魏志倭人伝、伊支馬

April 2015 編集されました カテゴリ: 一般/歴史書

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魏志倭人伝によると,邪馬台国は,女王の都する所で,官に伊支馬(いきま),弥馬升(みましよう),弥馬獲支(みまか…

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コメント

  • 韓伝

    国に鉄を出す。韓・穢*・倭。皆従ひて之を取る。諸市買、皆鉄を用う。中国に銭を用うるが如し。又以 て二郡に供給す。(韓伝)

    問題は、最後の一句だ。韓地、それも、ここは辰韓についてのべている個所であるから、その辰韓の地に鉄を出し、その鉄が楽浪・帯方の二郡に供給されている
  • 倭人伝
     女王国より以北には、特に一大率という役職を置いて諸国を検察させている。諸国はこの一大率を畏(おそ)れ憚(はばか)っている。伊都(いと)国に常駐している。その様子は、まるで中国の地方長官・刺史(しし)のようである。


    「継体(けいたい)紀」
     23年条・百済からの使い―-恩率(おんそち)彌騰利(みどり)

    「欽明(きんめい)紀」
     2年条・百済からの使い――前部(ぜんほう)奈率(なそち)鼻利莫古(びりま
                  くこ)
     4年条・百済の臣―――――徳率(とくそち)東城道天(とうじょうどうてん)
     8年条・百済からの使い――中部(ちゅうほう)杆率(かんそち)掠葉礼(けい
                  しょうらい)
     13年条・百済からの使い―-西部姫氏(せいほうきし)達率(だちそち)怒利
                  斯致契(ぬりしちけい)

    「推古(すいこ)紀」
     31年条・任那からの使い―-達率(だちそち)奈末遅(なまち)

              ㈱岩波書店発行「日本古典文学大系新装版 日本書紀」より
  • 『旧唐書』倭国・日本国伝

     倭國者、古倭奴國也。去京師一萬四千里、在新羅東南大海中、依山島而居。東西五月行、南北三月行。世與中國通。其國、居無城郭、以木為柵、以草為屋。四面小島五十餘國、皆附屬焉。其王姓阿毎氏、置一大率、檢察諸國、皆畏附之。設官有十二等。

     倭国とは、古の倭奴国なり。京師から一万四千里、新羅の東南の大海中に在り、山島に依って暮らす。東西に五カ月の行程、南北に三カ月の行程。代々中国と通じている。
     その国、居住地に城郭がなく、木を以て柵とし、草を以て屋根とする。四面の小島、五十余国、皆、これに附属している。その王姓は阿毎氏、一大率を置き、諸国を検察させ、皆はこれを畏怖している。官には十二等級を設けてい
  • 日本側の記録では「続日本紀」文武天皇704慶雲元年7月1日条に、
    「正四位下の粟あわ田た朝あ臣そん真ま人ひとが、唐から帰った。初め唐に着いた時、人がやってきて『何処からの使人か』と尋ねた。そこで『日本国の使者である』と答えた」とあります。ここでの原文は「答曰、日本国使」です。
    現在の一般定説では、この粟あわ田た朝あ臣そん真ま人ひとが初めての日本国宣言の使者であると断定しています。この浜辺で会った人に「日本国使」と伝え、逆に唐国名が周に改まったと教えられます。この事さえ粟田真人は知らなかったようです。続日本紀の記録によれば、この粟田朝臣真人は民みん部ぶ尚しょう書しょ(民政担当大臣)で701大宝元年に遣唐使に任命され、翌年筑紫を出発、704慶雲元年に帰朝しています。

    以上、旧唐書は「新訂 旧唐書倭国日本伝 石原道博訳 岩波文庫」から引用しました。
    以下、新唐書は「東アジア民族史2正史東夷伝」井上秀雄他訳注 平凡社」を使用しますが、何故、岩波版には新唐書がないのでしょう。

    旧唐書日本の書き出し「日本国は倭国の別種なり」は、誰かの発言記事を引用した文章です。703長安3年(大宝3年)粟田朝臣真人の遣使記事の前に書かれているので、その前に唐を訪れた日本国使を名乗る誰かがいたのではないでしょうか。
    旧唐書によれば、「日本」宣言は648貞観22年(孝徳大化4年)と703長安3年(大宝3年)の55年の間に遣唐使がいた、もしくは遣唐使と中国側が認めない「日本」を名乗るもの達がいたといえます。
  • 中国ではこの日本を称する遣唐使があまりに大げさなので、当初信じなかったようです。文書ではなく口頭での会話ですから、話が曖昧で大きくなったのも当然かもしれません。
    これが誰かはわかっています。

    【日本書紀 天智紀】
    669天智8年「この年、小錦中河内直鯨らを大唐に遣わした。」

    河かわ内ちの直あたいは百済渡来系氏族で、名は河かわ内ち国、地名に基づいています。後に天武天皇は、河内直あたい姓を河内連むらじ姓へ昇進させています。河内寺創建は、この河内直一族の興隆期にあたります。鯨くじらがいつ日本に帰国したのか書かれていません。帰る予定となる次の遣唐使は702大宝2年と33年後になってしまうからです。旧祖国百済はもうありません。そのまま唐で没した可能性が出てきます。唐に居続けた彼は、職務からも「日本」を宣伝し続けていたかもしれません。だからいろいろな日本の姿がだんだんと拡大され語られたのでしょう。「日本」のために職務を全うした、河かわ内ちの直あたい鯨くじらだと思います。
  • 元・韓国国民大学学長 李 鐘恒(イ チョンハン)氏は『古代韓国と倭の豪族』の中で次の如く謂(い)う。

    「 倭といえば、すぐそれは日本列島内の住民で、大和政権下にある人達であると考えるのが常識になっている。この常識は新羅(しんら)の統一以後は正しい。
    然(しか)し、紀元前後から六世紀中頃までは、この常識は通じないばかりでなく間違いである。

    倭人は韓半島の南部、即(すなわ)ち慶尚南道(けいしょうなんどう)の海岸地帯から、全羅南北道(ぜんらなんぽくどう)の広範な地域にわたって住んでいた在地原住民である。
  • 考古学者の森浩一氏は、その著『古代史の窓』(新潮文庫、1998年刊)のなかでのべている。
    「ヤマタイ国奈良説をとなえる人が知らぬ顔をしている問題がある。(中略)。
    布目氏[布目順郎(ぬのめじゅんろう)、京都工芸繊維大学名誉教授)の名著に『絹の東伝』(小学館、1988年刊)がある。目次をみると、『絹を出した遺跡の分布から邪馬台国の所在等を探る』の項目がある。簡単に言えば、弥生時代にかぎると、絹の出土しているのは福岡、佐賀、長崎の三県に集中し、前方後円墳の時代、つまり四世紀とそれ以降になると奈良や京都にも出土しはじめる事実を東伝と表現された。布目氏の結論はいうまでもなかろう。倭人伝の絹の記事に対応できるのは、北部九州であり、ヤマタイ国もそのなかに求めるべきだということである。この事実は論破しにくいので、つい知らぬ顔になるのだろう。」

    朝日新聞社の柏原精一(かしわばらせいいち)氏もその著『図説・邪馬台国物産帳』(河出書房新社、1993年刊)のなかで。布目順郎氏の研究などを紹介したうえで、つぎのようにのべている。
    「ここで、弥生時代から古墳時代前期までの絹を出土した遺跡の分布図を見てみよう。邪馬台国があった弥生時代後期までの絹は、すべて九州の遺跡からの出土である。近畿地方をはじめとした本州で絹が認められるのは、古墳時代に入ってからのことだ。
    ほぼ同じ時代に日本に入ったとみられる稲作文化が、あっという間に東北地方の最北端まで広がったのとは、あまりの違いである
  • 倭国女王が魏の皇帝に貢いだ青大句
    珠は、頭部に数条の刻線がある翡翠の 大 型 丁 字 頭 勾 玉 と 考 え ら れ ま す。 こ の形は弥生時代中期後半頃の北部九州 で出現し、後期・終末期には筑紫・出 雲・讃岐などで散見される程度です。 古墳時代でもその出土例は少なく、女 王の勾玉も白珠の5千に対してわずか に2個というのは、それがかなり貴重 な品物であったことを裏付けています
  • 12/09編集されました
    「投馬国(とうまこく)」で様々な憶測が展開していくのだ。

    ここまでは奴国や不弥国が博多付近だろうと、皆さん考えている。

    ところがその次、
    南(行)して投馬国(とまこく)にいたる。水行二十日
    この一文で、皆さんの思考回路は、様々に展開していくのだ。
    なぜなら博多は九州の真北である。そしてその南には海が無い。
    この事で、邪馬台国探しは迷走していく。


    博多湾と有明海をつなぐ水路
    宮崎康平氏はこの難問を、原文どおりに解釈し解決している。
    宮崎氏は博多湾と有明海をつなぐ水路があったはずだと確信し、

    そしてその水路(運河)の可能性を綿密に調べ、可能性と証拠を発表している。

    筑後地方は、「三潴(みずま)」「上妻(かみづま)」「下妻(しもづま)」など、

    当地方に目立つ「つま」地名から、「投馬(妻=つま)国」にもっともふさわしい地域です。

    筑後川流域は古代においても、2か国以上の大国に分かれていたのではないでしょうか。
    高良山麓の「朝妻(あさづま)の泉」            
    7世紀末に、西海道の筑紫・豊・肥の国はそれぞれ分かれ、筑後川を隔て「筑紫の国」は筑前・筑後に分かれました。
    今の福岡県南西部、筑後川の左岸は筑後の国となったのです。
    その筑後の国の霊場が、高良大社(久留米市御井町)です。
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