北史 新羅伝 « 古代史&フォーラム by tokyoblog

December 2018 編集されました カテゴリ: 古代史書
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新羅とは、その先は元の辰韓の苗裔なり。領地は高麗の東南に在り、前漢時代の楽浪郡の故地に居を置く。辰韓または秦韓ともいう。相伝では、秦時代に苦役を避けて到来した逃亡者であり、馬韓が東界を割譲し、ここに秦人を居住させた故に名を秦韓と言う。

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コメント

  • 好太王の碑が建立されたという四百年代、「百残」は既に死語となり、中国側の 文献にも一つの国家として『百済傅』として伝えられている。又、「新羅」とい う国号は、この建立の世紀には未だ現れて来ていない。 「新羅」という国号が、対外的にも認められ、『新羅傅』として記載される様 になるのは6世紀頃からであり、四百年代成立の文献記録中には「斯羅」、或い は、「斯盧」であり、それも旧弁辰の一属邦的存在として出てくるのみである
  • 四百年代初頭 の「高句麗」は、丸都山城時代であり、鴨緑江流域から北鮮の大同江流域周辺は、 未だ「百済」の占拠する所となっていたはずである。碑の建てられた地区を奪還 し、「平壤城」に遷都するのは次の第20代長寿王・璉の時代に入ってからであ る。すなわち、西暦427年に至ってからである。
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