瓱津比女(阿麻乃弥加都比売)だったからではないだろうか。
  • 『新撰姓氏録』によると、天背男命は天壁立命の子、宮部造の祖。

    天壁立命とは
    『古事記』では、八百万神に先駆け、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の 造化三神の次に宇摩志阿斯訶備比古遅神が生まれ、次に生まれた天之常立神を加えて、別天神という。
    『日本書紀』の一書では、天地が分かれた時、葦の芽のように空の中に最初に生まれた神とある。

    天地の軸のような神で、『先代旧事本紀』では天之御中主神と同神とある。
  • 天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は、日本神話の神。天地開闢に関わった五柱の別天津神(ことあまつかみ)の一柱。

    『古事記』では、天地開闢の際に高天原に最初に出現した神であるとしている(『日本書紀』では国之常立神 が初めての神)。その後高御産巣日神、神産巣日神が現れ、すぐに姿を隠したとしている。この三柱の神を造化三神といい、性別のない「独神」(ひとりがみ)という。

    妙見社
    道教における天の中央の至高神(天皇大帝)信仰にある。北極星・北斗七星信仰、さらに仏教の妙見信仰(妙見菩薩・妙見さん)と習合され、熊本県の八代神社、千葉氏ゆかりの千葉神社、九戸氏ゆかりの九戸神社、埼玉県の秩父神社などは妙見信仰のつながりで天之御中主神を祀る妙見社である。妙見社は千葉県では宗教法人登録をしているものだけでも50社以上もある。全国の小祠は数知れない
  • 秩父神社社記および『風土記稿』によれば、天慶年間(938年-947年)、平将門と常陸大掾・鎮守府将軍平国香が戦った上野国染谷川の合戦で、国香に加勢した平良文は同国群馬郡花園村に鎮まる妙見菩薩の加護を得て、将門の軍勢を打ち破ることができた。以来良文は妙見菩薩を厚く信仰し、後年秩父に居を構えた際、花園村から妙見社を勧請した。これが秩父の妙見社の創成である。

    その後良文は下総国に居を移した。下総での子孫が建立した千葉神社の祭神も妙見菩薩である。秩父に土着した子孫は秩父平氏と呼ばれる武士団を形成した。

    鎌倉時代に社殿が落雷により焼失し、再建する際に神社北東に祭られていた妙見菩薩を合祀し、秩父三十四箇所の旧15番札所・母巣山蔵福寺(現在は廃寺)が別当寺的な存在で当社を管理した。以降神仏分離まで「妙見宮」として栄え、延喜式に記載の本来の「秩父神社」の名称より「秩父大宮妙見宮」の名称の方が有名となった。

    江戸時代の絵図では、境内の中央に妙見社があり、その社殿を取り囲むように天照大神宮・豊受大神宮・神宮司社(知知夫彦と記す絵図もある)・日御碕神社の4祠が配されている。神宮司社は式内社である秩父神社の衰微した姿であるといわれており、江戸中期の儒者である斉藤鶴磯は「武蔵野話」の中で、この神宮司社について「この神祇は地主にして妙見宮は地借なるべし。(中略)妙見宮は大祠にして秩父神祠は小祠なり。諺にいへる借家を貸しておもやをとらるるのたぐひにて、いづれ寺院神祇には、えてある事なり」と評している。
  • 天羽槌雄神
    別名 天羽雷命:あまのはずちのみこと 建葉槌命:たけはずちのみこと 倭文神:しずりのかみ
    ……
    『古語拾遺』に、天照大御神が天岩屋に隠された際、 大神に献上する文布(しず)を織った神で、倭文氏の祖神。 ちなみに倭文宿禰の祖は神魂命、倭文連の祖は神魂命の子・角凝魂命。
    天棚機姫神と共に機織の神として祀られる。
    神綺日安命の別名とする説
  • January 2017 編集されました
    天志良波(あめのしらは)神社由緒:
     御祭神、天白羽命は天照大神天岩戸にかくれましゝ時、天太玉命に属し、麻で青和幣を作り、父神 天日鷲命は白和幣を作られた。弟神健葉槌命と共に麻を植え織物をされた。白羽は衣服の ことである。
    一説に延暦14年坂上田村麿将軍東征の時、創建すと云ふも詳かでない。
    天志良波神、又長白羽神(古語拾遺)
    貞観8年5月27日正六位上天志良波神従五位下、同 16年12月29日従五位上の神階(三代実録)式内小社久慈郡七座の一、天文13年1 2月11日佐竹義篤社殿修営遷宮式あり。(棟札)元禄中水戸藩徳川光圀公の命で大聖院の社務をやめ神職の奉仕とす。享保12年9月徳川実公社殿の営修あり、神宝を献じ圭 田2石6斗3升7合を納る。天保15年斎昭の命により白羽、田渡、西宮、三才、小沢五 ヶ村の鎮守となる。
     明治4年4月1日郷社に列格、同6年4月村社となる。同44年6月12日(第300 号)供進指定。昭和27年6月16日宗教法人設立。

    天日鷲神 (アメノヒワシノカミ)
    日本神話に登場する神。『日本書紀』 や 『古語拾遺』 に登場する神。
    阿波国を開拓し、穀麻を植えて紡績の業を創始した阿波の忌部(いんべ)氏の祖神。

    別名は、高魂命または神魂命の裔神の 天日鷲翔矢命(アメノヒワシカケルヤノミコト) や 天加奈止美命 (アメノカナトミノミコト)。

    天照大神が天岩戸に入られたとき、岩戸の前で神々の踊りが始まり、この神(天日鷲神)が弦楽器を奏でると、弦の先に鷲が止まった。多くの神々が、これは世の中を明るくする吉祥を表す鳥といって喜ばれ、この神の名として鷲の字を加えて、天日鷲命とされた。という内容である。

    『日本書紀』では天の岩戸の一書に「粟の国の忌部の遠祖 天日鷲命の作る木綿(ゆふ)を用い」とある。

    『古語拾遺』によると、天日鷲神は太玉命 に従う四柱の神のうちの1柱である。
    やはり、天照大神が天岩戸に隠れた際に、穀(カジノキ:楮の一種)・木綿などを植えて白和幣(しろにきて)を作ったとされる。そのため、天日鷲神は「麻植(おえ)の神」とも呼ばれ、紡績業・製紙業の神となる。

    木綿(ゆふ)は今のもめんではなく、穀、楮の繊維を蒸して水にさらし、細かく裂いて糸にしたもの。
    和幣(にぎて)は神(を鎮めるため)に捧げられる麻布や絹布、もしくは織る前の麻や絹、カジノキなどの樹皮からとった繊維のことです。白和幣に対して、麻の緑色のままの繊維は青和幣と呼ぶようです。

    また天日鷲神は一般にお酉(とり)様として知られ、豊漁、商工業繁栄、開運、開拓、殖産の守護神として信仰されている。
    忌部神社や鷲神社などに祀られている。
    忌部一族は太平洋岸を東に進み、所々に開拓の足跡を残しながら千葉(安房)に上陸。さらに関東平野を北上したようで、埼玉や栃木周辺の多くの神社で祀られています。

    安房神社(千葉県館山市;式内社で名神大社;安房国一宮)についてのWikipedia には:
    『古語遺』によれば、神武天皇元年(皇紀元年、紀元前660年)に神武天皇の命を受けた天富命が肥沃な土地を求めて阿波国へ上陸し、開拓したとされる。その後、さらに肥沃な土地を求めて阿波忌部氏の一部を率い房総半島に上陸、その周辺を安房郡と名附けて天太玉命を祀る社を創建した。


    三木家ご本家の三木信夫氏が、2005年に 林 博章先生と関東の忌部族の足跡をたどられて、その記録を 阿波古事記研究会に残す
    「阿波忌部の関東開拓の足跡を辿るツアー紀行」 三木信夫
    http://park17.wakwak.com/~happyend/namiawa/anonamikaze/awa13/a13_03.html

    その要点を箇条書きにすると:

    千葉県成田市台方の式内社「麻賀多神社」は麻が社紋。

    印旛(いんば)郡栄町の 大鷲神社 天乃日鷲尊を祀り、社殿天井に「金の鷲」が取り付けられている。社伝によると「天乃日鷲尊はその子孫代々麻植の神として神功があり,麻に係りのある当地においても祭神となっております」という。

    『安房志』によると「天日鷲尊の神霊が,天下に異変がある時は,金色の鷲となって現れるので,その霊験を畏敬して小鷹の神と称した」とあり、印旛沼の由来は「忌部沼」が訛ったもの。

    勝浦市浜勝浦の 遠見岬神社 の宮司歴代の墓碑には「勝占忌部」と書かれている、阿波忌部の後裔。

    安房郡白浜町の式内社 下立松原神社 の由緒には 「天富命が天日鷲命の孫由布津主命,その他の神々と当地方開拓に上陸し,のち由布津主命が祖神の天日鷲命を祀った社」 と記されている。

    館山市相浜にある 楫取(かんどり)神社 の祭神は 宇豆彦命(ウズヒコノミコト)で天富命に従ってこの地に渡り,漁業を主として指導したといわれる。
    この楫取名は徳島県の吉野川で使用された川舟である楫取舟と関係すると思われる。

    阿波忌部が上陸した地・館山市布良の 布良崎神社 (祭神:天富命)周辺に「神余」(かなまる)という地名があり,これは安房神社に奉仕する忌部神戸が増えてあふれた人達が新しく開拓したことに由来する。「安房神戸(あわかんべ)」という地名もある。

    館山市大神宮の式内大社 安房神社 は天富命が祖父・天太玉命を祀った神社。
    宮司の安房忌部系図には,天富命の娘の飯長媛(イイナガヒメ)と天日鷲命の孫である由布津主命(ユフツヌシノミコト)とが結婚して,堅田主命(訶多多主命)を生んで安房忌部の祖としている。
    神社境内には「忌部塚」と呼ばれる弥生以前の洞窟遺跡もあり,阿波忌部の先遣隊の塚かもしれない。

    茨城県新治(にいはり)郡新治村の 鷲神社 は社殿が平成7年に焼失したが氏子の寄付により平成11年に社殿を復興。ご神体に徳島の忌部神社から分祀を依頼。鷲神社再建竣工記念碑には「本宮四国徳島市忌部神社」とある。

    結城(ゆうき)市小森の 大桑神社 の社伝には「古代,東国に養蚕・織物を伝えたとされる阿波斎部が,稚産霊尊(ワカムスビノミコト)を祭神として,北方の大水河原に創建,この辺り一帯を大桑郷と名付けた」とある。

    ◇栃木県小山市栗宮の式内社 安房神社 の祭神は天太玉命。
    ◇小山市萓橋の 日鷲神社 の祭神は天日鷲命。
    ◇下都賀郡石橋町橋本の 鷲宮神社 は天日鷲命。
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