和邇、丹生、赤坂彦 « 古代史&フォーラム by tokyoblog

December 2018 編集されました カテゴリ: 古代氏族
和邇、丹生、赤坂彦 « 古代史&フォーラム by tokyoblog

和邇氏から分かれた族として春日・小野・柿本・大宅・栗田などの諸氏の名が あり、その本拠は奈良盆地の東北、山の辺の道の天理市和邇と考えられます。

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  • 大和國添上郡 和尓坐赤坂比古神社 大 月次新嘗
    御祭神 阿田賀田須命 市杵嶋比賣命
    境内式内社 大和國添上郡 和尓下神社二座
    春日社および八幡社

    式内社・和尓坐赤坂比古神社に比定されている古社。神亀元年(724以前から神戸が与えられたという
    添上郡屈指の大社であり、三代実録にも「従五位下和爾赤坂彦神」と記載され、延喜の制においても、大社に指定されている神社。

    『日本書紀』の神武天皇即位前年の箇所に「和珥の坂下に居勢の祝(はふり)という者がいる」とある
    崇神天皇十年に武埴安彦の謀反を討つために大彦命が派遣され「和珥の坂に到着した」とある。
    さらに大彦命と和珥氏の祖・彦国葺が派遣され忌瓮(神祭りに用いる酒などを入れる容器)を
    和珥の武鐰(すき)坂の上に据え、精兵を率いて奈良山に登って戦ったとある、和珥の坂、和珥の武鐰坂は、当社の赤坂のことらしい。
    「和尓坐赤坂比古神社」とは和爾に鎮座する、和珥の坂の男神を祀る社ということだろうか。

    当社は横穴式古墳の上に鎮座しているとも伝えられている。また、当初は和爾氏の同族・小野氏の氏寺である願興寺(廃寺、当社の東数百mに寺跡)の近くにあったとも伝えられている。

    『式内社の研究』において、志賀剛氏は、当社境内の春日社および八幡社が式内社・和尓下神社二座であるとする。つまり和邇地区を上下に分けた、上和邇に当社・和爾坐赤阪比古神社があり、下和邇に和尓下神社二座が存在したと考え、下和邇の西部、谷脇寺付近にあった春日社と、下和邇の東部、太子堂付近にあった八幡社がそれに相当するらしい。この二社は大正八年、当社境内に移築されたという。
  • October 2018 編集されました
    阿田須命の名は記紀には見えないが、先代旧事本紀(地祇本紀・9世紀前半)に
      「(素盞鳴尊の)八世孫 阿田賀田須命 和迩君等の祖」
    とあり、新撰姓氏録(815)には
      「大和国神別(地祇) 和仁古 大国主六世孫阿太賀田須命之後也」
    とある(両資料間で世代が一代違っている)。

     これからみると、和爾氏は阿田賀田須命を祖とする出雲系氏族で、その一族に和仁古(ワニコ)氏があったとなるが、管見した和爾氏系譜に和仁古氏の名はみえず詳細不詳(九州肥後国に進出した和邇氏が和仁古氏を称したという-ネット資料・九州の人々)。

     なお、姓氏録の河内国神別(地祇)・宗形君の項に、「大国主命六世孫吾田片隅命之後也」とあり、この吾田片隅命を阿田賀田須命と同一人物とする資料は多い(オオクニヌシ6世の孫という系譜、読みの一致からか)。とすれば、和爾氏(和仁古氏)と宗形氏とは同族となり、和爾氏は宗形氏と同じ海人族出身とする説があるのは、是によるものであろう。
  • 孝昭天皇の二人の皇子の兄が天押帯日子命(古事記)、天足彦国押人命

    古事記に、春日臣・大宅臣・粟田臣・小野臣・柿本臣・壱比韋臣・・・(和爾16氏)の祖なり
    書紀 に和珥臣らの先祖

    新撰姓氏録に
      ・左京皇別  大春日朝臣 孝昭天皇皇子天帯(足)彦国押人命より出ず
      ・右京皇別  和迩部  天足彦国押人命三世孫彦国葺命の後也
      ・大和国皇別  柿本朝臣 大春日朝臣同祖 天足彦国押人命の後也
  • 播磨国風土記逸文の「爾保都(にほつ)比売(丹生都比売)」が大国主の子供であるとの記載(丹生都比売と丹津日子は丹=水銀朱の採掘・生産を支配した一族であり、銅や鉄の採掘・生産にも関わっていた可能性がある)
  • 古代ヤマト朝廷時代には、奈良盆地西部の葛城氏に対して盆地東北方で大きな勢力を張っていたというが、政治的な動きとしては、崇神紀10年条(武埴安彦反乱)に
      「大彦命と和珥氏の先祖・彦国葺を山背に遣わして埴安彦を討たせた。・・・」
    とあるのみで、それよりも歴代天皇の外戚という色彩が強く、書紀によれば、開化・応神・反正・雄略・仁賢・継体など6人の天皇に妃を出したとある。
     これらからみると、和爾一族の盛期は4世紀から5世紀にかけてと思われ(その後は春日氏など幾つかの氏族に別れている)、遅くとも5世紀後半頃には、当社の前身となる祭祀施設(神社の形態があったかどうかは不明)があったのではないかと思われる
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