海東諸国紀と古代逸年号 « 古代史&フォーラム by tokyoblog

December 2018 編集されました カテゴリ: 古代史書
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李朝第九代成宗(在位1469年~1494年)の朝廷の高官「申叔舟シン・スクチュ」が作成した『海東諸国紀』。

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コメント

  • 百済年号はあったか?
    何故新羅は新羅年号を無くしたか?
  • 百済王も年号を持ち、「帝」を自称していた痕跡。 百済王漂着伝承を持つ宮崎県南郷村の神門(みかど)神社に伝わる綾布墨書に「帝皇」という表記があり、これが7世紀末の百済王のことらしいのです。「明雲 廿六年」「白雲元年」という年号表記もあり、百済王が「帝皇」を名乗り、年号を持っていた痕跡を示しています。
  • 金石文でも「建興五年歳在丙辰」(536年あるいは569年とされる)の銘を持つ金銅釈迦如来像光背銘が知られている。
    百済王が「帝」を自称した可能性も高く、百済人祢軍墓誌の「僭帝」が百済王とする可能性を完全に排除できない
  • 九州王朝の多利思北弧は天子を自称していますから、唐の大義名分から見て倭王は「僭帝」であるので、この可能性が高いが断言できない。
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