檀石槐、後漢、

December 2018 編集されました カテゴリ: 古代史書
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檀石槐(呉音:だんじゃくえ、漢音:たんせきかい、拼音:Tánshíhuái、生没年不詳)は、後漢末期の鮮卑族の…

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コメント


  •  中国の「隋書」新羅伝が「新羅は古くは百済に付随していた。高句麗が百済をしばしば襲うようになって、その軍務に招集される高句麗人は、その重役に耐えかねて、多くが新羅に逃れた。その結果、新羅は、高句麗人の力を得て、ついには強い勢力を持つようになった。それで百済を襲い、加羅国を付随させるようになった」と書いている。

     「梁書」新羅伝には「新羅の国は小さく、中国に使者を出すほどの力はない。普通二年(西暦521年)王の募ぼ名を秦しんという者が始めて使いを出した。使いは百済に付き従ってやって来て諸物を貢いだ」とある。
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