巴形銅器

December 2018 編集されました カテゴリ: 出土品/交易
image巴形銅器

日本列島で今までに出土した筒形銅器の数は71本で、朝鮮半島での出土例はかっては数個だった。しかも、巴形銅器、碧…

Read the full story here


コメント

  • 愛知県西春日井郡清洲町朝日地内の朝日遺跡

    巴形銅器分類での「5脚左捩半球形座巴形銅器」(ごきゃくひだりねじりはんきゅうけいざともえがたどうき)
    大きさは、巴径(ともえけい)5.6cm、座径(ざけい)3.0cm、高さ1.1cm。
    5脚の左捩(ひだりねじり)で、内側にも外側にも文様はありません。表面は全体によく磨かれており(使用した痕跡)、光沢を持っています。内面には棒状鈕(ぼうじょうちゅう)とよばれる橋状のものがあります。また内側の面の全体にはベンガラという赤色顔料が見られます。植物繊維などの付着はありませんでした

    今回の朝日遺跡出土の物のように、半球形座で橋状鈕(きょうじょうちゅう)のは、現状では大阪湾より東にしか出土していません

  • 巴形銅器

    神奈川県平塚市真土 大塚山古墳出土 古墳時代・4世紀

    大阪府和泉市 黄金塚古墳出土 古墳時代・4〜5世紀

    奈良県河合町 佐味田宝塚古墳出土 古墳時代・4〜5世紀

    東大寺山古墳出土品 奈良県天理市檪本町

    庫県加古川市行者塚古墳

    石岡市大字染谷の宮平遺跡

    東宮裾遺跡甕棺墓
     東宮裾遺跡は杵島平野の西奥、武雄市北方町の谷水田に位置する
    巴形銅器数点、貨泉と推定される銅銭5〜8枚、碧玉製管玉。鉄剣(銅剣か?)が出土したと伝えられる。現存するのは巴形銅器3点のみである。その後この付近が再発掘され、この甕棺墓が弥生時代後期前半に属することが判明し、碧玉製管玉11点が出土した。また他の甕棺墓から碧玉製管玉2点が出土した。
     現存する巴形銅器は、いずれも他に類例をみない特異な形である。2点は六脚のヒトデ形で中央の座の部分が扁平になり、他の1点は右回りの五脚で平板座である。

    平生町は本州の最西端、山口県の東南部に位置
    平生町佐賀の白鳥古墳は5世紀に作られた、全長120mの山口県最大の古墳です。

    白鳥古墳は全長120m、前方部幅62m、後円部直径64m、高さ8mの前方後円墳で、平生町佐賀の海にのびた舌状丘陵の上にあります。
    江戸時代色鳥神社の社殿建築のさい、後円部の堅穴式石室から、鏡、玉や鉄斧などの鉄製品、巴形銅器などが掘り出されました。
  • 銅器

    朝鮮半島の出土数が68本に達し、発掘が進めばこの数はさらに増えそうだ。
    つまり、出土数において日本列島をやがて追い抜く。日本列島では畿内およびその周辺を出土地域の中心とするが、範囲は埼玉県から熊本県まで散在している。しかし、半島では出土地域が南東部地域にある大成洞、良洞里、および福泉洞古墳群に集中している。これらの古墳群がある場所は、かって金官伽耶国があった地域だ。
  • 鳥取県 湯梨浜町の長瀬高浜遺跡

    山口市赤妻古墳
     1908(明治41)年に発見された刳抜式舟形石棺には多量の副葬品が収められていました。棺内からは内行花文鏡、位至三公鏡、捩文(ねじもん)鏡など青銅鏡のほか、巴形銅器2、銅矛1、鉄剣2、刀子1、鉄針20以上、竪櫛26以上、勾玉12、臼玉41、瑪瑙玉360、管玉、切子玉、ガラス小玉などが出土しました。

    肥前唐津桜馬場遺跡出土品 昭和19年、防空壕掘削の際に弥生時代後期の甕棺墓より出土した一括資料。中国製の方格規矩鏡2面、国産の巴形銅器3点、有鉤銅剣釧26点などからなり、重要文化財に指定されている
  • 白鳥古墳 しらとりこふん:平生町佐賀の白鳥古墳は5世紀に造られた、全長120mの山口県最大の古墳
     白鳥古墳は全長120m、前方部幅62m、後円部直径64m,高さ8mの前方後円墳で、平生町佐賀の海に延びた舌状丘陵の上にあります。江戸時代白鳥神社の社殿建築の際、復円部の竪穴式石室から、鏡、玉や鉄斧などの鉄製品、巴形銅器などが掘り出されました。
  • 東宮裾遺跡

    佐賀県の武雄市北方町

    東宮裾遺跡からは、銅剣、巴形銅器、星形銅器、管玉
    貨泉、碧玉、素環頭刃子など、弥生時代中期から後期
    の遺跡が数多く出土していることから、小国の首相級の
    墓といわれています。

    桜馬場(さくらのばば)遺跡(唐津市)
    弥生時代後期初めの甕棺墓。
    後漢の流雲文縁方格規矩四神鏡、素縁方格規矩渦文鏡、有鉤銅釧二六、巴形銅器三、鉄刀片、ガラス製小玉が出土。

    方保田東原遺跡(かとうだひがしばるいせき)…弥生時代後期から古墳時代前期にかけて長期間存続した集落跡です。また、墓地あとも見つかっています。巴形銅器(ともえがたどうき)などの貴重な遺物がみつかっています。
  • 古市古墳群のなかで最北端:津堂城山古墳(藤井寺陵墓参考地・史跡)
    墳丘は全長208メートル、前方部幅121メートル、高さ12.7メートル、後円部径128メートル、高さ16.9メートル。幅30メートルと25メートルの二重の周濠と幅30メートルの中提、幅20メートルの外提がめぐり、総全長は400メートルを超す。
    石棺の内外から、前期から中期への過渡期にあたるとみられる多くの副葬品が出土した。8面以上の鏡、鍬形石、車輪石、巴形銅器とともに、中期の刀子形、剣形、勾玉などの滑石製模造品と三角板革綴単甲である。
    被葬者
    古市古墳群では最初に築かれた前方後円墳とされ、巨大な石棺と豊富な遺物から、1909年の発掘当初は「志貴皇子」とする古老の伝が紹介されているが、藤井寺市教育委員会の天野末喜さんは、大王墓に含めている。
  • 平塚市
    真土大塚山古墳跡

    三角縁四神二獣鏡、変形四獣鏡、巴形銅器、銅鏃、鉄剣、鉄斧、鉄刀、鑓鉋、玉類、土器、人骨などが出土しました
    、「三角縁四神二獣鏡」は非常に貴重な出土品であり、日本国内でも、一部の地域しか出土が確認されていません。 (平塚で出土したものは、上野 東京国立博物館に保管されています

    最近の研究では4世紀後半に築造され、サガミの国の中にあっては最古の古墳と考えられています。
    三角縁四神四獣鏡(径22.1cm)には「陳是作鏡甚大好、上有王父母、左倉龍右白虎、宜遠道相保」と24文字の吉祥句の言葉が刻まれています。
    平塚にきた最初の文字??
    これと同じ鏡が京都府の椿井大塚山古墳から1面、岡山県の備前車塚古墳から2面、兵庫県の権現山51号墳から1面の4枚が確認されています
  • 丸隈山古墳:福岡市西区周船寺

    古墳は高祖山から北に延びる丘陵の最先端、標高23mの場所に位置する前方後円墳です。古墳の発見は江戸時代の初め(約350年前)にさかのぼり、「筑前国続風土記」(貝原益軒著)に記録が残されています。それによると銅鏡3枚、刀、鉄鏃などか出土しています。その他に巴形銅器、剣、勾玉、管玉なども出土しています。
    古墳の全長は84.6m、後円部の直径60m、前方部の長さ25mで、前方部を北に向けています。墳丘はほとんどが自然の地形を削り出して3段に造られており、斜面には葺石が施され、埴輪もて立てられていました
  • July 2016 編集されました
    古墳時代の謎の青銅製品:筒形銅器~

    平成28年1月5日から常設展で城陽市尼塚古墳出土の筒形銅器を展示しています。筒形銅器は4世紀後半~5世紀の古墳から出土する銅製品です。
    京都府内での出土例は5例しかなく、全国的にも貴重な資料です。

    巴形銅器とスイジ貝
        一般的には4本脚の形を指すらしいが、これは4世紀になってから見られるのであって、似たようなものとして、弥生時代後期(2世紀末)からスイジ貝を模したと思われる形器が出土しているらしい。脚は6~8本とばらつきがあるという(p 221)。貝そのものは法螺貝よりは中央が丸くて生物学的には脚は6本。それが時代とともに装飾性が加味されて脚の数が増えたり、中央のとんがりが階段状になったりした挙句に突起はより明瞭になって脚は4本に収束したのが4世紀後半(東大寺山古墳など)。
      もっとも辞書では「スイジ・水字・数象徴6」を充てるとある。
        材料の観点から考えると弥生時代から石によって作られてきた祭祀器や儀式器を青銅で置き換えてきたと考える。それゆえに古墳時代にはいって再び石器が納められうようになったのではないか。
  • 巴型銅器は九州から西国地方にかけて多く見られるが、宮平遺跡(茨城県)でも発掘された。

    主な発掘場所 吉野ヶ里遺跡、香川県さぬき市森広遺跡、福岡県春日市九州筑紫地区遺跡群

    その巴形銅器は木の盾に装着された形で出土しているので、その集落のマークにされていたと判断されている。



    スイジガイは西太平洋とインド洋の熱帯域に広く分布する。日本では紀伊半島以南の沿岸域で見られる。

    南方系の貝である。

    という事は巴形銅器は南方系の部族のマークということである。

    そして中国大陸や朝鮮半島の部族や集団とは関係ないという事になる。
  • 四国新聞(08/04/18)
    Photo_8さぬき市の森広遺跡で明治時代に出土した巴形[ともえがた]銅器3点が、福岡県春日市の九州大筑紫地区遺跡群で1998年に出土した弥生時代後期(2世紀)の石製の鋳型で鋳造されていたことが分かり、九州大埋蔵文化財調査室が17日、発表した。
    同調査室によると、弥生時代の青銅器で鋳型と製品が一致した例は、銅鐸[どうたく]以外では初めて。祭祀[さいし]などに使われたと考えられる青銅器が、九州から四国へ運ばれていたことを示す物証といえる。同調査室の田尻義了学術研究員は「弥生時代の政治状況や経済交流が垣間見える貴重な発見だ」と話している。
    また、青銅器は同じ鋳型で何回も鋳造されたとこれまでも推定されていたが、3点の巴形銅器が鋳型と一致したことで、複数回の鋳造が現物資料によって裏付けられた。
    さぬき市教委によると、森広遺跡では弥生時代に属する巴形銅器が計8点出土。現在は、すべて東京国立博物館が所蔵しており、同市の寒川町図書館にレプリカを展示しているという。巴形銅器は、脚が7本で、脚を含めた直径が約12センチ。九州大所蔵の鋳型は銅器全体の約4分の1の破片だが、田尻学術研究員が1月、東京国立博物館所蔵の銅器と重ねたところ、脚の形や相互間の寸法、裏面の文様がすべて一致したという。
  • May 2018 編集されました
    明治44年(1911)5月、県立石田高校から南約500mの森広天神社境内東側を開墾作業中、地下約30㎝の深さから巴形銅器8点が一括して発見された。
    他に遺物を伴なわなかったようで、巴形銅器のみを一括して埋納した状況であることがうかがえる。

    形態は、すべて7脚だが、頂部の径が大きく器高の低いもの3例と、頂部の径が小さく器高の高いもの5例にわけられた。
    このての銅器には7脚前後のものと、4脚のものと2種類あるが、弥生時代のものは7脚である。

    銅器の用途、使用方法は魔除け的な柔呪術性を帯びた器物であったと考えられている。
    弥生時代に属するものは全国で22例しか発見されていない珍しい器物である。

    これらは、現在すべて東京国立博物館に所蔵されているが、さぬき市歴史民俗資料館でも、巴形銅器の複製品が展示されており、常時見ることができる。

    さぬき市の森広遺跡で明治時代に出土したこの巴形銅器の3点は、福岡県春日市の九州大筑紫地区遺跡群で1998年に出土した弥生時代後期(2世紀)の石製の鋳型で鋳造されたものであると、九州大埋蔵文化財研究室は平成20年4月17日発表した。
    鋳型を東京国立博物館所蔵の銅器と重ねたところ脚の形や相互間の寸法、裏面の文様がすべて一致したという。九州の巴形銅器が四国に渡り流通していたことになり、誠に興味深い発見といえる。


    大規模な墳丘をもつ墓は支配者の墓と推測されますが、竪穴式石室を設けたもの(奥10号墓,奥11号墓)や前方後円墳の墳丘になっているもの(森広遺跡・尾崎西遺跡)、古墳の葺石のように墳丘斜面に石材を使用しているもの(尾崎西遺跡、陵遺跡)などがあり、次の古墳時代の古墳へと発展していく要素をすでに弥生墓のなかに見ることができます。
    森広遺跡(寒川町)の円形周溝墓には前方後円墳の様な突出がみられます。
    奥10号墓に供納された土器
    奥10号・11号の竪穴式石室上面の集石や埋土中からはお供えされた土器が発見されています。
    高坏や細頸壺が多く見られ、集落遺跡では見られない口縁部を二重に持つ特殊な細頸壺も見られます。
コメントするにはサインインまたは登録して下さい。